性なる夜
クリスマスが恋人たちの合体タイムになってる現代日本ですが
種族としての老年期にさしかかった人類が生きるはるかな未来ならどうなるだろうか、という思いつきからできた話です。
そこでは、永遠の荒涼と冬枯れが続いていた。はるか昔から、そしてこれからもずっと続く、乾いた死を思わせる静けさが、煙のように漂っていた。太陽は常に雲隠れしていて、生ける者にとってつらい豪雪や強風が幅を利かせていた。
大地はというと、赤褐色のごつごつした粗土が、にきびのような凸凹を作り、その凹凸のいくつかにはひものようにひょろ長い申し訳程度の木が生え、あとはその光景が、大量コピーをかけたかのように隙間なく一面に広がっている。
その上を覆うのは、細かい氷の粒。あるところは濃く、またあるところは薄く、上空から見たそれは、点描画のように複雑な文様を作り出している。感じるのは、胃の腑から湧いてくるような寒さと、管理されていない、大地そのもののにおいと、あとは泣き出したくなるような寂寞。
タローは七歳。ヒトとしては壮齢である。切り立った断崖の下にある天然洞窟で、毎日細々と生きている、あるヒト部族の一員であった。
ヒトの部族は、たいてい十人から、多いときは三十人ほどで構成されており、このような、外敵の近づき難い要害の近くで寄り添いあうようにして暮らしていた。そしてタローは部族の長者で、好んで思索にふけるという悪癖を有していた。たとえば今、タローは、彼の属する部族について考える。
タローと彼の部族は、常に生と死の間をさまよっている。この言葉は、彼が考え事をするとき、枕詞のようにいつも最初に浮かぶ。彼の思索は、時に哀感、諦観と親しかった。生死をさまようというのは彼に言わせれば常に危険にさらされているという意味ではなく、生きているのか死んでいるかもわからない、億劫で怠惰な暮らしのことを言う。
そもそも部族とは何だろうか?タローは考える。ヒトが集まって暮す必要があるだろうか。ヒトは生きていくためのすべてを一人でまかなうことのできる生物である。そのような生物が、群れ固まるのはなぜだろう。タローはミヤケとして、今日一日の食糧とするための子どもを産みながら、ぼーっとそんなことを考えていた。タローは哲学者で、変り者だった。
部族内でも、そのようにみなされていた。
だからといって、彼が皆の不信任ゆえに長をやめさせられるようなことはなかった。部族の最年長者が長になるという、太古から続く「決まり」があるからだ。タローは顔をあげて、どんよりと濁った眼で、目の前にいるチロを見つめた。チロは彼より三歳年下で、今、洞窟の壁に寄り掛かって、臀部の排出器官から彼同様、子供を生んでいる。チロはツクリである。すなわち、生まれたばかりの新鮮な乳児の体皮や骨を、鈍器や衣服などの日用品に加工する役目を負っている。
「決まり」は網の目のように細かくヒトを拘束しているが、その中で最も重要なのが、「子供」の扱いについての定めだった。この時代のあらゆる動物の例にもれず、ヒトも単性生殖によって増えたが、この虚無の大地において、資源の恩恵なしに生きるためには、同種でうまく「共食い」をするしかなかった。そもそも、自分たちの周りにある「モノ」から生活の糧を得るという考え自体、廃れつつあった。彼らの周りにあるのは、枯れ木と、冷たい雪と、乾いた赤土ばかりであった。
「子供」に関する所の「決まり」とは以下のようなものだった。
「一日に、部族の半分は子を産め。産まなかった者はそれを食せ。翌日は、前日産まなかった者が子を産み、前日産んだものが食せ。骨、皮は道具に作り替えよ。一年に一回、子孫とする子を三人、生み育てよ。」
ヒトは、己一人で、いつでも望むときに子を宿すことができた。体前部から突き出している、二、三センチの突起から、常に分泌されている精液を指につけ、排出管の奥にある排卵器になすりつけるだけでよいのだ。後は二時間ほどで腹が膨れ、それからさらに七時間ほど経つと、何の苦痛もない、システマティックな出産が始まる。タローの股の間から、粘液に包まれた胎児がぼとりと滑り落ちて、地面に頭を打ってすぐ死んだ。タローはそれをつかんで、平たい石の上に乗せると、干し肉を作るための解体に取り掛かった。傍らのチロも一足遅れて出産を終え、生まれた子をタローのほうにほおってきた。タローは鋭くとがった石器を使って器用に乳児の皮をはぎ、血塗れて赤く光る下腹部に刃を入れ、内臓を取り出して、食用である胃や腸、肝臓などを、乳児の皮をなめして大人の毛髪で編んだ丈夫な布の上に置き、残りを洞窟内の水脈の流れに捨てた。手足、首を胴体から切り離し、あばら骨についた肉を丹念にそぎ落とした。
