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氷の溶ける時  作者: 千斗
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 ひゅぅ、という風の音で目が覚めた。普段は風の音などでは目は覚めないのに、珍しいこともあるものだ。

 外はひどく風が吹いているのだろうか、襖がガタガタと震えている。雪が降っていたら、吹雪になっていることだろう。昼間に剣と作った雪だるまが心配だ。

 隙間から入ってくる冷気が私の身体をゆっくりと冷やしていく。

 風はますます強くなっているようだった。

 もう一度寝よう、そう思って布団に潜り込んではみるものの、風の音を耳に入れてしまえば眠れなくなってしまった。

 仕方がないので耳を澄まして風の音をもうしばらく聞くことにする。

 聞こえてくるのは何の変鉄もない風の音――ではなかった。

「……が、…………だ!……て………………!!」

「だって……!……の…………!?」

 混じるのは人の声。

 言い争う男の人と女の人の声。

 父と、母の、声。

 実の両親の声はたとえどれだけ小さくても間違えない。不思議とそんな自信があった。

 だが、どうして両親が言い争っているのだろう。

 生まれてこの方、父が誰かに声を荒げることなど見たことも聞いたこともない。優しさの塊が父なのだ。母に至っては鈴のような声が常で、言い争いなんてあの声ではできはしないし、またこちらも優しさの塊である。今までに言い争いどころか、文句の一つを溢すのでさえ聞いたことがないのだ。

 何より不思議なのがこんな夜中に事が起こっていることだ。父はともかく、母の家での立ち位置はとても怪しい。祖父母が起きてしまったらどうなるのだろう。

 ――止めに、行こう。

 半分は今までにない事態に対する興味から、半分は沸き上がる正義感から、知らぬ間に足が廊下へと向いていた。

 さっきまで感じた寒さは、不思議と感じなくなっていた。



 ◇◇◇



 ガラスの外は案の定雪が降っていたが、風が弱まってきたのか吹雪にはなっていなかった。

「なら……!……剣道……できるのに、き…………!?」

「……!?どうし………だめ………!?」

 両親の部屋に近付くにつれて、少しずつ内容がが鮮明になってきた。改めて二人ともが今までにない状態にあることが幼いながらよくわかる。何か剣道のことについて揉めているようだ。

 ならば剣道を知らない母が圧倒的に不利で、一層私が止めに入らなくてはいけないだろう。

 考えながら足を進めていれば両親の部屋はもう目の前だ。

「希歩の未来はあの子が決めるでしょう!?」

 ぴたりと私の身体は動かなくなった。いや、動けなくなった。

「だから何度も言っているだろう!あれだけ剣道の筋がいいんだ!この家を継いでいくことが――」

「でも希歩はまだ六歳よ!?剣道で生活を縛っていいものなの!?」

「強くなるなら強くなるための努力が必要だ!この家に生まれたからには仕方ないだろう!?」

「子供は生まれる家を選べないのよ!?それなのに剣道を強くなるためには遊ぶのも我慢するの!?あの歳で?しかもちょっとでも遅れたら怒られて……」

「俺だってそうだった!それに怒ってるのは親父だろう!?現に俺は親父を止めてるじゃないか!!」

「わかった、それはいいわ!でも無理してるのは間違いない!練習が終わって、くたくたになって寝てしまうあの子をあなたは知ってるの!?」

 やめて欲しかった。誰か止めて欲しかった。

 ここに立ってまだ一分ほどだ。なのに、私の好奇心と正義感は両親の話を聞いただけで萎んでしまっていた。

 父に習うなら剣道を続けていこうと思った。

 母のために剣士として強くなろうと思った。

 私が剣道をする理由が両親だ。

 その両親が()()剣道のことで揉めている?どうして?揉める必要性なんてないのに。私にとって二人が理由なのだ。それ以下でもそれ以上でもない。

 この家に生まれたとか、強くなるためには云々とか、そんなことは全く関係無い。ただ二人に笑って欲しい。喜んで欲しい。

 今私が目の前の襖を開ければ、そこに揉めている両親がいて、私を見て、どうしたの、怖い夢でもみたの?とそれまでの言い争いが嘘のように優しく私に接してくれるだろう。そうしたら言い争いは消えて、いつもの両親に戻る――。

 止めようと思ってここに来たのだ。私の()()で、無意味な争いをしないでと言うためにここに立っているのだ。

 だったら私はこの襖を開けなければいけない。開けるべきなのだ。だが、そうとわかっていてもまるで凍り付いてしまったかのように動けない。

 目の前の襖と後ろの外窓とが迫ってくるような圧迫感。

 私が一人困惑している間にも、二人の声は止まない。

 もう、お願いだからやめて……やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて!!

「うるさいっ!!!!!!」

 ――っ!

 私の心の声が聞こえてしまったかと思ったのも束の間。

「ちょっと!何する気なの!?」

 焦りを含んだ母の声が聞こえた。

「乱暴は良くないでしょう!?あなたそれでも一流の剣士!?」

「お前に剣士の資格をとやかく言われる筋合いはないっ!!!」

「待って、止まって!一度落ち着きましょうよ!!ねぇ!?」

 少しずつ。一歩ずつ程度ではあるが、声がこちら側に近付いてくる。

 中は一体どうなっているのだ。母の声に焦りが増していく。増せば増すほどにこちらへ近付いてくる。

 頭だけが、妙に冴え渡っていた。自分がどうするべきか理解して指令を身体中に送り続けているはずなのに、その指令が全く意味を成していない。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 母の悲鳴と共に身体から空気が抜けていく。そして短い浮遊感の後に外窓に叩きつけられ、もう一度身体から空気が抜けていった。鈍痛が身体中を支配する。

 呼吸が上手くできない。焦点も定まらない。

 ぼんやりとする視界の端に見えたのは唐紙が破れ倒れた襖と、部屋の際にぺたりと座り込む母、そして竹刀を取り落とす父だった。

「き、ほ……?」

 掠れた声で私の名前を呼ぶ声がする。遠くからバタバタと足音がやってくる。

 鈍痛の支配から逃れつつある私を次に支配したのは、冷たさと、眠気だった。

 手先が、足先が、頭が、心が凍っていく。

 そんな不思議な感覚に包まれながら、私はまどろみの中に落ちていった。



◇◇◇



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