第三十三話 遺跡地下迷宮 弐 異臭
「大分空気が変わったね、もう少しだよ」 「ヌィ平気?」
ティノが振り返り、アンジェもその背中から声をかける。
「うん……大丈夫……あと……ちょっとだから……ハッ……ハッ……」
長い長い上りの石段、俺たちはそれを一歩一歩踏みしめて登っていた。
恰好つけずに俺もティノに背負って貰えば良かったかな……いやいや余計な負担は掛けないようにしないと。
十分な休憩の後、調査しようと決めていた柱に俺たちは3人同時に飛び込んだ。
再び光に包まれどこかに飛ばされることを警戒して期待していたのだが、そこに現れたのはこの石段だった。
既に見上げても見えなかった天井よりも高く登ったと思う。
「つ、ついた……」
「ありがとティノ、ヌィ大丈夫?」
やっと上の階層へと到着した、ティノの背から降りたアンジェが丸めた俺の背をさすってくれる。
「近くに気配はしないんだけど……いやな感じがするところだね」
ティノが辺りを見渡し呟く、うまく表現できないが俺もティノと同じ感覚だ。
白い石床、白い石壁、白い石天井、光を放つ結晶が周囲を薄っすらと照らす。
「先に進もうか」 「「うん」」
ティノを先頭にアンジェ、俺の順、周囲を警戒しながら歩みを進める。
白い石で囲まれた世界、方角も目印もなく、あてもなく進む。
「次はこっちかな」 「うん」
分岐した道の行き先を決めるのはティノの感だより、アンジェが選択した通路の床に印を残して先へ進む。
「部屋?行き止まりかな」 「一応調べてみよう」
何度目かの分岐を過ぎると他と比べて広い、部屋のような場所へと着いた。
パッと見は何もない部屋だが、もしかしたら隠し扉とかがあるかもしれない。
何もなかった。
「じゃぁ少し休憩にしよ」
アンジェの言葉に俺はリュックを降ろし、食事の支度を始める。
時間のわからない閉鎖空間、食事や休憩のタイミングはアンジェに任せてある。
「迷路みたいで探索は大変だけど、魔物や魔獣の気配がないのは救いかな」
「だね、ティノは他のダンジョンに入ったことあるんでしょ?」
「ごはん、ごはん」
アンジェの問いかけに反応はない、ティノの意識はもう鍋に囚われてしまったようだ。
簡単なスープだけど、たしかに湧き上がる湯気は食欲をそそるいい香りを漂わせる。
「こういう場所で料理するのに慣れていないんだけど、なんかジメジメするね」
アンジェに俺も同感だ、壁や天井は湿り気を帯びて結露しているようだ。
床には小さな水たまりさえできている。
「いや……水たまりって、何かこれ変じゃない?」
目の前で水たまりが大きく広がる。
床、壁、天井の石の隙間から滴り溢れる水滴。
それはやがて鼻につく悪臭を放ち濁り始めた。
「な、なにこれヌィ」 「ティノ、食事は中止だ」 「うぇ……何この匂いっ!!」
急いで荷物を纏め、ティノは鍋を抱える。
水たまりは退路を塞ぐように俺たちの入って来た入口に溜まる。
黒く濁ったそれはギトギトした油のように光を七色に反射し、ドロリとした粘着性を持ち立体的に膨張し、出口を閉ざした。
「うわぁっ、ティノ何あれ?ショゴスとかじゃないよね??」
「う、ウーズだよ」
ウーズ、それはプディングとかジェリーとかスライムとか言われるモノの総称だろう。
とにかく不定形のアメーバや変形菌のような生物だ。
「ティノならあれ倒せる?」
「無理だよ、殴っても蹴っても斬っても効かないんだ、臭いしっ!」
ティノは本当に嫌そうな顔で首を振った。
物理的な攻撃はまだ受けていないのだが、俺とティノは既に大ダメージを受けている。
その原因はこの異臭、ガソリンや石油のような匂いと甘ったるい発酵臭に腐敗臭、様々な匂いが混ざり部屋に立ち込めている。
頭がくらくらしてきた……速くこの部屋を脱出しないと危険だ。
「それならアンジェの火で……出口を塞がれたこの空間で使うのはマズイか」
「うん、出来れば他の方法を考えたほうがいいよ」
出口を塞がれていないならこの方法を取るべきだったが、先手を取られた。
「じゃぁ鍋のスープを」 「やだっ!!」
餌にして誘導できないかと考えたがティノに強く拒否された。
「くっ……じゃぁアンジェ、水、水撃とかお願い」 「うん、わかった」
「水でどうするの?あいつ水の中にいるんだよ?」 「ティノはバグナウ装備しておいて」
あまり近づきたくはないけど、今は他に良い方法が思いつかない。
「いくよっ!」
