第三話 ロングよりショート
「おれはアンジェに助けられたから今ここにいるんだよ、ありがとう」
落ち込んでいたアンジェだが、その顔が少しだけ明るさを取り戻す。
彼女が流星を呼ばなければ命を落としていたのは白い狼ではなく俺だった。
救われたこの命……何かこの子の為に出来ることはあるのだろうか。
「これからの生活、アンジェには誰か頼れるあてはある?」
尋ねるとアンジェは首を横に振り、沈黙が流れる。
「アンジェ、おれはこの世界のことを何も知らないし、頼れる知り合いもいない」
「うん……」
「だからアンジェ、君を頼らせてくれ」
「………」
「こんな状況でも、おれ達はこうして生き残った……だから一緒に精一杯足掻こう」
──おれと一緒に生きてほしい。
少し恥ずかしくなり、最後の言葉は心の中で呟いた。
「うんっ」
俺が手を取ると、アンジェは俯いていたその顔を上げる。
血色を増したその顔はほんのりと桃色に染まり、潤んだ蒼い瞳は輝いていた。
▶▶|
「よぉしっ、しゅっぱぁぁつ!」
「ぉおおっ!」
俺が声をあげるとアンジェがそれに応える。
アンジェは残された家に視線を向けて少しだけ寂しげな表情をしたが、その瞳には強い意志が宿っているように感じた……彼女ならきっと大丈夫だ。
「ヌィ重くない?平気?私も自分で歩けるよ?」
「平気、平気、これからの為に体力はつけておきたいんだ」
【ボード】と呼ばれる台車を曳き、森の道を進む。
積んでいるのは樽4つ。野菜樽に調理道具を詰めた樽、毛布や衣類、本やぬいぐるみといったアンジェの荷物、白い狼だったモノ。それと遠慮するアンジェを載せている。
ボードとは長方形、いや角が削れてるから六~八角形の金属板に3対6輪のゴムっぽいタイヤが付いたモノ。しかも驚くことに魔道具だそうだ、その所為なのか沢山の荷物を積んでいる割には軽い。曳いているのが苦ではないどころか、楽しくて尻尾が左右に揺れてしまう。
ボードという魔道具は大小様々な大きさのモノがあるそうだが、今曳いているこれはダブルベッドくらいの大きさはあるだろう。
「本当に大きな森だね」
「うん、街で売っている地図にもこの森全部は載っていないんだよ」
【大樹の森】……ここは巨大な木々がそびえ獣や魔獣が潜む広大な森。
見渡す限りの緑、大樹の森というだけあって巨大な樹木があちらこちらに生えている。この世界の木々は皆こんなに大きく育つのだろうか、地球では世界一高い木が確か100mを越えていたと思うが、ここではそれを越えるような木々が集まり森を形成している。
葉は青々と茂り、風がそれを撫で音を紡ぐ。澄んだ空気に満ち、温かい日の光が差し込み、足元には綺麗な草花が咲いている。道は舗装こそされてなく細いけれど平らに整えられていて歩きやすい。
ここだけを見ていると、とても魔獣がうろつくような場所だとは思えない。
だが油断は禁物、ここには魔獣が生息しているらしい。周囲を警戒し、後ろも振り返る。するとアンジェは首筋に手を伸ばし、何かを気にするように毛先を撫でていた。
「へ、変……かな?」
俺の視線に気づいたアンジェが少し不安げな顔で尋ねる、綺麗なプラチナブロンドの髪が日の光りに輝いて揺れた。
「髪型のこと?似合ってるよ」
──アンジェは整った顔立ちでショートの似合う美人さん、とてもかわいいと思う。
「え!? あ、ありがとう……あ、あっちに向かうと街があるの」
アンジェは顔を赤く染め、急に照れて話を変えた。
「ほ、星降りの街……とても大きな街だよ」
「大きな街……孤児院とかあるかな……もしくは住み込みで働ける場所を探すか」
そんな呟きに想定外のアンジェの答えが返ってきた。
「えっと……わたし、ハンターになろうと思うの」
彼女は小さな拳を握り、決意の籠った真っすぐな瞳を俺に向けた。
「ハンター?……それはアンジェや俺でもなれるのかな?」
「ヌィなら大丈夫だよ、それに講習があって必要なことはおしえてもらえるの」
アンジェは瞳を輝かせて続けた。
「そして……講習のある15日間は泊まるところと食事が用意されるんだよ!」
「いいね、受けてみようか」
俺はこの世界のことも自分の躰のことも何もわからない状況だ……
ハンターなんてモノが務まるのかはわからない、だけど住まいと食事が確保できるというのはすごくありがたい。
俺たちは星降りの街へ向かい、ハンターになることを最初の目標と決めた。
「たしか次の講習の開始がちょうど明日なの……それに間に合えばいいんだけど」
アンジェは少し心配そうに眉をひそめる。
「街までは遠いの?」
「……野営を短めにすれば明日のお昼前には着くと思うけど」
明日からの講習でお昼前……それは間に合っているのだろうか。
俺は少し不安を感じ、何とはなしにアンジェが街の位置を指していた方向……
進行方向の左に意識を向ける。
わずかに聴こえる何か……水音?……小川のせせらぎだろうか。
「アンジェ、あっちの方に小川が流れてるのかな?」
「え?この辺だと街道途中に小川はあるけど……まだまだ遠いよ?」
空耳?いや、聞こえる……それに……くんくん……水の匂いも。
その小川が街道へと続いているなら……
「アンジェ、ショートカットだ」
▶▶|
「やったぁ、街道に出たよ、これなら今日中に街に着くと思う」
アンジェが笑顔で飛び跳ねる。
道を外れて森の中を進み、小川を辿って街道へ……
俺たちは無事ショートカット=近道することが出来た。
小川まではかなり距離があったのだけれど、俺はその音と匂いに気が付いた。
それはたぶん、俺の中の真白……犬の部分のお陰だろう。
普通にしていたら余計な音や匂いは気にならないので不思議な感覚だ。
だけどこうして……耳をすませば……
「っ……アンジェッ……すぐ近く、何かが凄い勢いでこっちに来る!」
「!? ヌィッ、武器を!」
アンジェが剣とナイフを俺に差し出し、俺は自然とナイフを手にする。
速いっ!振り向くとソイツは既に視界に映る距離に居た。
大人の人よりもでかいだろう躰。太い脚と頑丈な爪が大地を蹴り瞬く間に距離が詰まる。
俺はナイフ握って身構えた。
Kysheeeeeeeer!!
