第六十三話 囮
『『『bRHaAaaRRhhrr』』』
炎に包まれながら地に伏していた躰を起こし、その背の翼を広げ吠えた三頭の咆哮が重なる。山羊の躰に獅子の頭と毒蛇の蛇を持つ怪物=キマイラ。
それが変貌したアイザックの姿だった。
山羊の部位はアイザックが持っていた特徴、毒蛇はボスっぽかった大蛇が融合したもの、背の翼はセイレーンに似ている気もする。そして……獅子は炎で形造られている。
炎の獅子、その現象から獅子の試練を終えてリオが得た能力が思い浮かぶ。彼女を攫おうとしたのはこの為、儀式によってその能力を奪う為だったのだろう。
しかし、リオが誘拐されるのを阻止したは良かったが、代わりにキャスが攫われてしまうとは……彼女もリオと同じような能力を持っていて、その能力はアイザックに奪われた。
能力を奪われたキャスは未だ石床に倒れたまま動かない。彼女の安否がとても気に掛かるが、今はアイザックをなんとかしなくては……
黒竜を囚えている陣は光を灯したまま、儀式は今も継続されている。きっとアイザックは黒竜からも何かを奪う気なのだろう。
『buRRrhhhhn』
「ぅわぅ!」
大きく開かれた獅子の口腔から吐き出された炎が襲う。咄嗟に床を転がって避けたが、先程まで俺が立っていた石床では巨大な火柱があがった。
「ぅ、ゎうぁちっ、っ」
次々と吐かれる炎のブレス。今度の炎は渦を巻きながら避けた俺の後を追う。自動か手動かは知らないけど幾つもの炎の渦が追尾してくる、ぁちっ、ぅわぅぅ……尾の先が少し焦げたかもしれない。
炎を避けて駆け、石床を転がりながらも、俺は盾剣を大剣へと変形させて振り上げた。
『玉座の階段へ!!』
大剣を振り下ろし、空間に一筋の光の帯が走る。
「アンジェ!」
「うん!」
『開けぇぇええ!!』
光の帯に突き立てられた大籠手の指が道を開く。
「はぁああ!!!!」
俺はその空間の裂け目に跳び込み、アイザックだった怪物に向けて大剣を振るった。
「んあっ」
空間移動による不意打ちは成功したかに思えたが、大剣の刃は一体化している大蛇の尾で防御されて本体迄は届かなかった。
俺は駆けた速度を緩めず、衝突の勢いで跳ねながらキマイラアイザックを飛び越える。
「ぅわぅぅうおぉお!!」
空間の裂け目を潜り俺を追って来た全ての炎の渦が、一気にキマイラアイザックに衝突し爆発し、俺は爆風に巻き込まれ吹き飛ばされた。
『Vozdushnaya podushka/気流衝撃緩和/エアクッション』
「っと、と、ありがとアンジェ」
た、助かった……アンジェのお陰で地面への激突は避けられた。
「ヌィ、怪我はない?」
「ぁあ、大丈夫、アイザックはどう……奴も無事か」
背後を振り返って爆発の中心となったキマイラアイザックに視線を移す。俺が斬った大蛇部位への傷や爆風に巻き込まれて負ったと思われる多少の傷はあるものの、燃焼によるダメージは見られない、キャスから奪った獅子の能力の所為だろうか。
そういえば、キャスは猫だと思っていたんだけど、獅子なのかな?
「ぅわうっ、ぁちっ」
再び襲い来る炎の渦。余計なことを考えてるような余裕はなかった。
「っと、ゎうう、っつ」
連続での炎攻撃、さっきキマイラアイザックに炎をぶつけた所為で強化されちゃったとかじゃないよね!?
