【壱ノ壱】 英雄/由緒正しき桃太郎
はて、萌えとは一体なんだっけ?
こんにちは。冗談は抜きの方で萌えの在り方を忘れてしまったかもしれない作者です。構想していたハーレム話ではなく醜い男二人が罵りあうだけの、とてもシュールで単調な一話になってしまいました。ですが裏を返せば読みやすいテンポの良い物語ってことですよね。ね!
覚束ない文章ですが、最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
『正義』の二文字を具現化したかの性格、そして行動、もしくは理念。万民の訴えに微塵でも疑惑の念をもたず、それが自分に課せられた使命なのだと素直に受け取った幼き記憶。やや比喩がみすぼらしいが、拙者は他人から崇拝されるような英雄ではなくて、まさに使い勝手の良い、新品の傀儡であったのだ。
いつのまにか、背中を押していた無数の手と声援は闇の彼方へと消失し、まるで自分がそう望んでいる――悪鬼を殲滅する行為を自ら進んで行っているかのような。ふと気が付けば、そうなっていた。
だがしかし、気付いたところで拙者は特別なアクションを起こしたわけではない。ただ剣を振るい、無造作に悪鬼を切り捨てた。体中から漲っていた、溢れ出ていた正義感も、その時を境に潮が引いていった。
結果、得たものは莫大な財宝と名誉ある勲章。失ったものは――ない。大切な者を失ったわけでも、鬼を追い払った後のターゲットは拙者であり、都から出兵した、正義という旗の下に拙者の首を狙って大軍が進行してきたとか、そんな物語的に盛り上がりそうなことは、ない。本当に、なにもない。
虚無感に似ているが、やはり違う。異なる。もっと異質な、例えようのない物侘しさ、いや、それでは例えてしまっているじゃないか。例えられない心情なのだから例えてしまっては矛盾が生じ、タブーの烙印を押される。それは困る。
他人の命令ともとれる懇願ともとれる台詞に従順し、同情に値しない悪鬼を斬り倒し、それ相応の見返りを受け、拙者は生きている。心には穴どころか、移住民族が核家族世帯での生活が可能なほどに、洞窟の如く空虚なスペースが出来上がっている――例えられない心情と数行前に記したのだが、やはり拙者の『今』を語るうえで適度に掘り下げる必要があった。なので矛盾覚悟で記述させてもらった。
何故なのだろう。どこにも、見渡しても、頭を捻っても、自分の不利益となることは無いのであるが。何故なのだろう。この気持ち悪い、表現の仕方によっては不快ともとれる、これは何故なのだ。
そんな、遅すぎた疑問を持っていた時期も光陰矢のごとし。解決せぬまま数年を費やした。惰眠を貪った。ただ農業に明け暮れた。
土と生活するのも楽しいものだぞ。朝日が昇れば起床し、汗水垂らして食物と家畜の両方に愛情をこめて、粗食して、月が昇れば布団に入って眠る。Simple is best。この外来語が実によく当てはまるでござる、うむ。
大根、鶏、川魚といった愛くるしい奴らを前に、いつ日か悩んでいたことが馬鹿らしくなり、余生は祖母と共に村の開拓計画を綿密に進めたいと本気で胸を躍らせていた。『土に笑う』みたいな、そんなエッセイを出版しようかなと密かに狙っていたでござるが、あわよくば感覚なのでがつがつ推す真似はしないでござるよ。自重でござる。
一丁前に人生を語る、この世に生を受けて未だ20年の若き侍。
侍もどき『桃太郎』の住む桃の里へと『月の都』から鉄砲玉のように駆けた、汗だくの使者が到着するのはそう遠くない、時に換算すれば数分後の話。彼の、のほほんとした人生を左右する重大な『言伝』を携えて。
★ ☆ ★ ☆
我ながら、この上ない最上級の勧誘お断り文句で、まさに取り付く島もない名言だったな、と桃太郎は内心感無量の余韻に浸っていた。
「桃太郎殿……? 失礼ですが、今なんと?」
恐らく桃太郎に発言を再度促している着物姿の男は、きちんと彼の言い渡しを訊いたうえでの返事であろう。一言一句に神経を研ぎ澄まし、耳を澄ましていた男は信じられない、きっと、絶対、自分の聞き間違いなのだと藁にも縋る思いで食いついてくる心情を、桃太郎は鮮明に理解した。
正直、鬱陶しいと耳を塞ぎたい反面に、申し訳ないと罪悪感に駆られるのが本当だ。だが手を抜けば、というか妥協すれば自分は男の要求を呑むことになる。それだけは勘弁、ひいては御免こうむる。
そこまで怒ってはいないのだが、あえて僅かに苛立っている風を装い、桃太郎は演技を入れ、身振り手振りで男に話した。
「気が済むまで幾度でも申しましょう。拙者は日焼けの代償である背中の皮剥けがまこと悲惨ゆえ、休養も兼ねて夏場は山にも海にも赴かず家でダラッとするのが日課でござるのだ。そなたの頼み、断らせてもらう」
「そ、そんな理由で御座いまするか!!」
「そんなとは少々無礼でござる。背中の悲惨は身の悲劇と格言まであるでござるのに」
嗚呼。今日も今日とて呂律の回る日だ、と桃太郎は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「そなたの顔も立てたいのでござるが、如何せん背中がマジでね。ちょっとね。さあさ、お引き取り願おう。まあ日焼け止めの薬でも持ってれば話は別でござったが――」