そこまで終えると、骨と血だまりをその場に残し、食糧となる部分を皮布に包み、肩に担いで、洞窟の入り口近くへ向かった。
タローが行ってしまうと、暗がりからのそのそとチロが出てきて、台の上にばらまかれた大小の骨や生皮を集め始めた。皮は噛んでなめして干し、骨は削り、継ぎ合わせて、食器や武器にするのだ。特に今は強い武器が要りようであった。チロが自分の作業台に移り、矢じりにするための鎖骨を鋭く削り始めると、子供たちが集まってきて彼の周りを取り囲み、彼の一挙一動を、好奇心をたたえた大きな目で見つめた。
この子供たちは、一年に一回産み育てられる、子孫となることを許された者どもである。彼らも二、三年すれば子供を産むようになり、ツクリやミヤケといった仕事に就くことになるのだ。
ひそひそとした低い野太い声をいぶかしんでチロが顔をあげると、今日は大人たちも彼の仕事を見に来ているようだ。ヒトはあまりしゃべらないし、感情の変化に乏しい生き物だが、ここ最近、この部族は、表面的な怠惰と思考停滞の裏で、そわそわした期待や恐れ、緊張を感じるようになっている。大人たちは子供たちの周りをさらに囲み、互いに聞き取れないほどのかすかな声でささやき合っている。チロは作業を中断させられたので、苛立ちながら周囲に散開を命じた。これは毎年この時期になるとよく見られる光景だった。彼らは長が儀式で使う武器に関心を持っているのだ。そして今、チロはまさに長の使う弓矢を作っているところだった。そう、今年も儀式の日が迫っている。古くて神聖で、危険な儀式。チロもそれがわかっているからこそ、あからさまに自分の仕事をほっぽって、彼の仕事を見学しにくる仲間たちを、強く叱れない。
一方タローは、洞窟の入り口付近にある風通しのいい広い空洞で、まだ血の滴る肉片を、骨を接ぎ合わせて作った竿につるしていた。熟練の作業である。タローは自分の、節くれだってごつごつした手を見つめながら、無言で淡々と肉を吊るす。今まで、何千何百という子を産み、二年間部族の長を務め、二回の儀式を成功させてきた。今年が三年目の「儀式」となるが、タローの見るところ、今年の儀式が成功するかどうかは五分五分である。七歳という年齢。そろそろ子供が作れなくなる年だ。力も若い時期と比べるとずいぶん衰えた。
タローの前の長は、タローが四歳のとき、十歳で儀式に臨み、死んだ。
先代は、屈強なヒトだった。十歳といえば、寿命で死んでもおかしくない年齢だが、彼は若々しく、見た目は六、七歳に見えた。タローは当時、長の死体を回収するため、ほかの仲間とともに生まれて初めてすみかの洞窟から出て、遠出した。凍りついた岩山や河川をいくつも越えてたどり着いた長は、雪の中で血まみれになっていて、傍には弦の切れた弓矢と、真中から折れた長槍が落ちていた。長の片目はつぶれ、右腕を肩の付け根から食いちぎられ、胴体には赤黒い、手のひらほどの大きさの穴が開いていて、はみ出した内臓がてかてか光っていた。その口は真一文字に結ばれ、何かを成し遂げた直後の人間だけが浮かべることのできる、ある種茫漠とした表情に凍りついていた。一行は言葉もなく、地に伏した長の周りを取り囲み、湧き上がってくる畏敬と崇拝の気持ちをかみしめた。長は、見事に長としての役目によって死んだのである。
簡素だが、厳かで神聖な埋葬の後、最年長者として次代の長となったタローは、英雄的だった先代と比べると、少々頼りない長とみなされていた。別になにか大きな失敗があったわけではなく、二回の儀式にしても、頭を使ってうまくこなしたが、部族の者は、正面から堂々と戦いを挑んだ先代の武勇こそ敬愛したが、策を弄して無傷で儀式を終えたり、時として深く思索に興じる、タローの性質や行動を、理解しがたいものとして疎ましがっていた。タローはヒトとしては、例外的に多量の感情を有していたため、仲間からのそういう蔑視に、しばしば傷つき悲しんだ。