「やあっ」
大籠手で炎を弾き耐えるアンジェ。ぁあ、ブレンダを支えながらだから、あまり動き回れないのか、このままじゃマズイな。それならば……
「アンジェ、俺が囮になるからその間にブレンダとキャスを!はぁあ!」
『大蛇に囲まれた陣の中へ!!』
「わかった!」
『開けぇえ!』
アンジェに二人の保護を頼み、俺はアイザックの注意を惹くために炎の柱が上がる中を駆ける。
「っ、ゎゎぉぉおぅ、っと」
よし、追尾して来る炎の渦は、炎の柱にぶつけて止めることが出来た。その分、柱は大分デカくなったけど。
うぅむ、このまま逃げ回っているだけだと、いずれ膨れた炎の柱で逃げ道がなくなるな。どうにか反撃をしないと……試してみるか。
アンジェが既にこの場から離れたことを確認し、囮の役割を終えた俺は踵を返してキマイラアイザックから距離を取る。
さて、周りに誰か居たら出来なかったけど……今なら平気だろう。
「はぁぁぁぁあ……」
俺は大剣を水平に構えて引き、突きを繰り出す為に力を籠める。
『アイザックの……心臓へ!!』
「はっ!!」
「…………」
突きを繰り出した大剣は俺の目の前にある。
「はぁぁ……」
俺は大剣を水平に構えて引き、突きを繰り出す為に力を籠める。
『アイザックの……首元へ!!』
「はっ!!」
「…………ヌィ?」
依然として大剣は俺の目の前だ。
『buRrhhhn』
「ぅわぅうっ!わぅ、っ」
獅子の口腔から吐き出された炎が膨らんでいた火柱に衝突し、爆発して火弾が飛び散った。なんとか大剣で直撃を防いだが今のは危なかった。
「ヌィ、大丈夫?」
いつの間にか俺の隣に立っていたアンジェも、大籠手で防御していたようで無事だ。
「う、うん」
まぁ、突きを空振りしてた時にはもう戻って来てたよね。上手くいくかわからなかったから一人の時に試したかったんだけど、思いっきり失敗したとこを見られてた……ぇっと、必殺技名とか叫ばなかっただけまだセーフだよね。うん、そう思っておこう。
「あ、アンジェ、ブレンダとキャスは?」
「うん、二人とも意識はまだ戻ってないけど、安静にしてれば大丈夫だよ」
キャスを囚えている陣の位置には、その場をぐるりと囲う石壁が造られていた。アンジェが魔法拳で石床を砕いて築いたのだろう。
あの石壁があれば二人は安全だろう、周りの酔いつぶれた大蛇も肉盾として役に立つかもしれない。
「良かった、ゎわぅっ、ぁちっ」
二人の安全が確保出来たことには安心したが、こうしている間にも、吐かれた炎と火弾は襲い来る。
さて、さっき試した攻撃はどちらも不発だった。空間を斬り裂きダイレクトに急所を突くというのは良い思い付きだと思ったんだけどな。恐らく、繋ぐ先に障害物があると能力は発動しないんだろう。でも、それなら……
「次の攻撃だ!」
大剣を逆手に握り、地面に切先を向けて構える。
『……アイザックの頭上、高くへ』
「落ちろ!!」
アイザックの頭上へと空間を繋ぎ、振り下ろした大剣を手放して落下させた。うん、思っていた通りだ。大剣だけであれば空間の裂け目を広げなくても通過し移動させることが出来た。
『guahAhhh!!』
重さを増した大剣が、アイザックキマイラの左脇を貫いた。惜しい、もう少しズレてれば心臓に達していたかもしれない。もしくは翼でも良かったのに。
でも、今回は上手くいった。じゃぁ次は……
「アンジェ、盾剣を回収してくる」
アンジェに作戦を伝え、俺は再びアイザックに向かい炎の柱の間を駆ける。
幾度か際どい攻撃にさらされて緩やかな時間の流れを体感しながらも、どうにかアイザックの元へと辿り着いた。
『RoARRR!!』
至近距離で吐かれる火炎。俺は掴んだ大剣を大盾へと変形させ、その直撃を避けた。
「ゎ、ぁっち」
『Ostyt'/冷却/クール』
間近で火炎を受けた大盾は熱を持つが、それには冷却の魔法を唱えて耐える。
『blleeeeaat!!』
「ぐはっ」
山羊頭に突き飛ばされ、俺の躰は宙に舞った。
火炎での攻撃は耐えられたが、直接的な物理攻撃、突進の衝撃には踏ん張りきれなかった。俺の躰は幾度かバウンドし、石床を滑り、倒れた。
『SHAAAaahhhhh!!』
鎌首をもたげ、毒牙を剥き出しに迫る大蛇頭。
突進の衝撃で俺はまだ動けない。それでも痺れて力の入らない腕で、かろうじて離さずにいた大盾を掴んで身構える。
俺はこんな状態だが……作戦は順調だ。何故ならこの作戦での俺の役割は囮役。今キマイラアイザックが居る位置まで、ヤツを誘導するのが目的だった。
「……やっ、やっ、やぁあっ!」
……Ga Ga Doka!Dang! Crash!