甲高い鳴き声が鼓膜を震わせ、高い位置からの鋭い眼光がこちらを見下ろして睨む。
嘴のように飛び出した口先、そこには細かく鋭い牙が見える。
乾いた固くて分厚そうな肌、このナイフの攻撃が通じるだろうか……
頭から首、背中にかけて生えたたてがみのようなそれは羽毛だろう、俺たちを威嚇するように僅かに震える。
ソイツは俺たちの目の前で足踏みをし……ゆっくりと停止した。
「……Woooooof……wooooof……」
俺は唸り声をあげ、尻尾を立てて警戒する。いきなりこんな強そうなヤツと遭遇するなんてついてない。この異世界ではこんなヤツが其処ら中に居るのだろうか。
「ヌィ、怖がらなくても大丈夫、あれはラプトルだよ安心して」
俺の袖を引っ張りながら、アンジェがそう告げた。
「ドウ、ドウ……驚かせてしまったかなぁ坊や、すまないな」
ラプトルと呼ばれたソイツ、その背後の荷車から白髪の老人が姿を見せた。
▶▶|
「ヌィ見て、あれが星降りの街だよ」
周囲を天然の高い岩壁で囲まれた街……それが星降りの街の姿だった。
それはこの地に星が降った跡であると言われ、街の名前の由来でもある。
岩壁に近づくと見えたのは大きなトンネルの入口と金属製の柵のような扉。
二匹のラプトルと二人の衛兵が立つその街の門を潜る。
「「ありがとう、おじいさん」」
俺たちは最初の建物の前でラプトルの引く荷車から降り、老人に礼を告げる。
老人とラプトルのお陰で俺たちは無事、その日の昼には星降りの街へと到着した。
街で最初に目に入った石造りの頑丈そうな建物、それこそがハンターギルドだった。
建物の脇には何頭かラプトルが繋がれており、いくつもの荷車が停められている。俺たちもボードをその区域に移動して停車させた。
『Blokirovka/施錠/ロック』
アンジェがボードに手を翳して呟いた、何種類もの言語が一度に頭の中に響く。その言葉と共にボードに刻まれた模様の一部に赤い光が灯った。
「今のは何をしたの?」
「ボードと荷物が盗られないようにロックを掛けたんだよ」
何だその便利機能……どんな仕組みなのか知りたい。
「ヌィ……ここがハンターギルド、いよいよだよ」
「うん……」
俺の男の子心と野生の血が騒ぎ尻尾がぶんぶんと音を立てるように揺れる。
大きな期待と少しの緊張を胸に抱き、俺たちはギルドの扉を叩いた。実際には入口の扉は開きっぱなしだったけれど心の中で扉を叩いた。
大きな窓と扉から差し込む光が建物の中まで明るく照らす。ギルドでは荒くれモノが大声をあげたむろする……そんな風景を想像していたのだが裏切られた。
そこに居るのは壁際の古びた革張りソファーに座る二人の子供の姿だけ。二人とも年齢は俺たちと同じくらいだろう。
一人は退屈そうに足を組み、顔を窓の方に背けた赤毛の少年。襟の付いた長袖シャツに少し膨らんだボトムとロングブーツ、整った顔だちだがちょっと生意気そうな釣り目の赤い瞳。
少し離れた場所に俯いて座っているのはセミロングで濃い茶色髪の少女、少しだけ髪の先端がぴょこんと外に跳ねている。小さい襟の付いた半袖シャツにに膝丈のスカート、ブーツはショート丈、可愛らしいと思うのだがが俯いているので顔は隠れて見えづらい。
「おぉぉお……こういうのが見たかった」
視線を子供たちから反対の壁に向けた途端、俺は板に貼られた沢山の紙に目を奪われた。
少し色は茶色いが分厚い紙、それが何か牙のようなモノで板に打ち付けられている。
黒と赤のインクで文字や数字のようなものが書かれており、中には魔獣や薬草と思われるようなモノが描かれた紙も存在する。
クエスト、依頼書の類だろう。これは……ヤバイ、興奮が止まらないっ、ただ文字が読めないことが悔しい。
「ヌィ、こっちだよ」
壁に夢中だったが俺をアンジェが呼ぶ。そうだ、ここに来た目的を忘れてはいけない。
建物の奥へと歩みを進めると、銀行の窓口に似た石造りのカウンターがあった。
アンジェはカウンターに手を掛け、少し背伸びをして顔をあげた。
「はぁぃ、今日わぁ、どのようなご用件ですか?」
カウンター越しに、おっとりとした喋り方のお姉さんが優しい笑顔を向ける。
「えっと、わたしたち、ハンターになりたいんですっ」
可愛らしくも強い決意が籠ったアンジェの声がギルドに響いた。
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