北――まだまだずっと
ここ数日雨が続き、日曜日のきょうもようやく午後になって晴れた。
晴れたのを見て、さっそくマンションの階段を駆け降りた。自転車に跨り、きょうは北に向かってみることにした。東にはもう行ったし、平坦な道の多い北ならば、雨上がりのきょうでも走りやすいのではないかと思ったのだ。
うろな町の北側は、いわゆる閑静な住宅街。うろな町の住民の多くは、このあたりの一軒家か、中心部のマンションに住む。北西の方には山から続く森が広がっており、特に自然の多い地域だ、と教えられた。
北の家々はうろなのパワーの源なのだ。
そのど真ん中にあるうろな北小学校には、ついこのあいだの三月まで通っていた。たった二か月なのに懐かしく感じるのは、いまが楽しいからなのか、いまが退屈だからなのか。
どっちだろう?
忙しいのではなく、ヒマなのでもない。不満なのではなく、満足なのでもない。焦っているのでもなく、余裕でもない。不安はない、自信もない。
でも、周囲の感想は『楽そうだ』である。その『楽』というのがなんだかよく解らないのだけれど、あまりいい気分にはならない。とはいえ、皮肉を言われて気に入らない、という気持ちとも違う。おれが『そうかな?』と返せば、それでもう引け目も苛立ちもすっきりするのだ。ひょっとすると、おれには『嫌』も『好き』もないのかもしれない。
とりあえず、好きなものでも探そうか? 趣味とか恋とか、そんなことをしてみようか?
でもやっぱり、付け焼刃に終わるんだろうね。
自転車を漕いでいく。
じとっとした空気は重たいけれど、気温が低いのでおれの足はよく動く。住宅街の中は人通りの少ないので、思い切り走り抜ける。でも、感じるのは快感というよりも『誰かに会わないかな』という期待とも懸念ともつかないもやもやした気持ち。
そうして走り抜けるうち、いつの間にか北端に達していたらしい。おれの家はあまり使わないが、ここにあるスーパーが目印だ。一区切りとして一休みにふう、と息をつくと、何だか満たされた気分になった。
交差点の時計を見ると、まだちょっとしか自転車を走らせていないらしい。
もう少し走りたくて、森を眺めて帰ろうと思いついた。西に針路を取り、今度は車の少ない道路を走った。
だんだん、道の脇に見える木々が増えていく。その木々の奥は鬱蒼とした植物で暗く、じめっとした空気もあって不気味だった。
不気味な先に、明るい茶色が見えた。
もう少し近づいて、首を伸ばして見てみると、その茶色は建物の屋根らしい。さらに進んでいくと、並んだ木々の奥に小洒落た木造の小屋がある。綺麗なログハウスの前には、これまた綺麗に、赤に黄色にピンク、いろとりどりの花々が咲いている。
こんなにも綺麗な外観は、喫茶店か何かなのだろうか? ついつい、吸い寄せられるように自転車を降り、近寄ってしまう。
言葉にならない、幸せな気分だった。
「あら、どなた?」
声が聞こえたので振り返ってみると、優しく微笑むおばあさんがいた。
「ごめんなさい、お茶までいただいて」
おばあさんに招かれ、テラスで紅茶を飲むことになっていた。ここはお店でもなんでもなく、ただの民家で、さっきたまたま見つけた表札には『山北』と苗字が書かれていた。背筋がピンとしていて、白髪も綺麗な、凛としたおばあさんだ。
「いいえ、時間があるならゆっくりしていきなさいな。自転車でこんなところまで来て、疲れているんじゃない? それに、ひとりでちょっと寂しかったし」
やはり優しく笑ってくれる。見ず知らずの子供に対してこんなにも優しいなんて。
そして、もうひとつ、びっくりしていた。
「ひとりってことは、この庭も全部おばあさんが?」
「そうよ。この歳になれば時間もお金も困ることはないから、すごく精が出るの。ちょっとずつ綺麗な花を植えて、こだわっているうちに、こんな庭になったの。どう?」
「すごく綺麗です」
