第一話 隕石に願いを
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「ましろ……見てごらん……とても星がきれいだ」
夜の公園を歩きながら、澄んだ夜空を見上げて思わず呟く。それは普段の俺なら口にしないような台詞。この日の星空には何か特別なモノを感じたのかもしれない。
俺の言葉に彼女の返事はない、星には興味がないのだろうか。
真白は一瞬だけ空を見上げ、その蒼い瞳はまっすぐ俺へと向き……
いきなり俺へと抱き着いた。
その勢いになすすべもなく、俺は公園の芝生へ仰向けに押し倒される。
肌で感じる彼女の少し粗い息遣い、押し付けられた胸から伝わる彼女の鼓動と体温。
そして、ゆっくりと俺に顔を近づけ……
ぺろり……彼女の湿った舌がやさしく俺の頬を撫でる。
真白はかわいい女の子、透き通る様に真っ白で綺麗な……毛並みをしている。
シベリアンハスキーの♀、今日でちょうど1歳だ。
犬居 多紀……それが俺の名前、16歳の高校一年生。
自分で言うのもなんだが、学力も体力も顔もそこそこ……特筆すべき特徴はない。
だが残念なことに……真白を含めなければと彼女いない歴=年齢だ。
でもそうはいっても俺にだって甘酸っぱい恋の経験くらいはある。
そう……あれは10歳くらいかな、放課後の帰り道……頬に寄せられた幼馴染の唇。
俺は彼女の勇気を振り絞ったであろうその行動に対して……
ただきょとんと間の抜けた顔を返すだけだった。
幼馴染のことはかわいいと思っていたし仲も良かったが、俺はその行為に込められた彼女の心を理解出来ていなかったのだろう。
今ならばちゃんとわかるのかというと、はいと言える自信も経験もまだないのだけど……
でも、もしあの時に戻れるなら……俺はもっとちゃんとした返事を彼女に返せるはずだ。
真白の情熱的な口づけ?に翻弄され、そんなことを考えていると……
俺の瞳にそれが映った。
「流れ星……」
夜空に尾を引く流れ星。
そう聞くと、とてもロマンチックな響きだが、俺の瞳に映っているソレは違った。
真っ赤に燃え盛る灼熱の大岩、空から降り注ぐ炎の雨……
そしてソレが向かう先は……
俺だった。
『逃げろ、逃げろ、どこへでもいいから逃げろ!』
真白を抱える手が震え、俺の脚は固まってしまったかのようにまったく動かない。
どうしたっ、電気信号を伝えろ、筋肉を動かせ、脚にもっと力を入れろ!
『動けよ早く、早く、速く!』
真っ赤に燃え盛る大岩が目前に迫る、なんなんだよこれ、こっちに来るなよっ!
『来るな、止まれ、止まれ、停まれ!』
全身に叩きつける空気の壁、衝撃波が俺を襲った。
死にたくない……死にたくない……
『生き残れ……生き残れ……こんなところで死んじゃだめだっ生きろ!!』
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必死の願いが聞き届けられたのか……その時世界が停止した。
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いや……残念ながら少し違うようだ……その時間は緩やかに流れ出した。
【タキサイキア現象】
危険に陥った時、周囲の状況がスローモーションに見える現象。
俺の今の状態だ。
流れ星……いや、隕石の炎で真っ赤に染められた光景がゆっくりと再生される。
鼓膜を破らんとするほどの轟音
躰を吹き飛ばす衝撃
肌を焦がす熱
焼けつく匂い
俺を見つめる蒼い瞳
揺れるプラチナの髪
震える躰
必死にしがみつく小さな手
「? ? % % ~ ~ % % 「 「 # # + + @ @ ~ ~ | | @ @」
俺の耳に届くちいさな声、スロー再生される引き延ばされた言葉。
何を言っているのか分からない。突然の状況に脳が混乱しているのだろう……
『頭を冷やせ……冷やせ、冷やせ、冷静になって理解しろ……理解しろ、理解しろ』
「П о м о г и т е м н е」
ゆっくりと再生される時間の中、脳に押し寄せる大量の情報。
地面に空いた大穴
なぎ倒され燃える木々
巻き上がる土埃
飛ぶ石礫
地面を転がる俺
脚に突き刺ささった牙
黒い石
飛び散る焼けた肉片
舞う獣の白い体毛
俺の腕の中に抱えた彼女
躰の内部から湧き上がる焼けつくような熱と暴れる力
『守れ……守れ……彼女だけでも絶対に守る!』
その刹那……躰に電撃が走り……世界は白く染まって停止した……
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湿った何かが俺の頬を撫でる……ん……真白だろう……
いつも寝起きの悪い俺の頬を嘗めて早く起きろと催促する。
それにしても酷い夢だった……
重い瞼を開くと、ぼやけた視界の中に心配そうに俺を見つめる蒼い瞳が映る。
