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作者: L.B.

昨晩は三月にしては暑く寝苦しい夜で、私は部屋の窓を開け放して寝た。

そのおかげでよく寝られたのだが

今朝目覚め

起き上がろうと身をひねった目線の先の机の上

(文机なので寝床とそう高さが変わらないのだ)

に、まだそう古くは無い鳥の糞が一つ落ちていた。

梟でもない限り、夜中に鳥は飛ばないだろう、

鳩か雀かが朝方にでも迷い込んだかと辺りを見渡したら

枕元から掛け布団、地べた、欄間に至るまで

どうして真っ先に気づかなかったかと思うくらいの

羽毛・羽だらけだった。

これは、外に出ようとしてあがいた跡か。

羽の大きさからすると鳩だろう、

部屋に鳥がいるようには思われなかったので

無事に逃げられたのだろうかと

私は開け放たれた窓の外を見やった。


「里、里」

私は階段を下りながら、使用人の里を呼んだ。

この里が、もういい歳なのだが働き者で、よく気が利く。

うちでは長いこと働いている。私が物心付いたころには既にいた記憶がある。

阿波の女はよう働く、と父がいつも感心していた。

「はぁい、少々お待ちくださいまし」

声も大きい。

あの声、誰が聞いても厨から叫んでいるようには聞こえまい。

(厨は私のいる階段からは、居間の向こう二部屋をはさんでそのまた先の角を曲がってガラス戸を隔てた先にあり、戒森家がそんなに立派な家だと自慢するわけではないが、つまり、かなりな距離があるわけだ)

