-今-団体の方針 ヴィルノ市にて
とある一場面、それは・・・・
「キャメロ君や、君はいつものごとくこんな老人のたわいもない独り言のような語りにやはりいつものごとく興味津々、年不相応な明るすぎる笑みを浮かべて耳を傾けてくれるかい?」
「はははは、相変わらず口下手をごまかすために複雑な言葉で話題を提供してくれますね。もちろん良いですよ。施主のそんな独り言みたいな語りはとっても興味を惹かれますから。それに私みたいな中学生は好奇心旺盛なのが普通です。別に年不相応でもなんでもありませんよ。」
そう言ってにっこりとまん丸な笑みを浮かべる少女。そこには確かに純真すぎる、なにも知らないといった風なある種恐ろしさすら感じさせる“顔”があった。そんな小さな少女と隣合わせでゆっくりと何かを確かめるように歩みを進める老人は、右手をしきりに帽子、近年ではあまり見られなくなったハット型のものの褄をくいくいと動かしている。
「キャメロ君たちのような中学生は最近めっきりませてしまっていてどんな話もつまらんと言って突き放してしまうイメージがあったのだが・・・・」
「そんなことはないですよ。そういう子もいるにはいますけど決してみんながみんなそんなことはないです。」
中学生の中では少し小柄なほうであろうと想像される少女は、少し気分を損ねた風に頬を膨らませる。あどけなさの残るまん丸な顔もまたこの少女を実年齢より幼く見せるのに一役買っていた。
「いやはや申し訳ない。一つの視点だけで物事は判断してはいけない、これは私が長い間己の信条としてきたことだったんだがね。」
「施主のお話はいつもそのテーマが根底にありますもんね。施主自身がそれを忘れてはいけませんよ。」
「ほーう。キャメロ君は私のあんなくだらない独り言にテーマなるものを見出していたのかね。いやはや素晴らしい。」
「施主に褒められるなんて光栄です。私はとってもうれしいです。でもこれくらい普通ですよ。」
「そうかね。全くもってそうだと言えるかね。」
「はい。もちろんです。なんてったって施主のお言葉ですから。施主は“最上”なんですから。」
まるで焦げたかのような黒みがかったコートを身に纏う老人はわずかに含み笑いを浮かべながら息を吐いた。照れ隠しにも見えるその動作に隣にいたキャメロと呼ばれた少女も気がついたようだ。
「ふふふ。施主はなんだか見た目よりお茶目な所がありますね。とっても面白いです。」
施主なる老人はまたも帽子に手をかけようとしてふと何かに気がついたようにはっとした表情を浮かべる。
「キャメロ君、君は今“最上”と言ったかね?」
「えっ、あっはい。何か間違っていましたか。」
「そうか、君は私が施主であることを、施主という存在を“最上”つまりある団体における最高値だと判断したのかね。」
「えっ違うんですか?施主の普段の語りからそのように考察、判断したのですが・・・・」
施主はこほんっと一つ咳払いを挟んでゆっくりとそして確実に、明確に己の伝えんとするところが分かるように口を開いた。
「君のことを私はさっき素晴らしいと賞賛した。そのことは否定しない。それどころか君のことを本当に優秀だと思っている。しかし、このことだけは忘れないでほしい。」
キャメロは意を決するようにごくりと唾を呑み込んだ。
「私が、いや君を含め私たちが目指すのは施主のその先だ。肉体、物質の統治を超えた、そう言わばたどり着くべきは精神、非物質の支配。」
さらさらと穏やかな風がふく。キャメロのまん丸な顔が涼しげな赤を纏い、新たな緊張がもたらされたことを想像させた。
「名付けるならそれは“高僧”」
「“高僧”こそ私たちが求めるべき“最上”だよ。」
煉瓦造りの中程度の家々が立ち並ぶ。ほのかな風に揺れる木々もまた建物に不思議な色彩的協調を与えている。そんな西欧の一角に位置する国、ポーランドの町、ヴィルノで老人と少女という絵画のような二人は歩みを止め、互いに向かい合っていた。
「このことだけはきちんと頭の中に刻んでおきなさい。」
老人はこのひと時は紛れもない真剣な表情であった。
「ところで施主、今日はどんな独り言をなさるおつもりだったのですか?」
ひと時の、体感的には一瞬の緊迫した状態から抜け出した二人は、再びヴィルノの町を散歩するように歩んでいた。相変わらず二人の歩調はしっかりと一定の決まりにつながっているかのように揃いもそろっていた。
「あっあーそうだそうだ。私としたことが。すっかり本来の目的から逸れてしまっていたようだ。すまないすまない。」
「構いませんよ。別に急ぐ用はありませんし。それで、ぜひお話を聞かせて下さい。」
「そうだな。しかし、今日のお話は少しばかり、いやもしかしたらとても難しいかもしれん。いつも以上に独り言具合が増すかもしれないが、大丈夫かね?」