「まだ若いのに、『花が綺麗だ』なんて感心」おばあさんは、何から何までおれを喜ばせてくれているような気さえする。笑顔のまま続けた。「じいさんが亡くなってもう十年は経ったかしら。毎日楽しいから、いつ、だなんて忘れてしまいそう。罰当たりね」
「え?」
ここで驚くべきではなかったのかもしれない。でもやっぱり、このおばあさんが旦那さんを亡くした生活をしているふうには見えなかったのだ。
それでも、おばあさんは笑みを崩さない。
「この家も庭も、あの人の趣味でね。でも、そのくせ不精な人だったから、わたしが世話をしてきたのよ。そのうち、庭いじりが好きになっちゃった」
「……寂しく、ないんですか?」
深く首を縦に振った。慈悲深い顔だった。
森の中にただひとり、小屋を守り続けるおばあさんの暮らしが頭の中に浮かんできた。毎朝早く起きて花に水をやり、午前中はお茶でも飲みながらテラスで花を眺め、午後にはまた庭をいじって世話を見る。そして夜は早くに眠るのだ。
見ると、家の中にも観葉植物が溢れている。家具も、木でできたものがほとんどで、自然ばかりの中で暮らしているらしい。
その自然が好きなのは、亡くなった旦那さんだ。
旦那さんを亡くした悲しみ、それがおばあさんになかったはずがない。なのに、おばあさんはおじいさんの趣味にはまっている。土をいじればいじるほど、花を咲かせれば咲かせるほど、おばあさんに悲しみが湧きあがっては来ないのだろうか? 毎日、もう会えない大切な人を思い出す――辛いのでは?
そんなおれの思索を、おばあさんはお見通しなのだろうか?
「全然、寂しくなんかありませんよ」
力強く、おれに言い聞かせるように言った。
「考え方を変えてみなさい。あなたは、じいさんが死んだときを思い出して悲しくならないか、心配してくれているんでしょう?」
「は、はい」
おれが戸惑ったのを見てか、声は少し柔らかくなった。
「なら、考え方を変えてごらん。ひとりで庭をいじるよりも、じいさんを思い出して、じいさんとふたりでやっている気分になるほうが、ずっとずっと楽しいでしょう? 花が咲けばじいさんの嬉しそうな顔が思い浮かぶ。じいさんが幸せなら、わたしも幸せなのよ。……まだ若いから、解らないかしら?」
おばあさんのまっすぐな姿に、おれはすっかり感心して、放心していた。質問には、適当に頷くだけしかできなかった。
「まあ、そうでしょうね。まだまわりのみなさんも元気でしょう? ……それでも、あなたはわたしが寂しくないか心配した。それは本当に、素晴らしいこと。あなたはすごく、優しい人なんだね」
「は、はあ……」また驚いた。おれが『優しい』などと、誰かから人格を評価されるなんてはじめてだったから。「その、ありがとうございます」
曖昧な返事をしてしまい、まずかったかと思ったが、
「お礼が言えるのも関心ね。遠慮会釈であんまりへこへこ謙遜するよりもいいことだわ」
何でも褒めてくれる人なのだろうか? つい、疑ってしまうほど、このおばあさんの包容力を感じていた。居心地が良かった。
そんな気持ちもおばあさんは察してしまう。
「うちはね、子供がいなかったから、あなたが本当に可愛らしく思えるの」
「そうでしたか」
「出会ってまだすぐだけれど、あなたが帰ってしまうと思うと寂しいわね」
「大丈夫ですよ」突然口を挟んだからか、おばあさんは少し面食らった。「このお庭が、おばあさんの子供たちですから」
すると、おばあさんは本当に嬉しそうな顔で、
「そのとおりね。分かってくれてありがとう」
自然と、顔が熱くなった。
「ありがとうね、手伝ってくれて」
お茶のあとに雑草むしりをちょっと手伝うと、おばあさんはとても喜んでくれた。歳が歳だから、雑草むしりも一日に庭全部はできないのだという。
「庭がすっきりしたわね。気持ちが良いわ。本当にありがとう」