「はいはいただいま、風馬坊ちゃま」

ぱたぱたと里の急ぐ足音が近づいてくる。

里は、私がいくつになっても坊ちゃまと呼ぶ。

最近はもう慣れてしまったが、学生のころは友人によくからかわれた。

何度も坊ちゃまと呼ぶのを止めろといったが、

里は、「私にとって坊ちゃまは坊ちゃまですから」と言って聞かなかった。

昔の私は、家が金持ちであることを自分の手柄のように自慢する、

考えの浅いそれこそお坊ちゃまだったのだが、

里はそんな私の伸びた鼻を折る役割をしてくれていた。

いつまでたっても坊ちゃまと呼ぶのは、その名残だ。

「おはようござ、い、ます」

私は階段を下りきったところで里を待っていたのだが、

里は私を見るなり言葉を失い顔面蒼白になった。

「坊ちゃま、どうなさったんですそのお顔」

はて、どうなさったんですと言われ思い当たる節は一つだが

自分の顔が一体どうなさったのだろうかと、洗面所に急いだ。


「これはこれは」

自分の顔を見て驚愕した。むしろ笑みさえこぼれた。

必死だったのだなぁ

鏡に写った私の顔は血だらけで、顔中に赤い引っかき傷と、蚯蚓腫れが出来ている。

よくも気づかず寝ていたものだ

まぁ、顔は傷の深さに反してよく血が出るからたいしたことが無いのは分かるが。

ばたばたばたと、里は急いで湯を張った桶と真っ白な手ぬぐいを持ってきた。

気の利く女だ。

「ねずみですか」

どこかかじられてはいませんかと里は私の腕や背中をさすった。

「いや、鳩だよ。昨日窓を開け放して寝てしまったんだ」

里の持ってきてくれた手ぬぐいで顔を拭くと、だいぶ見られるようになった。

湯の熱で、やっと、顔が痛みを感じ出した。

ひりひりとしみる。

「鳩ですか、まぁ、まぁまぁ呆れた、あらほんと」

そして私の頭についた鳥の羽毛を見つけ、はらい落とした。

「坊ちゃま、そんなお顔で今日はどうされるおつもりです」

と、ため息混じりに言い残し

そのまま掃除道具を持って二階に上がった。

気の利く女だ、と再度感心した。

お坊ちゃまの頭に羽毛が付いていたのを見ただけで、お坊ちゃまの部屋は鳥の毛で散乱していると読んだのだろう。すぐに掃除に行くとは。

しかし、消毒液か何かは無いものか

さすがのお里もそこまでは考え付かなかったかと勝手に勝ち誇った気持ちになり、

消毒液を探しに行こうと後ろを振り返ると

両手に消毒液と絆創膏を抱え怒りに震える父の姿があった。

「お前、里に大怪我ですと言われ飛んできてみれば」

里、本当によく、気が利く。むしろ気を回しすぎる。

父に知らせるとは。


「呑気だな、」

父は消毒液と絆創膏を私に押し付けると、腕組みをし、私を睨んだ。

彼はもう六十を過ぎているが、父親とはいくつになっても威厳があるもので、

三十前の私でさえ、睨まれるとひるんだ。

「今日は、何月、何日、だ」

「三月、十四日です」

父の目が、私の全身を刺すように見回した。

「今日は、大切な日だと、あれほど、あれほど」

父の声には憤怒と呆れと落胆が入り混じっていた。

はて、先ほどの里といい、父といい、今日が一体何の日だというのだとしらばくれるのには、私は念を押されすぎていた。

昨日言われたことを忘れるほどであれば病院に行かなければなるまい。

いや、正確に言おう、五日前に親同士で盛り上がり、三日前に日取りが決まり、つい昨日本人たちに知らされた見合い話について、だ。

父の言葉を背に私は鏡に向き直り、顔全体に消毒液をつけ

一番痛みを感じる左目の下の三本の傷に大きな絆創膏を一枚貼った。

なんとも情けない顔である。

絆創膏に引っ張られ、左目が細く、視界も狭く見える。

これでは殴られた傷を隠しているようではないか

しかも、その他顔中の引っかき傷に蚯蚓腫れ

女がらみだと、誰が思わないことがあろう。

いや、違うのですとの訂正も、言い訳にしか聞くまい。

里や父は今日の日にそれを心配しているのだ

見合いに女傷を残して行けば波風が立つと。

まぁ、戒森家に変な噂が立とうともそれは私には関係の無いことだ。

逆に鳩にやられましたと正直言ってはどうだろうか

なんとも間抜けな話になるな。

偶然開けた窓から朝方偶然鳥が入り偶然顔中を引っ掻き回して出て行ったのです

この目の下の絆創膏は三本の鳥の爪あとを隠しているのです、ご覧になりますかと言えば

私は笑いものにされるだろうか。

おい聞いているのか風馬、と父は私を呼んだが、私は

「仕方ありませんね、化粧でもして隠しておきましょうか」

と答えておいた。

父はそれ以上何も言わず、時間にだけは遅れるなよと、去って行った。

私が、化粧なんてして行きやしないと思って何も言わなかったのではなく、多少何があってもこの見合い話が破談になる、なんてことはないと分かっているから、何も言わなかったのである。

つまり、見合いとはただの顔合わせ。

結婚前提の話なのだ。

深く聞くと、早いほうがいいからと、式の日まで決まっているそうだ。

本人たちは蚊帳の外。

さて私の未来の奥方は一体どんな人なのであろうか。


「結婚する前に相手の方のお顔が分かるなんてうらやましいですよ」

昨日、勝手な結婚話を里に愚痴ると、帰ってきた返事がそれだった。

里は、「いいじゃありませんか、里なんて結婚式の日が初顔合わせでしたよ、昔はそれが普通だったんですから。時代も変わったものですねぇ」と。

そして嫁いだ先の亭主が酒乱で苦労し、とうとう一年も経たず飛び出してきたのだとか。

戒森のお家には良くしていただいて、ありがたいことです

里はいつも父に感謝していた。

着の身着のままで家の前で倒れていた里を見つけた父に、何も言わず食事を与えられ、働き口が無いのならとうちで働かせてもらえることになったそうだ。

私は、里の身の上話を聞いたのはそれが初めてだったので、いささか驚いた。

そういういきさつで里はうちで働くことになったのかと感慨深くなってしまったが、

いやいや、論点からずれてしまっていた。

むしろ相手の性格を知らずに結婚するということ自体に間違いがあるのではなかろうか

「誰か他に好きあっている方がいらっしゃるわけでもないんでしょう。坊ちゃま、顔は悪くないんですけどねぇ、どうしておもてにならないのか。お酒飲まれないから結婚しても酒乱で奥様に逃げられることも無いですしね。性格なんて分からなくとも嫌われることは無いですよ。ただ喜怒哀楽も少ないですしあまり口数も多くは無いでしょう。いえ、私は味があると思うんですけどね。そこがつまらないといって飽きられるかも」