老人、施主と呼ばれる男にはっきりと頷く動作を見せる。キャメロの愛嬌ある仕草に老人もわずかに微笑み返し、その口を語りへとつなげる。
「今日はそうだな。言ってしまえば歴史の認識について話すことになろう。そもそも“歴史”とは何かということだ。」
「なんだかとっても哲学みたいな感じがしますね。興味が沸いてきました。」
「うむ。では、早速始めよう。いや、もう早速というには遅すぎたであろうか。まあいい。キャメロ君、まずは君の考えを聞こうではないか。君は“歴史”をどんな風に思い、解釈しているかね?」
「そうですね~。」
キャメロは顎に右手の親指を軽く触れさせ考える動作に入った。これが振りではないことがその透き通った眼差しと真剣な表情から見て取ることができる。
「私は過去の積み重ねだと思います。それが“歴史”です。」
「さすがはキャメロ君だ。なかなかに抽象的な質問だったと思うけれどそれにしっかりと自分の意見を述べ切れている。素直に驚いたよ。やはり優秀だ。」
「うわーーお。施主に二度も褒められてしまいました。きょうはなんだか楽しい気分です。」
子供である。顔に高揚の痕、わくわくした気持ちがはっきりと表れている。施主は目をわずかに細め頭を巡らせる。
「キャメロ君はそういう風に純粋に喜んでくれる。とてもこちらもうれしい気持ちになるよ。良いことだと思うよ。さて、本題の方だが“歴史”とは何か、これについての結論をキャメロ君は過去の積み重ねであるとした。そうだね?」
「はい。本当にそのままですが。」
「いやいや、その考え方は間違っていないと思うし、おそらく様々な人から共感を得られる回答だと私は思うよ。つまり、キャメロ君の考える“歴史”は過去に起こった“事実”(ゲシヒテ)の連続であるということだ。」
キャメロは再び考える動作に入る。ややあって言葉を発する。
「そうですね。そういうことだと思います。過去に起こったことを時を追うようにして並べていけば、それが歴史です。中学校で使う資料集や年表なんかを参考にしてそう考えました。」
「なるほど。学校で学んだことをきちんと応用、実践にまで昇華している。こらは学校の先生も喜ぶだろう。教えたことを生徒に理解されていると分かったときにはそれはそれは先生という立場からしたらとっても嬉しいことだろうからね。」
「はい。」
キャメロはにっこりと破顔した。
「ふむ。“歴史”とは“事実”の積み重ね、それを並べたことで自然的に発生するものである。これでも良いかもしれんな。」
履いている革靴を一瞥。老人、および施主なる男は納得と懐疑の念を複雑に織り交ぜた難しい表情で思案する。
「それでは駄目なんですか。施主。それとも他にもっと良い答えがあるとか?」
キャメロの興味は尽きない。興味は疑問となり、それに向けての解決策の模索に体は支配される。
「いや、それで駄目ということはないんだ。私としてもその解答を出来ることなら全面的に支持したいと思っている。」
「じゃあなんでそんな複雑な顔をしているんですか?いいじゃないですか。それで肯定しても。」
「それが・・・・可能ならね。」
「えっ」
キャメロは老人、施主を見つめる。眉毛を吊り下げた表情に困惑の色を濃くさせる。
「可能ならねって、どういうことですか、施主。私の考えは不可能な事なんですか?」
「残念ながらその通り。君の言う“歴史”認識、“事実”の時代順の表出、客観的立場をとった、科学的論証に裏打ちされたかのような年表を軸にしたその考え方は、そもそも全然客観的なんかじゃないんだ。」
「それはつまりどういう?」
キャメロの疑問が完結するかという刹那、二人は伝統、情緒、由緒そんな言葉を連想させるような少し古ぼけた喫茶店にたどり着いた。青を主体とした外装にくたびれたように立掛けてある看板にはMATCHと書かれているようだ。読みにくいその文字に施主は顔を向ける。
「キャメロ君や、少し私は歩き疲れてしまった。ここらで休憩としないかい?それにこれは難しい話だ。座って落ち着いて話す方が理解しやすいかもしれない。」
そう言って老人、施主は喫茶店MATCHへと足先を向ける。キャメロもそれにすぐに反応した。
「私もかなり疲れてしまいました。ぜひこの続きは座ってゆっくりと聞きたいです。」
「ははは。キャメロ君は本当に尽きない関心の持ち主だ。でも今日は、語りではないね。こんな難しい話は議論になってしまうかもしれない。」
「施主と議論だなんてなんとも恐れ多いです。私は思ったことをそのまま口にするので一杯一杯ですよ。」
二人はしっかりと、かっちりと確実に喫茶店へ入る。二人の不思議な会話、および議論は静かな、それでいてある種多くの雑念うごめく小さな空間へと移されていった。