タローは今年の儀式において、死ぬことを決意していた。老いが兆し始めた自分が、正面から儀式に挑めば、まず間違いなく死ぬだろうが、それによって仲間に長として認められるのであればそれでよいという、悲壮な決意である。儀式の日は、三日後に迫っていた。
オンナは、伝承の中の存在である。現実に存在しているものの、ヒトの前には姿を見せず、大人から子供へ寝物語で語り継がれる、ほとんど空想上の生き物であった。ヒトがその一生でオンナと邂逅することはまずない。長にさえならなければ。
オンナの実像を知るのは、儀式を経験して生き残った長のみである。なぜなら、儀式はオンナを一匹打ち倒すことが一つの大きな目的であるから。選ばれた長は毎年、決められた日に一人で住みかを出て、遠方にある、オンナの多く暮らす湿原に行く。携帯してよいのは、二日分の食料と水、死者の骨や、赤子の未熟な骨で作られた、脆弱な槍と弓矢だけである。オンナは、ヒトのように群れを作らず単独で行動し、知能は薄弱で、言葉を話すことも道具を使うこともできない。その代わり、背丈はヒトのゆうに十倍はあり、鋭い牙と爪、そして捕食者としての一流のカンで、この大地に生殖する哺乳類たちをくらっていた。
他生物を捕食するというのが、この猛獣の特徴で、これは「共食い」によって生存バランスを保っている多くの生物からすれば、奇妙この上ないことであった。また、彼らは二足歩行で移動した。この世界で二本の足を使って歩くことができるのは、ヒトとオンナだけである。生殖器官や、口、耳の形状など、ヒトの有する身体器官と似通った点も多く持ち、ヒトとオンナが、種族的近親関係にあるであろうことは、両者の余りにも異なる習性、生活を鑑みたとしても想像しがたいことではなかった。
チロは思い悩んでいた。月がそのほとんどを闇に飲まれた身も凍る冬の夜。住みかの真正面にある大岩の前に、部族総出で形作られた円陣が出現していて、その中心にタローと二人で向かい合って立っていたのだが、儀式の初めに、ツクリが長にかける一言が見つからなかったのだ。チロはタローほどではないものの、聡い人で、目の前のタローから発せられる、尋常でない思いつめた熱を敏感に感じ取り、その気に当てられたために自身もタロー同様黙り込み、一言もしゃべれないまま気まずく固まっていた。周りで詰めている仲間たちの目が、ランランと光る。
「タローよ」伏した目をあげて、小さく語りだした。
「タローは長である。それゆえに、遠く遠く旅をして、その果てにオンナと対峙し、これを討ち果たす。」鳴き声や、身ぶり手ぶりを交えて、だいたいこのような意味のことを言った。
チロが送りの言葉を言い終えると同時に、部族全員が無言で二人に殺到し、彼らをもみくちゃにした。そして各々用意した捧げものを順番にタローに貢いだ。もちろんこれは形式的なもので、本当に捧げるわけではなく、ふりをするだけである。タローは眼をじっとつぶり、両手を水平に前に突き出し、微動だにしない。静かな表情をしているが、内心は恐れと緊張で抑制を失って、今にも叫びだしたくなるのを必死にこらえていた。仲間との交流もこれが最後である。彼は明日か明後日、誰も知らない荒野で死ぬのである。これはタローの中での決定事項であって、動かし難い事実であった。
タローは荒野をゆく。岩を登り、氷河を渡り、険しい斜面をよじ登る。冷たい風や雪が容赦なく体に打ち付け、ぬかるんだ汚泥が足をとらえるが、それでも屈せずに進んでいく。タローは出発から一夜明けて、彼の住みかからかなり離れた盆地に来ていた。風景は相変わらず殺風景で何の変化もないが、一つ変ったことは、わずかながら確認できた生き物の気配が、もはや感じられなくなっていたことだ。ここは、地球上最後の「捕食者」の縄張りに近い、危険地帯であり、そんな場所にわざわざ近づく生き物はヒトぐらいなものである。タローは懐中から干し肉を出して食べた。肉に含まれるわずかな塩気が、体中にしみわたっていくような気がした。あと一日歩けば、オンナの多く生息する湿地帯に到着するだろう。
