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南――まだまだこれから

 この季節にしては珍しく、からりと晴れた日曜日。自転車を南に走らせた。

 期末試験も終わり、クラスメイト達は遊びに出かける中、おれだけはひとりで自転車だ。きのうの夏祭りにも誘われて出かけはしたが、自分から遊びに行こうとは言わなかった。確かに遊びたいけれど、なぜか遊びたくない、というどこか矛盾した気持ちがあった。

 街の南は絶賛開発中だ。埋め立て工事が続いているし、工場もたくさん立ち並んでいる。これだけの経済力や面積を誇るうろなが、いつまでたっても『市』になれないのは、南の地域に住宅が少ないせいで人口が条件を満たさないからではないか?

 南の街は、市民の生活を彩る地域なのだ。

 きょう南に行けば、ひととおり街を巡ったことになる。新たにできた趣味も、一旦は区切り。そのまま続かないかもしれないし、もっと遠くへ行きたくなるかもしれないし。

 それにしても南の街は走っていて退屈だ。いつまでも似たような工場、建物ばかり。海の方に出ない限りは退屈なだけだが、そのための道がなかなか見つからない。入り組んだ道をくねくねと進んでいくのは疲れる。

 それでも、乾いた暑さの下でかく汗は、なんだか気持ちが良い。

 次第に、そよそよとした風を感じるようになってきた。さらに走り続けると、ついに視界が開けた。

 が、

「……なんだ、東の港じゃないか」

 独り言を言ってしまった。

 目の前に広がったのは南ではなく、東の漁港。進路を誤って進むうち、南と勘違いして東に進み、ついにはこんなところに出てきてしまったのか。

 どうしたものか、ここから西に進むことはできる。でも、気分が萎えてしまったのも事実。木陰に移動して少し休もうか……いや、影なんてどこにもできていない。時間はたっぷりある、まだまだこれからなのに。

 すると、目の前をころころと白い何かが転がって――――

「ちょっと! それ取って!」



「ああ、傷かついちゃった」

 文句を言いながら、突然のお願いに投げ出してしまった自転車を起こした。転がってきた白いものは帽子で、風に飛ばされてしまったのだ。

「いやあ、ごめんね。まあ、海に落ちたわけでもないから、大目に見てよ」

 そう言って、女の子はおれから受け取った帽子を被る。女子高生くらいの人だ。

「お詫びにジュース奢ってあげようか?」

「いらない。持ってるから」

 持参したスポーツドリンクのペットボトルを見せつけた。

「まったく、もらえるならもらっておけばいいのに」

「欲がないんだよ。むしろ褒めて」

「図太いこと」そう言って笑ってから訊いてきた「名前、なんていうの?」

「豊栄巡。メグだよ。うろな中学一年」

「ふうん、メグね。わたしは石井(いしい)美波(みなみ)。隣町の高校の一年」

 名乗った美波は西の方へ歩き出した。おれも自転車を押して、三歩後ろをついて行った。

「どこにいくの?」

「どこでもない、散歩。でさ、メグはどうしてこんなところにいるの?」

「気晴らしで自転車に乗って来たんだ。というか、同じことを美波に訊きたいのはおれのほうなんだけど」

「年上には敬語を使いなさいよ……まあいいか。わたしはね、このあたりの風景を見るのが好きで、よく散歩に来るの」

「じゃあ、似たもの同士だ」

 こちらを振り返った美波が、くすりと笑った。

 歩いて行く先は、だんだんと工場や工事現場のフェンスで囲われていく。歩いて行くうちに海は見えなくなってきた。

「美波、こんなところ歩いて楽しいの?」

「メグこそ、自転車なんか乗って楽しいの?」

 頷く。

「じゃあ、わたしもここを歩いていて楽しい。理由も意味も特にないけどさ。メグも自転車に乗ってて、同じように思うでしょ?」

 自転車に乗ることは確かに楽しい。でも、それを否定されたとき、おれは何も思わないだろう。そう考えて、美波には同意しなかった。

「どうして好きなのさ」

「ううん……どうしてだろう? 単に当てもなくふらふらするのが気持ちいいのかな」

「あ、おれと一緒だ」

「随分似たところが多いんだね。ひょっとすると、悩み事も一緒だったりして」

 どんな悩み? とは訊かなかった。どうせおれには悩みがない。楽そうだのなんだの、何度も非難や皮肉を浴びせられている。しかも、嫌われて言われているのではなく、嫌がられて言われている。

 相手には皮肉以上の悪気がない。だからこそ、おれは言い返せない。言い返すつもりにもならない。悩めない。

「メグは、学校、楽しい?」

「楽しいよ」

「そう聞こえない」

「やっぱり? 先生たちからは、そう思われているんだ。おれは楽しく暮らしているつもりなんだけどね」

「へえ。なんだ、ここも同じだ」

 美波は自分のことを話したがっている、ということは解った。でも、おれはそれをあえて邪魔して、自分の話を重ねる。

「でもさ、楽しそうにしていると、今度は『楽そうだ』とか『悩み事がなさそう』とか皮肉を言われるんだ。『羨ましいね』って」

 ぴくりと美波が反応した。なるほどね、考えていることはおれとほとんど一緒だ。

 なら、おれは美波の意見を吸い取りたい。おれはおれへの非難を理解できていない。

「よく解らないんだけどさ、『楽そうだ』ってどういうことだと思う? みんな、悩みがないことは羨ましいことなのかな?」

「羨ましいよ。だからこそ、悩んじゃうんだよ」

「…………? どういうこと?」

 美波は息を吐き、穏やかに続けた。

「わたしね、悩みがないのかなって思うの。高校生になるまで、勉強も部活も友達関係も順調だったからさ」

「事情が変わったの?」

 頷いた。

「うろなから通える高校って、そんなに多くないでしょ? だから、近くの高校なら同窓生が結構いるのさ。でも、わたしは結構遠くまで通うことにしたせいで、ちょっと上手くいかないんだよね」