『Vody Strelyat'/水撃/ウォーターショット』
アンジェの放った水球がウーズにぶつかり弾ける。
「どんどんお願い」 「うん」
『Vody Strelyat'/水撃/ウォーターショット』
『Vody Strelyat'/水撃/ウォーターショット』
ウーズにダメージはなくアンジェの魔法の水はその表面を伝って床を濡らす。
「よしっ次はおれのターンッ、思いっきりいくよ!」
『Zamorozit'/凍結/フリーズ』
床に手を着き触れた水を凍結させる、ピキピキと響くガラスの砕けるような、水分が急速に凍結する音が響く。
アンジェの魔法水、ウーズを取り巻く汚水、ウーズ本体を侵食するように凍結が広がる。
「ティノッこれなら削れる?」 「うんうん、まかせてっ!!」
「ザッ、ザッ、ザッ、ザァァァァッ、なにこれ、なにこれ面白いっ」
ティノは装備したバグナウ…鉄の爪で凍ったウーズを削る。
ウーズ本体を倒せたのか氷が解けたら再生してしまうのかはわからないが、これでこの部屋からの脱出は出来そうだ。
最初は少しずつ削っていた氷の固まりがひび割れ、ガラガラと崩れた。
「うまくいったねヌィ」
アンジェがにっこりとほほ笑む。
「あー楽しかった、でも直接アイツを凍らすんじゃダメだったの?」
「いや、触らないと凍らせられないから、捕食とかされたら嫌だし、臭いし」
ティノとそんな話をしているとアンジェは転がった氷塊を見つめていた。
「ん?アンジェどうかしたの?」
「見て、ヌィ、何か一緒に凍ってるの」
それはちょっと見分けづらいが黒い氷塊に混ざった金属のようなモノだった。
「ちょっと取り出してみるね」
『Plamya/炎/フレイム』
黒い氷塊が熱せられて解け、燃えて……燃えて……やけによく燃える。
これをいきなり大きなウーズの塊に使ったら部屋は大変なことになっただろう。
溶けるように燃え尽きた後には黒い金属製の刃が残った。
「ナイフの刃かなぁ」
アンジェは水をかけて冷ましたソレを拾い上げる。
「あー落ちてたのを食べたのか、持ってた人ごと食べたかじゃないかなぁ」
「「うわぁ」」
ティノは平然とそんなことを言う。
「でもドロップアイテムみたいなもんか……戦利品として貰っておこうか」 「だね」
「うう……迷ったわかんないよどうしよう」
ティノが声をあげる、道中に記した目印がわからなくなってしまったからだ。
「ヌィもだめ?」
「うん……ごめん失敗だった、次からはちゃんと見える印もつけよう」
と、言うのも印として残したのは匂いの強い野菜を煮込んだスープだったからだ。
分岐毎に零して匂いの目印ならぬ鼻印?を付けて進む、無駄にダンジョンを傷つけたりせずに済む画期的な考えだと思ったんだけど。
ウーズの悪臭の所為で鼻の利かなくなったティノと俺には見つけられなくなっていた。
ウーズめ、倒されても俺たちを苦しめ続けるとは……ぐぬぬ……
「ヌィ、こっちかもしれない、何か強いマナの流れがあるの」
アンジェは少し顔を顰めながら奥へと延びる通路を見つめる。
それはここより多くのマナが充満した場所に繋がっているか、それともマナを溢れさせるほどの何かがいる可能性があると言う。
危険はあるが……何もないダンジョンを彷徨うよりは、何かがあるその場所へ進むべきだろう。
「よし、じゃぁ警戒しながらアンジェの言う方向に進もう」
通路を進んだ先の分岐で立ち止まったティノは鼻をひくひくとさせた。
「あれ……いい匂いがしてきたんだけど」
ん、俺はまだ鼻がおかしいのにティノはもう復活したらしい。
「こっち」 「マナの流れもそっちからだよ」
ティノとアンジェが示す方向は同じだった。
「ティノどんな匂いがするの?」
アンジェが問いかけるとティノは答えた。
「お肉の焼ける匂いだよっ!」
そこに居たのは床をのたうちまわる赤い炎の大蛇。
「うわぁ、なにあれ?サラマンダ?」
うねうね蠢き床を這いずりこちらへと近づく。
「美味しそうな匂いだと思ったんだけど違った……あれはワームじゃないかな」
ティノの言う通り、良く見ればそれは確かにデカイミミズや芋虫の類のモノだ。
やがてそれはこちらに辿り着く前に動きを止めた。残った炎がメラメラと揺れる。
「みてヌィ、あの壁に焦げ跡が続いてる」
焦げ臭い異臭と危険な香りがするけど、今はわずかな手がかりを頼りに進むしかない。
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