そこまで言って言い過ぎたというようにほほほ、忙しい忙しいと笑って里は逃げていった。


確かに、私は物事を素直に受け止める性質で、喜怒哀楽が表に出にくいが、

さすがに一生を共にする女性についてだ、神経質にもなるだろう。

「坊ちゃま、いつまで顔をいらってらっしゃるんです、余計ひどくなりますよ」

二階から降りてきた里は掃除道具を片付けながらそう言った。

「そろそろ御召替えを」

文机の上、糞が落ちていましたよ、あのごちゃごちゃした書籍に付かなくて幸いでしたねと笑った。


「あらぁ、あなたどうなさったのそのお顔。絆創膏が目立って大して男前でもない顔が台無しですわよ。まぁ、引っかき傷ね。女性、なんてことは無いわね。そんな甲斐性なさそうだもの。大方鳥の巣にでも頭を突っ込んだんじゃぁ無くて」

ほっほっほと、見合い席に向かう廊下でけたたましく女性に話しかけられた。

見知らぬ女性にここまで唐突に、傍若無人に話しかけられたことが無かったので

少し戸惑っていると、

その方がお前の見合い相手だと、となりにいたその母親らしき女性は青ざめていた。

「あら、写真で見たのと多少感じが違うようだったからわからなかったわ。あなたがそうなの。まぁ失礼、ごめんなさい。私思ったことをすぐ口に出してしまうの。正直なのよ、嘘がつけないの。一人っ子じゃない。甘やかされて育ったもんだから。気になったことをすぐ確かめたくなるのも性格なのよ。気にしないで頂戴、傷ついたなら謝るわ」

そのまま、一緒に見合い席へ向かったのだが、

いつまでたってもその女性のおしゃべりは止まらなかった。

「自己紹介なんていらないわよ、私昨日お母様から聞いたもの。あなたもそうでしょう、あら、聞いてないの。仕方が無いわねぇ、と、言うかこの席でいったい何を話せばいいのかしら。趣味の話、何て面白くないわ。どうせあなた無趣味でしょう」

年を聞いたら、私よりも十も年下だという。

二人だけで話す時間も設けられたのだが、その女性は、くるくると動き回り、また他愛も無い話を一人でしゃべり続けた。

見合いが終わった後、父は元気なお嬢さんだと苦笑し、相手のご両親は頭を抱え、恐縮していた。

私は、話している間中握り締められたままの彼女の手を見て、

彼女に好感を覚えた。

十も上の見知らぬ男に嫁ぐのだ。いささか心配もあるだろう。

おしゃべりはそれを見せまいとの強がりで

私も少しは女心が読めるようになったか、と

家に帰って里に見合いの一部始終を話したら、里は、まだまだですよと、落胆したような表情を見せ、私の首を傾げさせた。


そして、父は縁談を取りやめたとその日のうちに私に伝えた。

どうしたんです、いい子だったじゃありませんかと呑気に答える私に、父は里と同じ落胆した表情を見せた。

「お前、本当、に、分からなかったのか」

父さんも里も、何だというんです、私だけ馬鹿のように

「先様も、駆け落ちでもされる前に止めましょうかと行って連絡してきたのだぞ」

あ、

あぁ、あぁ、あぁ、そうでしたか、そうですか、そうですか

私は間抜けな顔で、間抜けな声を出していた。

「それだから、駄目なのですよ、」

笑い涙か何なのかとりあえず涙を拭きながら里が入ってきた。

「女心が読めなさ過ぎですよ。相手の方だって、戒森家に嫁ぐことは名誉ですよ。好きあっている方がいらっしゃったとしても坊ちゃまと結婚したでしょう。不倫だってなんだって出来たでしょうし。なんせお若いんですからね。ですが、どうして敢えてそれを選ばなかったか。お分かりですか。どうせ坊ちゃまは、その女性が話している間中、静かにその話を聞いていたのでしょう。失礼なことを言われても気づかなかったのでしょう。彼女は緊張しておしゃべりが過ぎたのではありませんよ、嫌われようとしてそうしたのです。坊ちゃまが彼女を嫌って破談になってくれるのが一番なのですから。まぁ、簡単に破談になったりはしませんけど。それでも坊ちゃまが怒りもせずにうんうんと聞いているもんですから、相手も苛立ったのでしょう。つまり、えぇ、こんな間抜けな男性に嫁いで不倫するには、あまりに自分たちがお天道様に背く行為をしようとしていると思わされ胸を痛めないではいられなかったのですよ。胸を傷めるというかむしろがっかりだったんじゃないでしょうかねぇ。こんな何でも許しそうな男に嫁ぐのかと。坊ちゃまをお生みになってすぐ奥様が無くなって。里や周りの婆に甘やかされて育ってしまったので、女心を知る機会が無かったのですよねぇ。あぁ、それだけは本当に里の不覚です。ここまでくると相手の女性が不憫ですわ。えぇ、坊ちゃま、聞いておいでですか、坊ちゃま」