遠くから聞こえるアンジェの掛声。それと打撃音。
『開けぇええ!!』
続き聞こえた声に、俺は改めて大盾を握る腕にマナを籠めて身体能力を強化して構える。
「流れ星みたいだ……」
どこか既視感のある光景に、俺は思わず呟いた。
ダンジョンで尾を引く流れ星。空間の裂け目から降り注ぐ星の欠片達が向かう先は……
『bleaa Gaha roar Gyau shee Geeh……』
山羊頭、炎の獅子、大蛇の尾、広げた翼、キマイラアイザックに向けて数多に降り注ぐ岩屑群。それはアンジェが石床を砕いた破片や魔法拳でより集めて造った大岩だ。
『……gu……ha…………』
断末魔の声は叫び声には成らず、苦痛に満ち小さく吐かれた溜息の様だった。
……
「……終わっ……たの?」
「……うん」
大盾に被った埃を掃い、俺は視線を大岩へ移す……砕け、陥没し飛び散った石床。溢れ流れ出る血液。この衝撃でも飛び散らずにそこにあるアイザックだったモノは流石の防御力と言ったところだけれど、それでも息の根は完全に止まっている。
悲し気に目を伏せゆっくりと近づくアンジェが、俺の呟きに頷いて、手を差し伸べる。
「ありがと……うっぐ!?」
差し出された手を掴み立ち上がった途端、握ったその手に激痛が走った。
「ぅがぁぁあぁああっ!!」
「ヌィ!?どうしたの!?」
いや、その手だけじゃない、両手両足に今までにはなかった程の激痛が走る。
「がはぁああぁぁあああぁあああ!!」
『GHaAAaaAAAaAAA!!』
重なった咆哮からもわかるように、その原因は明らか、同調した黒竜の痛みだ。
石床を流れるアイザックの血が行きつく先には……巨大な光の柱とそれを囲う四つの光の柱がそびえ立つ。
「ぐはっ……アン、ジェ……陣の傍……迄、行こう……」
「ぅ、ぅん、捕まって、ヌィ」
アンジェの肩を借りながら、俺達は巨大な光の柱が立つ陣、黒竜の元へ向かう。
アイザックが倒れた今、黒竜を囲んだ陣の儀式はどうなったんだ?俺達は間に合わなかったのか?最後まで執り行われてしまったのだろうか……
光に浮かぶ人影が見える……陣の前には……誰が……
「アンジェさん!ヌィ君!」
俺達はその声に警戒を解く。振り返った人物はエヴァンさんだった。
「アイザック先生は……やったんですね」
「はい……でも儀式は、ぅぐ、停められなかった……っ」
「ヌィが、ヌィがまだ苦しんでいるんです!」
「あぁ、安心してください。この後どうすればいいのかは……ボクが知っています」
そう言って笑顔を見せるエヴァンさんの言葉に、俺とアンジェは胸を撫で下ろした。ここまでの道中でも難なく仕掛けを解いてきたエヴァンさんだ。きっと儀式だって止めてくれる。
「アンジェさん、ヌィ君を黒竜に触れさせていてください。黒竜は縛られ弱っているので、それくらいで攻撃されるようなことはないでしょう」
「は、はい、行くよヌィ」
エヴァンさんに従い、アンジェに肩を借りたまま巨大な光の陣の中へと踏み込む。
「ぐぁああっ」
「ヌィ、頑張って」
黒竜に近付くほどに、感覚の同調率が上がる。アンジェに心配はさせまいと俺は微笑もうと努めるが、笑顔は引き攣り、眉間には皺が寄り、躰からは嫌な汗が大量に噴き出す。
「黒竜に触れたままで決して離れないように!アンジェさんが手を添えて一緒に触れていてあげていてください」
「はいっ、ヌィもうちょっと、後少しの我慢だよ」
『GuaAah……』
近付き触れようとすると黒竜は威嚇して咢を僅かに開こうとしたが、エヴァンさんの言う様に危害を及ぼせる力は無いようだ。俺とアンジェは手の平を黒竜の鼻先に重ねる。
『囚われた……黒ノ辰を……幾星霜の呪縛から暫し解き放ち……』
「があぁああぁあ!」
『GAaAAaA!』
「ヌィ!」
エヴァンさんの言葉に、陣の発する光で視界の全てが埋め尽くされた。
淡々とした祝詞の様な言葉が続き、黒竜を襲う痛みは全身を蝕む。
……
……
「……上手くいきました」
光で閉ざされた視界に、エヴァンさんの声だけが届いた。
「アイザック先生は、しっかりスケープゴートの役割を果たしてくれたようですね」
その声は喜びに満ちていた。
スケープ……ゴート?
その言葉の意味は……贖罪の山羊、生贄……それとも……身代わり、囮だろうか……
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