まだまだめぐる
恵は変な子だよね――
友人の未来からそう辛辣な言葉を浴びたのはいつだっただろう? 確かにわたしは変な趣味なり性格なりを持っているのかもしれない。未来はわたしの『風流に生きたい』という目標に対し、『中学生らしくない。平安時代のおばさんみたい』と言って面白がるのだ。風流と言っても、やむごとなき生き方をしようというのではなく、単に世俗から離れ本に囲われて生きてみたい、というだけなのにひどい言いようである。時代錯誤で悪かったな。
まあ、わたしも煩悩溢れる現代女子である未来を眺めて面白がっているから、一応フェアな関係である。
わたしが『変な子』と言われる要因といえば、おそらく感情の起伏に乏しいからであろう。未来のように、テストの点に悩んだり、気になる男の子に悩んだり、他人との差に悩んだりはしない。その原因をこじつけるとすれば、夏目漱石の読み過ぎか。漱石の語彙にわたしを当てはめて、『超然』を自称したい。
ときに、近頃わたしは新たに面白いものを発見した。その面白いものとは、これまた超然とした何かを感じさせる少年だ。同じうろな北小学校だった未来のお気に入りなのは気に入らないが、それでも研究価値のある乙な少年である。
ちょうどいましがた、彼の天敵である未来と交戦中である。
「ねえねえ、メグ。社会のノート見せてよ」
未来の呼ぶメグは、渋い顔をした。
「いやだよ。おれだって苦労してノートを取ったんだ、巽さんが寝ていたのが悪いのさ」
「巽って呼ぶな!」
未来は苗字の『巽』で呼ばれるのを嫌う。男っぽいからだとか。わたしの名前も『遠野恵』にするなら『遠野恵美』とか『遠野愛』とかにしてほしかったとは思う。
クラスに影響力のある未来に対し、平然と未来の嫌がる苗字での呼称をできるのは、この『メグ』こと豊栄巡のみである。
「そう呼び方くらいで怒ることないじゃない。かりかりしたら損するよ、巽さん」
未来は喉の奥で唸る。しかし、未来が再度豊栄くんに怒鳴れないのは、最後に『巽さん』と付け加えたのが決して皮肉ではないからである。豊栄くんは『気が利かない』というよりも、『気が付かない』『気にしない』人物だとわたしは分析している。
面白いからわたしも加勢してみる。
「未来、豊栄くんの言うとおり。怒ると男みたいになるよ」
「うるさい、恵。この悩みのなさそうにボケッとしてるメグが気に入らないの」
そう言って豊栄くんに向かって無礼に指を差す。本人は泰然と『気にしていない』
「メグが、メグがって」わたしも呼ぼうと思えば『メグ』なのだが、何が違うのだろう、少年の方のみ『メグ』である。「そんなに豊栄くんが好きなの?」
「嫌いなの!」未来は強く否定した。
後ろで豊栄くんは笑っている。苦笑ではない、普通に笑っている。こんなに未来が失礼をしているのに、もう少し神経質にはなれないのだろうか? もはや非人情すら感じる。
「まあ、未来もそんなに騒ぐと勘違いされるぞ」
現に勘違いされている、とは言わないでおく。
「恵はメグとちょっと似てるから気にならないんだよ。とにかく、こんなに楽そうに生きているメグがイラッとくるんだよ。イライラしないの?」
周囲に意見を求めたようだが、見事に目を逸らされた。
最後にわたしが追い打ちをかける。皮肉っぽくならないよう、笑顔で言う。
「嫌なら絡まなければ?」
「あのさ」未来も呆れたように、「そんなに恵はメグのこと好きなの?」
ほらきた。これぞまさしく、現代っ子の切り返し。しかし、わたしの余裕を甘く見てもらっては困る。豊栄くんにそのまま受け流す。
「……だってさ」
「だってさ、てどういうこと?」
あろうことか未来に訊く。
「自分で考えろ!」
未来に一喝され、豊栄くんは首を傾げた。
「巽さん、面白いよね」
「そうそう、面白いよね。まあ、豊栄くんが一番面白いと思うよ」
豊栄くんは笑っている。まったく面白い少年だ。
チャイムが鳴り、終学活がはじまった。
掃除はわたしたちの班だった。真面目にやらない男どもは無視して、女性陣が十分で片付けた。無論、清掃の記録で大いに報復は済ましてある。
荷物をまとめて昇降口に行くと、豊栄くんが靴を履きかえていた。
「あれ? 遅いね。何していたの?」
わたしの気配に気が付いていなかったのか、少しびっくりしてから豊栄くんは答える。
「ちょっと清水先生と話してたんだ」
そういえば豊栄くんは成績が悪いのだった。しかも、平均点が五十に満たない未来と同じくらいだ。きっと怒られていたのだろう。それでもけろっとした顔で帰ることができるのだから、なかなかのメンタルだ。
そして、わたしの発想の斜め上を行ってこそ豊栄巡である。
「さ、帰ろう」
わたしは理解しかねている。