えぇと、つまり、

里の話を要約すると、私は不倫という手段を結婚前から諦められるような、優しすぎるというのか、間抜けな男だと言うのだな。

見てきたわけでもないのに、里はよく状況がわかるなと、

頭の隅では別のことを考えていた。

しかし、また、何とも言えない。

傷つくことさえできないというか、

むしろ悲しむべきは勝手に縁談を進めていたはずの親たちさえも諦めさせた原因が自分だということだな。

あれほど勝手急に縁談に結婚話を取り付けた父達が、何を言っても強引に話を進めようとした父達が、その日のうちに取りやめたのだから。

それはそれで、物凄く、むしろ、才能に近い。

などとぶつぶつと、考えてみても、出来事を反芻してみても怒りさえ覚えないのだから、

これほど里にとやかく言われても、父に呆れられても、何とも、思わない。

問題は私だといわれても仕方あるまい。

私は。

何だ。

そんな自分に、心が挫けそうだった。

心に多少の打撃を受けた私は、自分について少し不安になった。

そして、喜怒哀楽に無縁だった自分を、不幸に思った。

「父さん、戒森家が断絶したら、すいません」

と、私はとぼとぼと自室に向かう階段に足をかけた。

「それでも、仕方がないと、思わざるを得んな」

父は、鈍感すぎる私を、怒るでもなく、ただ、ふがいなそうにそう言った。

「旦那様、それでは坊ちゃまが可哀相過ぎますよ」

里、可哀相と言うか、失礼な。

まだこれを機に何か変わるかもしれませんよ、などと言っていたのを耳の端に、私は部屋に入り、電気もつけずに寝床へ倒れこんだ。

里に掃除をしてもらってから入っていなかったが、鳥の羽どころか、埃一つ舞わない。

やはり里は、さすがだな。掃除も熟練者だ。


今日は、色々あった。

鳩に部屋を荒らされるわ

糞を落とされるわ

顔を引っかかれるわ

(もう痛くない、ただ、引っかかれたところが盛り上がって、さわり心地が悪い。絆創膏は、剥がそうとしたが、剥がれない。明日にでも、風呂に入った折に剥がそう。無理に剥がせば傷に触る)

里や父には朝からやかましくされるわ

見合い相手には失礼なことを言われるわ

破談になるわ

そしてまた、里や父に呆れられるわ


何か、変わるだろうか、私は


今日を振り返ってうとうとし始める

思考が散漫になる。

窓、を開けなくても今日は寝心地がいい


明日は、月曜日、か


薄れ行く意識の中で、窓の外からかりかりと窓硝子を擦る音が聞こえた


あれは、何だ、ねずみか



いやまさか、な


完全に眠りについた時、聞こえたのは羽音か、泣き声か




翌日、目を覚ましたとき、

私は背広を着たままだったと後悔した。

いつもより目覚めが早い。

さすがに三月、寒さで体が縮こまっている、それで起きたのだろう。

まだうす暗闇だなと、窓を見上げた。

「そういえば、」

昨日のあれは、何だったのか

電気をつけ、真ん中から外に向かって開くようになっている窓の左側部分を少し開けてみる。

やはり、寒いな

音は、右側の、と、窓の外枠をみてみると、何かが引っかいた後が見える。

これは相当な、強さだな

夜、だったはず

ならば、やはり、梟か。

何のために梟が私の部屋を訪れたのかは分からないが、

昨日の部屋を荒らした犯人も、実は梟かもしれないな

そう思うと、なぜか腹のそこから笑いがこみ上げてきた。


はっはっはっは、と笑っていると、下から里の声が聞こえた。

そうだまだ早朝だったなと、私は頭を掻いた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。結局鳩だったのか梟だったのか気になるところですが……淡々と語る感じが好きです。
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