「いいえ。若いですからどんどん言ってください」とても照れ臭かった。おばあさんは、どんなに小さなことでも褒めてくれるし、感謝してくれる。常に自分の気持ちを言ってくれるのだ。考え方を変えれば、おばあさんはいつも自分の気持ちを表現できるのだ。
羨ましい、と思った。自身を理解できているだけでなく、それをアウトプットできるだなんて。おれは自分の理解も乏しいのだから。
「優しい子だねえ。じゃあ、もうひとつお願いしちゃおうかしら」
「はい。次は何でしょう?」ただ働きさせられているのに、なぜだかおれは、作業がとても楽しみだった。
「ちょっとこちらへ」
そう言って、玄関の方に回る。そこには、植木鉢が並んでいる。
そのうちふたつ、細長い鉢を手に取る。そこには赤い花が少し狭そうに咲いている。
「狭くなってきたみたいだから、花壇に植え替えてあげて」
「え? いいんですか? 庭に植えちゃって」
「いいのよ。あなたは庭を気に入ってくれているみたいだから」
「なら、喜んで」
花壇の方へ移動する。
おばあさんの手ほどきで、手前の土を手で掘り起こす。おばあさんは根を傷つけないよう、なるべく手で植え替えをすると話す。土に触れたその手は、とても気持ちが良かった。柔らかくて温かい、何となく人間味のあるような土だった。
ゆっくりと鉢からひと株ずつ植え替え、周囲の土を整える。新居に移ったその花は、喜んでくれているような気がした。植え替えなんてはじめてなのに、そんなちょっぴり傲慢でもある充実感。いままで毎日、花を植えていたような気分。懐かしい思い。日常のことはすっかり忘れていた。
「どうかしら? 植えているほうも気持ちが良いでしょう?」
「はい、とても。これが毎日できるなら、きっと寂しくなんかありません。むしろ、楽しいと思います」
「そうそう。楽しいの。じいさんの好きなことだったから、なおさら」
「おじいさん、おれが花を植えて、喜んでくれていますかね?」
「ええ、とっても」
おれは植えた花を眺める。
見たことのないはずのおばあさんの旦那さんが、おれに向かってお辞儀をしているように見えた。『はじめまして』と言ってくれているのだろうか、それとも、おばあさんと同じ『ありがとう』だろうか? それならば、おれも返事をしよう。『はじめまして』であり、『どういたしまして』でもあるように。
ゆっくりと、丁寧に手を合わせた。
自転車を走らせる。北のこの道は途中で南東に向かう大きな道に入ることができ、中心部へ行くことができる。その道がぶつかる丁字路で傾きかけた日に対面し、背を向ける。
手を合わせたあと、おばあさんは震えた声と潤んだ目で『ありがとう』と繰り返していた。そしてやはり、おれを『優しい子』だと褒めちぎっていた。
でもやっぱり、おれ以上に優しいのはおばあさんだ。おばあさんは旦那さんを愛し続け、旦那さんの愛した自然をいまでも愛している。
素晴らしい関係だ。姿がそこに見えなくても、想い続けることができ、自然を愛することで旦那さんへの愛を常に確かめている。きっとまだまだずっと、絶えることも変わることもないのだろう。
できることなら、おれもそんな人を見つけ、趣味を共有したい。ひとりになっても、ひとりにしてしまっても、その趣味が続くような関係性。いままで感じたことはなかったけれども、いまは素直に憧れる。
難しいだろうか?
でも、おばあさんはおれを『優しい』と繰り返していた。ちょっとだけ、生きていることに自信が持てる。素敵な人を見つけられるんじゃないかと、期待できる。もちろん、己惚れるだけではなくて、おれもおばあさんのような、包容力のある人間にならないと。
『楽そうだ』ではなくて、『楽しいね』と言われるように。
おれがまだまだずっと『優しい』ままであれるように。
本当に好きなものを見つけ、愛し愛されるように。
振り返ると見える夕日が、おれの胸をいっぱいにした。