「それって、悩んでるってことじゃないの?」

「ううん、そうか、そう考えると、さっきの言い方は変だね。わたし、悩まなくていいのかなって思うの。

 高校に行って、確かに成績も落ちたし、友達も減った。部活も帰宅部にして、毎日退屈になった。だけど、何も感じないの。友達がいないのも点数が取れないのも、当たり前になった感じ」

 おれと同じだ。経緯が少し違うだけで、考えていることは何ひとつ違わない。

 悩みとは何なのだろう? 哲学的な見解は要らないけれど、純粋に辞書を引いたとして、どんな言葉が書かれているのか。それは本当に、人々が使う『悩み』という言葉に当てはまるのか。

 おれは、悩みがないことを悩んでいたんだ。

「ねえ、メグ。悩むってどういうことだと思う?」

 ちょうど考えていたことを、美波が訊いてきた。

「解らない。……そうだね、あれこれ考えなくてもいいことを考えちゃうってことじゃないかな?」

「いや、それだとなんか変。そうだ、その言い方だと、前向きなことも悩み事になっちゃうもん。もっと後ろ向きなことなんじゃない?」

「それもおかしいと思うな。悩みのないおれたちが、充分後ろ向きじゃない」

 そうか、と美波は頷く。

「前向きになりたい?」

「前向きでいるつもり」

「前向きってどういうこと?」

「先のことを楽しく見ること」

「じゃあ、後ろ向きって何?」

「前のことを悔しく思うこと」

「いまは楽しくないの? 悔しくないの?」

「…………」

 答えが浮かばなかった。悩みとは一体何なのか? それすれも見えずに、悩みがないことを悩んでいた。そして、みんなは理解しているのだろうか? さらに、悩みがないことを羨ましいなどと、悩みを理解できていない自分たちに言うのか。おれたちは決して、悩んでいる人たちが羨ましくないのに。

 悩んでいるからって、何か違うのかな?

 悩んでいないからって、何か足りないのかな?

 なぜだか少しずつ、自分に自信が持ててきた。

「うん、いまは楽しいよ」

「そう? 自転車に乗って、好きなことしてるから?」

「違う。自転車に乗るのなんて、別に好きなことなんかじゃない。ただ、おれが乗りたいだけ。乗ってみて、いろんなところに行って、いろんなものを見て来るのが楽しい。打ち込んでなんかないし、長く続けたいとも思わないけれど、楽しいものは楽しいんだ。そもそも何かに熱中して、上手くなりたいとか下手になったとか、わざわざ悩みたくもない」

 目の前にある満足をかき集めるだけで、おれは楽しい。何のためでもない。自分のためでもない。長々と趣味やら何やらに熱中するよりも、おれには性に合っている。『楽そうだ』と言われるなら、いっそのことそのとおり。『楽』だからおれはそうしているのだ。

 何も気にする必要なんかないじゃないか。

「悩みがないなら、気が楽でいいや。文句なんか言わせない」

 美波が戸惑う。

「それは、諦めたの? 開き直ったの? 改心したの?」

「ううん、全部。だってさ、悩んだところで、すぐに何か変わるわけでもないじゃない。悩んだ結果で変わりはじめるわけだからさ、変わる必要がなければどうでもいい。おれは変わりたくないもんね。楽しいんだから」

「一転してお気楽な発想になったよ、まったく」

「おれはもう気にしないよ。何を言われてもね」

「今度は『鈍い』とか『間抜け』とか言われるぞ?」

「いいじゃん、それで。ちょっと鈍いほうが気楽に決まってる」

 美波は呆れたように息を吐き、帽子を深く被り直す。すっきりした顔だった。満足げだ。

 でも、おれはもっとすっきりしたかった。いまは、まだまだ走りたい気分だ。

「きょうはもっと遠くまで行こうと思うから、そろそろ行くよ。またね、美波」

「最後まで敬語を使わなかったな、中学生。……メグは不思議だね。見ててすっごくもどかしいのに、いらいらしないもの」

「そうなの?」

「おかげで、赤の他人に話すこともないことをたくさん話しちゃった」

「別にいいんじゃない? どうだって」

 自然と笑えていた。清々しい、久しぶりの感覚。

 その気分のまま、自転車に跨った。道は遠くの方で大きな道にぶつかっているらしい。

「メグは悩まなくて正解だよ。悩んだら、その不思議な面白みが消えると思う」

「面白みなんてないと思うけどな。だって、悩んでいないと、それだけ熱中することもないから、個性がない。もはや何もないよ」

「だったら、最後にもう一回訊くよ。悩みって何?」


「……悩み? そんなもの知らないね。おれにはないもの」



 工場群の向こうに、再び海が見えてきた。その真上には太陽が輝いている。

 ほら、適当に生きていたって、きれいなものはきれいじゃないか。


 わざわざ悩んで苦労するようじゃ、毎日もったいないよ。


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