第十三話 ボーパルバニー2
「ん……なんだ真白……またベッドに潜り込んだのか……」
腕の中の温かいぬくもり、スヤスヤと眠る真白の頭をそっと撫でる……
柔らかい毛並みが指を擦り抜ける、その感触がとても心地よい……
何か懐かしいな……こうやって俺は撫でられて……いや撫でて……どっちだっけ……
疑問が浮かび徐々に覚醒する脳、重い瞼をゆっくり開くとそこにいたのは……
真白ではなくアンジェだった。
そうか俺は真白で多紀、ここは異世界。
オフィーリアの無事に安心した俺はいつの間にかテントで眠っていたらしい。
そして寄り添いスヤスヤと寝息を立てているアンジェ。
きっと一人でいるのが不安だったんだろう……
アンジェの気持ちを察しながらも、間近で見つめたその寝顔にドキリとした。
なにか急に気恥ずかしくなり俺は静かにテントの外へ出た。
夜風がほんのりと火照った顔を冷やす。
「ん……何……だ?」
夜風は顔を冷やすにだけに留まらず……危険な匂いを運んで来た。
暗闇で動く影、ピチャピチャという水音、いやグチャグチャという咀嚼音……
感じる気配は小さな獣のモノだが……近づくな危険だと本能が告げる。
その時、俺の耳にボソボソと呟く小さな声が届いた。
「ヌィ……どこぉ……んん、灯り……」
『Ogon'/火/ファイア』
這い出して来たアンジェが俺を探そうと放った魔法の灯りが周囲を照らす。
ゆっくり立ち上がるアンジェの姿。
腰のナイフに手を掛けた俺。
そして仕留められた鹿を貪る小さな獣……いや、魔獣の姿。
俺はその魔獣を知っている、ボーパルバニーだ。
「アンジェェ!」
┃▶
「避けろぉ ぉ お お … …」
「ヌ ィ … …」
魔獣の姿に驚き竦むアンジェ。
灯りに照らされたアンジェをターゲットと定めて飛び掛かろうとする魔獣。
俺は全力で駆け出すが……その動きはとても遅く感じる……
魔獣の脚の筋肉が収縮し……
地面を蹴り……
アンジェに飛び掛かる。
アンジェを助けなくちゃ……
くっ……なんでこんなに躰が重い……
兎の切歯がアンジェの真正面から迫る……
『動 け もっ と 速 く、 速 く、速くっ!』
ビリビリと躰の芯が痺れる……まるで躰の中を電撃が走ったようだ。
脚がその刺激を受けて地面を蹴った。
揺らめく炎、揺れるアンジェの柔らかい髪。
ギラギラとした悪意の籠った魔獣の視線。
ゆっくりと流れる時間。
アンジェの喉笛に迫る魔獣の牙。
俺はアンジェの元へ駆ける。
「さ せ る か ぁ っ !!」
振り出した左手の甲が……
魔獣の躰に……
ゆっくり……
喰い込み……
魔獣の躰が歪み……
拉げ……
吹き飛んだ。
▶
「アンジェッ!」
速さを取り戻す時間の流れ、倒れそうになるアンジェの躰を優しく抱え込む。
「えっ、ヌィ……わたし……」
腕の中で目をぱちくりさせて驚くアンジェ。
俺はその首筋を、大きな瞳を、長いまつげを、小さな唇を……
無事なアンジェの姿を確認して安堵の息をつく。
「ありがとう……ヌィ、また助けてもらっちゃったね」
アンジェは小声でそう言うと……赤らめた顔を隠すように俺にしがみ付いた。
その温もりを肌で感じ、俺もやっと安心することができた。
「何事っ!……これは、魔獣……か」
慌ててテントから飛び出して来たフレア。
地面に叩きつけられ絶命したボーパルバニーを見てその目を見開く。
騒ぎに気付いたレイチェルや他の皆も次第にこの場へと集まり始めた。
「まず俺とイーサン、クラリッサで見張りを務める、夜明け前に交代しよう」
ガレットの仕切りで、夜が明けるまでは皆で集まり一緒に過ごす事となった。
焚火を燃やして交代制にして火の番と見張り役を残す。
ガレットの言葉に甘えてテントへ潜る。
あんなことの後なので眠れないと思っていたが……
全身を疲労感が襲い瞼はすぐに重くなった。
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「マカナだな……」
空が明るみ始めた頃、俺と一緒に見張りを務めていたフレアが呟いた。
負けた……気配には気づいていたがフレアは個体識別までできるんだろうか。
近づくにつれ徐々に速度を緩める足音。
マカナに跨ったユーリカが状況を注意深く確かめるようにしながら近づき……
下乗すると青い顔をしかめながら小さな声で呟いた。
「オフィーリアは大丈夫です……が、こちらは……死、いいえ負傷者は?」
「大丈夫、皆無事です」
フレアが答えるとユーリカは大きく息を吐き安堵した。
「今までこの場所で魔獣の報告は無かったのですが……
いや、私の配慮不足です、皆さんを危険な目に合わせてしまいました」
「いえ、おれ達も仮とはいえハンターです、初めから気を付けるべきでした」
「魔獣に気づき退治したのはヌィだろ、お前は誇ってもいいと思うんだが……」
俺の言葉にフレアが続く。
「そうでしたか……よく皆を守ってくれました、ありがとう」
ユーリカはそう言い微笑みながら俺を抱きしめた。
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「みんな……心配させてごめんね、もう大丈夫だから」
その日の昼過ぎには星の街へと無事帰還し、夕食時にはオフィーリアも元気な姿を見せた。
明日にはもう講習に戻れるという。
こちらを見つめるオフィーリアの紅潮した頬を見て、記憶の中の震えて青ざめていた表情と比べ、改めて無事なことが確認できた。暖かい気持ちが溢れてくる。
「ヌィ君、アンジェちゃん……2人のお陰だよ……ありがとうっ」
オフィーリアは俺とアンジェに抱き着いた。
蛇に兎とハードな講習だった……本当に……
だが、誰一人欠けることなく無事野営講習を終え、俺たちはこうして星降りの街に居る。
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