極寒の中にあって、なぜこのような水を多く含んだ湿地が出現したか、タローには知る由もなかったが、ここはかつて、何千年も何万年も前に地球上を支配していた、古代文明人の行楽地だったため、現在も地下の水脈から暖かい水がそこかしこから湧き出ており、暖められた空気が水蒸気となって、あたりに霧を作って漂わせていた。タローは鼻をひくつかせた。血のにおいがした。ここで生き物がついさっき、殺されたのである。タローは槍を構え、弓矢をいつでも取り出せるように肩にかけた。霧はますます濃く視界を覆い、方角を狂わせた。タローは元より無事に帰るつもりなどなかったので、気にしなかった。タローは二年前、小動物の死骸を使って巧妙にオンナをおびき出し、風下の崖上から一方的に矢を放ってオンナを殺した。一年前には事前に掘った落とし穴にオンナをおびき寄せて、身動きをとれなくしたうえで射殺した。二回とも湿地帯手前で行われたことであり、敵の根城にここまで深く入り込んだのはタローにとって初めてのことであった。生々しい血のにおいはさらに強くにおい立つ。タローは奥歯をがちがち鳴らして、だらだら冷汗を垂らしながら、それでもずんずんと大きい歩幅で進んでいく。
どれぐらい霧の中を歩いただろうか、オンナはいきなり現れた。霧にまぎれてタローに飛びかかってきたのだ。おそらく最初からタローを付けていたのだろう。オンナから見ればタローなど取るに足らない小動物にすぎない。タローがとっさに槍でオンナの腹を突かなければ、タローは一瞬で体を引き裂かれていただろう。オンナの体皮は厚く、脆弱な槍の一撃ではとうてい致命傷にはならない。しかし威嚇にはなったらしく、オンナは後ろに下がって相対する姿勢を採った。
四足である。顔は残忍そのもので、犬歯の異様に突き出した口からはよだれが泡立っている。タローは女の顔を正面からまともに見たのも初めてであったので、その醜悪さにおそれおののいた。両者はじりじりと距離を詰めあい、二回目の拮抗に備えた。タローは、小山のようなオンナを前にして、必死に逃げようとする自分を制して、作戦を練っていた。
(目をつぶそう)
そう思った瞬間、巨体に似合わないすさまじい俊敏さで、オンナがこちらに突っ込んできた。間一髪でかわして、槍を目に突き刺そうとしたが、早すぎて間に合わない。オンナはすぐに翻って、タローの右肩を狙ってかみつこうとした。かみつかれたらその時点で終わりである。はずすすべはないし、振り回されて地面に叩きつけられれば目も当てられない。タローは真横に避けつつ、オンナの左足に、槍を思い切り突き刺した。上から下に無理のない力が伝わり、槍が初めてオンナの肉を断った。オンナは「あんぎょおおおおおおお」と叫び、めちゃくちゃに腕を振り回した。タローはすさまじい剛腕にまともにぶち当たり、宙に浮くほど飛ばされた。感じからいって、骨が折れているということが分かった。気が遠くなった。
地面であおむけに寝転んでいるタローに、オンナは相変わらず叫びながら近づいてきた。怒りでさらに醜悪な顔になっていた。タローは肩に下げていた弓矢を取り、矢をつがえた。オンナが両手でタローを地面に押さえつけ、いまにもわき腹にかみつこうとしたとき、目にタローの放った矢がまともにあたった。 オンナは「うんぎゃあああああおんぎゃああああ」と叫び、ぼろぼろ涙を流しながらよろよろと立ちあがると、再び怒りをもって、タローを片方の目で睨み据えた。その目を、情け容赦のないタローの矢が貫いた。
転々と地面に残る血痕を追って、タローは湿地帯を抜け、細長くもろい砂山がいくつも立ち並ぶ砂漠地帯へやってきた。オンナは両目と片足、さらにはわき腹に深い傷を負い、逃走していた。それを追うタローも、もう満身創痍である。折れた肋骨が内臓に突き刺さったらしく、二回ほど吐血した。もう長くないであろうことは自覚していた。とぎれとぎれの命を必死に鼓舞しつつ進んでいくと、目の前の砂山に、虫の息のオンナが寄り掛かって、弱弱しくふるえていた。
タローはゆっくりと近づいて、最後の矢を逆手に持って、オンナの頸動脈を注意深く切断してとどめを刺した。折れた槍は、オンナのわき腹に刺さったままだった。タローは、オンナが完全に絶命するまで、目の前で座して見届けた。そのあと、儀式に取り掛かった。残り少ない体力を振り絞って、オンナをあおむけに寝かせ、その体をさばいて、心臓を取り出し、それをオンナの頭の横に、腎臓をオンナの両脇にそれぞれ置いた。そして自身の生殖器を、オンナの股にある退化した排卵器に重ね合わせた。儀式はこうして滞りなく終了した。タローはオンナの上で力尽き、自分の十倍もの大きさの猛禽類と体を合わせた。