「あぁごめんよ真白……すぐ起きるよ」
「Dobroye utro. Vy v poryadke?」
俺の目の前にいたのは真白ではなく……とても美しくかわいらしい天使だった。
あぁ……あれは夢じゃなく……俺は死んだのか……
せめて真白は無事であって欲しい……そう願い、目の前の天使に祈る。
「YA Byl spasen. A kak tibya zavut?」
天使はちいさなその手に握った湿った布でやさしく俺の頬を撫でた。
その容姿は10歳前後の少女……
綺麗なプラチナブロンド……緩い巻き毛の短い髪、動くと柔らかい毛先が揺れる。
澄んだ蒼い瞳……その瞳は心配そうに優しく俺を見つめる。
徐々に視界がはっきりとしてくる……
地面に空いた大穴と黒い石
なぎ倒され燃え燻る木々
飛び散り焼けた肉片
舞う獣の白い……体毛……
「ましろ!!」
俺は途轍もなく嫌な想像に取り憑かれて叫ぶ。
「どこだ、どこにいるんだ……ましろ、ましろっ」
辺りを必死に見渡すも真白の姿はどこにもない。
「Uspokoysya」
目に映る惨状、耳に届く理解できない言葉でパニックになりそうだ……脳の処理が追い付かない、あぁ落ち着け考えろ……冷静に、冷静にならなくては駄目だ。
『……頼む……どうかおれにわかる言葉で話してくれ……』
そう小さく呟いた時……
「Mashiro? watashi ha Ange…」
たどたどしく発する少女の言葉が理解できた。
「アンジェ?」
俺がオウム返しにその名を呼ぶと少女は嬉しそうに3度うなずく。
「Anata ha?」
「ぇっと……犬居、犬居……多紀」
「……nyy……ヌ……ィ……」
惜しい、イがひとつ足りない……いや今はそんなことより大事な事がある。
「ましろ……犬を見なかった?きれいな白い毛並みで蒼い目をしているんだ」
俺は天使……いやアンジェに縋るように尋ねる。
すると、彼女はゆっくり腕をあげて指さした。
俺の後ろ?真白は無事なのか?俺は慌てて振り返る。
背後で白い毛先が揺れる……尻尾だっ!それは嬉しそうに揺れる真白の尻尾。
だが、振り返ると真白は俺から身を隠すように背後に逃げる。
反対側に躰を捻り振り返る、しかしまたしても尻尾の先しか確認できない。
俺は逃げる真白の尻尾を追い……その場でぐるぐると……回って地面に倒れた。
「あれ……?……なんかおかしい……」
倒れた自分の躰が目に入り……初めてその異変に気が付いた。
垂れさがったシャツの袖、ずり落ちたカーゴパンツ……これは転ぶ訳だ。
でもどうして……
「……ダイジョウブ? オチツイテ オミズ…ノム?」
うつむき加減のうわめ遣いで俺の様子を心配そうに伺うアンジェ。
言葉と共に両手で支えられた木製の器が差し出される。
澄んだ水が注がれた器、その水面に……
ひとりの少年の姿が映った。
幼い顔だちの顔、少し疲れたような蒼い瞳がぼんやりとこちらを見つめる。
柔らかそうな白い髪、その頭の上には三角の尖った……耳?
突然、少年は目を見開き、驚愕の表情を水面に映す。
水面に映ったその少年……それは俺の姿だった。
落ち着け……冷静に……冷静に、冷静にゆっくり一つずつ確認しよう。
まずは俺、俺は犬居……犬居 多紀?
いきなり怪しい……
俺は自分を犬居多紀だと認識しているが、同時に違うと感じている自分がいる。
えっと……年齢は16歳?
これも違うかもしれない……
自分の小さな手、脚、躰を見つめる……どう見たって10歳くらいだ。
目の前にいる少女、アンジェと同じくらいの年齢に見える。
次に……俺は人……だよな?
残念なことにこれも少し疑わしい……
頭の上にちょこんと尖った三角の耳、お尻にはふさふさの尾。
この特徴は人のモノではない。
それは見慣れたある獣……犬……真白のそれによく似ている気がする。
もしかして俺は真白なのか?
奇妙な問いが生まれた瞬間、俺の尻尾がぶんぶんと揺れた。
俺はこの時に自分が真白であり多紀であると認識した。
理由はわからないけれども俺と真白は無事……無事……?
とにかく一緒にいるようだ。
「……だいじょうぶ? 落ち着いた?」
アンジェは微笑み、小さな手で優しく俺の白い髪を撫でる……
耳先が少しくすぐったい。
どうやら大分心配をかけてしまったようだ。
「ありがとうアンジェ、うん……もう平気だよ」
「よかったぁ……うん……」
俺はアンジェに感謝しながらも少し照れ臭くなって少し躰を引く。
アンジェは柔らかい微笑みを浮かべるが……それはどこか少し寂しそうだ……
しょうがない……
「えっと、やっぱりもうちょっと撫でてもらってもいいかな……」
「うんっ」
小さな手が優しく俺の白い髪を撫で、彼女は微笑む。
その手の動きに合わせるように、俺のふわふわの白い尻尾はゆっくり左右に揺れていた。