豊栄くんがいきなり、わたしに『一緒に帰ろう』などと持ちかけたのは、なぜだろう。誘っておいて自分は何も話そうとせず、ぼうっと空を眺めているのは、なぜだろう。
とりあえず、わたしが話さないことには埒が明かない。
「豊栄くん。豊栄くんって、北小の出身でしょ?」
「そうだよ」
「なら、どうしてわたしと一緒に西に歩いてるの?」
ああ、と豊栄くんは間抜けな声を出す。まさか「間違えた」ではないと思うが。
「きょうはおれのおばあちゃんの家に行くんだ。町の西のほう」
この無理して一人称を『おれ』と言っているあたりが何ともいい。しかし、わたしの返事が変わるわけでもなく、
「なるほどね」
ただそれだけ。そして沈黙。
当然だ。突然ふたりで帰ったところで、そうそう話題など湧いてきやしない。わたしとて豊栄くんのマイペースは研究中であって、会話を成立させ、長続きさせようなど無謀だ。つまるところ大変困っているのだが、当の本人は愁然としているようで漫然としているだけ。
なるほど未来がいきり立つわけだ。もう少し他人を気にする神経を備えてほしい。
ちょっとばかし、ストレートにその話をしてみるか。
「豊栄くん」
「うん?」
「豊栄くん自身は、どうして未来に嫌われているんだと思うの?」
「あ、やっぱり嫌われているんだ?」
そんな歴然としたことを、とは言わなかった。話が逸れかねない。
「ううん、どうしてだろうねえ」
やっぱり気付いていない。というより、考えていない。
「同じ小学校だったのに、何だか急に仲が悪くなったように見えるんだ。中間テストのころから。それまではあんまり話さなかったでしょ?」
「そうだよね。最初は無視されている感じだったけど、テストの後に『悩み事がなさそうで羨ましい』って言われてさ」
なんと。未来が豊栄くんに的を射た指摘を。
「それって、どういうことだと思う?」
「言われてみると難しいけれど……中学生は悩みがあって然るべき、ってことなんじゃない?」
「だからって、『楽そうだ』とも言われたんだよ?」
「『楽そうだ』……? 悩みがないなら、すっきりしているんじゃない?」
首を振る。いささか理解に難い。
「悩みがないと、いろんなものがないんだよね」
「そうなの? 実感が湧かないけれど」
「悩んでいないの?」
「悩んでいないの……かな?」
「ほら、悩んでるよ」
「へ?」
「悩みを探しているじゃない。れっきとした悩みだよ」
参った、これは一本取られた。
悟っている。この少年、悟っているぞ。この超然かつ泰然、そして悠然たるこの態度、侮れない。面白いぞ、豊栄少年。わたしの中で研究価値が高騰している。まだまだ知りたい。もっと楽しく過ごしてみたい。
「じゃあさ、豊栄くんには何がないの?」
「悩み事をしたいという悩みがない」
ははあ、悩みがないから悩みがなくて、それを…………
「あ、あれ? こんがらがってきた」
「なかなか解らないでしょ。いいんだよ、たぶん。誰にも邪魔されないほうが」
「ううん……判然としないし釈然としないけど、巡の言いたいことはちょっと解った」
でしょ? と歯を見せて微笑む。やっぱり、わたしが『巡』と呼び方を変えたのにも気が付いていない。いや、気にしていないだけかもしれない。わたしを邪魔しないようにするために。
悩まないことで、巡はしっかりと自我を形成していたのかもしれない。何があっても『悩まない』どころか『気にしない』…………未来が気に入らないのはおそらく、巡に『何もない』からであって、自分と異質であることに疑問を抱いたゆえであろう。
それでは巡のように、自分を確立できない。
わたしも、未来に『変な子』と言われたことを気にしないことにしようか? いいや、それでは巡に邪魔されている。だから、未来に『変な子』と言われても、決然と胸を張ってしまおうか?
ううん、もう少し巡と未来が近づいてからにしよう。
世の中をもっと、面白く。
「じゃあ、このあたりで」
にわかに巡が立ち止った。わたしも振り返り、小さく手を振る。
「うん。またあしたね、巡」
「またあした、恵」
「……は?」
踵を返しかけたところで、素っ頓狂な声を上げてしまった。きょとんとした巡が首を傾いだ。
「突然どうしたの?」
「いや、いま、急に下の名前で呼ばれたから」
「あれ? 苗字で呼ばれたくないんじゃあ……」
まったくこの少年ときたら。
「それ、未来ね。未来を巽って呼んじゃダメだよ」
「ああ、ごめんよ。ええと、……遠野さん?」
「いいよ、恵で。じゃあね」
そう言って、巡の返事を待たずにその場を去った。どうにも巡は、一緒にいると恥ずかしくなる。未来もそうなのだろうか?
まだまだ、わたしには巡が難しい。
あしたはどんな調査ができるかな。
『うろな町のうろんな人びと』完結です。短いですね。他のうろな町企画参加者の皆さん、絡まなくてスミマセン……