「偶然にも手前、懐に新品の日焼け止めを仕舞っていたでござる。いやー、なんて幸運。万事解決でござる!!」
「ちょっと待て、タンマ」
そんな偶然ってあるのか。むしろ幸運ではない不運だ。
「さあ、遠慮なく塗ってください桃太郎殿。手が届かぬようなら、及ばずながら拙僧が塗って差し上げましょう。ぺたぺたと、骨の髄まで!」
「あいや待たれい。どうやら治ったみたいでござる」
「瞬時に完全治癒でござるか!? ピッコロでござるか!?」
「初対面の健康体である人間に対し、年齢だか性別だかを捏造しても到底辿り着けない異業の者と拙者とを同じ扱いにしないでもらいたい」
いや、病を患う人相手でも失礼だろ、と自分で言い終わってから気付いた桃太郎には、全身余すところなく男臭い輩に裸体を貸し出す趣味は無い。彼なりにオブラートに包み拒絶する。オブラートに包んだところで対話が苦手なため、中身が丸見えのサランラップで包んだほどの適当な返しになってしまったが。
「そうですか。ところで、ならば不祥事は解消したようでござるし、要件のほどの、良い返事をお聞かせ願いたい」
笑顔から一転。本来の役柄に顔負けしない威圧とオーラとを漂わせ、思わず桃太郎をも気押しするほどに語尾を強めた、この男。
我々は客観的に分析し、薄汚い着物と草履の鼻緒を纏っているため一見しては乞食と一蹴するであろうが、天下に名高い、一時期は有名人、時の人となった桃太郎と対等以上の立場でコミュニケーションを図れることに疑問を持たなくてはならない。男は何気に場慣れしている。振舞いも、表情作りも。少なくとも、桃太郎よりも、ずっと。
ゆっくりと、語弊のないよう、今度こそ断り切れないよう唇をはっきり動かし、桃太郎に問う。
「手前を使わした『かぐや姫』が滞在なさっている――聞いたことはござらぬか、『月の都』へと足を運んで頂きたい。どうか、この通りでござる」
頭を深々と垂れる。はあと溜め息をつき、桃太郎は後頭部を掻き毟った。
☆ ★ ☆ ★
土下座したきりぴくりとも動かない、この男。嘘偽りのない証言であるならばかの有名すぎる、様々な分野でトップクラスの栄光を掲げる『月の都』から馳せ参じた使い魔だというのだ。
疑いようにも、嘘をついているように見えない。偽っているようにも見えない。
そもそも軽率にそのような戯言を述べようものならば、どこからともなく現れた役人の手によって、瞬く間にお縄につかされ、幸運に恵まれようとも二度と歩行の利かない体となってしまうのだから、本当のことだと割り切るしか無い。寝間着で脇差の一本でも装備していない自分へと、敬意を払った態勢で懇願する者が本物の都からの使者であると、認めざるを得ない。
ともなって彼の要求、『異形な化け物と連合を組んだ悪鬼の群れに対抗するべく、猛者の集いし連合軍に加担してはくれぬか』の発言も、追求したい複数の箇所を差し置いてでも、ありのままに信じるしかないのだ。
過去に、自分が完膚なきまでに叩き潰した鬼。そして予期せぬトラウマを与えてくれた鬼。憎むべき鬼、滅ぼすべき鬼、人間からの害悪でしかない鬼。その鬼が蘇り、暴れている。
風の噂程度には聞いていたが、まさか真実である可能性など片時も考えなかった。もしかすると、考えたくなかった、のかもしれない。
「かたや、その鬼と手を組みせし異形の者とはピッコロの事ではござらぬのだな?」
「お戯れを……。そのようなことを本気でお考えなのですか愚図」
「愚図?」
「あ、大変失礼いたしました! 愚鈍でござった!」
「ニュアンス的には大差ないでござるな。もう一度問い質せば何てほざくのでござるか」
「愚者、もしくは愚民でございます」
土下座しつつとは思えない罵詈雑言だ。びしりと額に青筋が浮かぶ。
「一応聞いておくでござるが、そなた、拙者を阿呆呼ばわりする腹積もりで我が家まで押し掛けたでござるか」
「いかにも」
刹那に頭がフリーズしたが、つまりこの一連の応答によって都からの使者は桃太郎をわざわざ阿呆呼ばわりするために、遠路遥々やってきたことが正規となる。
「ほんの冗談にござるよ。ユーモアでござる、ユーモア」
覚えたてと思しき外来語を覚束ない口ぶりで話し、目上をからかうあたり、この男は礼儀に精通しているのかどうなのか前言を撤回してでも審議せねばなるまい。とりあえずこの場面だけを切り取ればただの乞食に成り下がるわけだが、きっと少し前から切り取ってもただの乞食だ。良く言えば無駄に話し言葉が達者な乞食で、悪く言えば減らず口の乞食。おっと、どっちにしろ乞食だ。
むしろここまでさげずむと乞食に大変失礼な気もする。
「かような今一つキレに欠けるギャグしか披露できない拙僧を、その家族を、そして何より姫様を守る意味でも御加勢願いたいでござる。この通りでござる」
「この通りって……土下座の体勢から土下座の態勢へと、一ミリも移行しないのでござるか」
「よく見て下さいでござる。やや尻が突きあがってござるからして」
目を細めて見れば微弱に尻が揺れている。かなり不愉快である。
「そんな IQサプリ並の難易度の間違い探しでアピールされても分からんでござる。というか徐々に、拙者もそなたも口調の似非侍っぷりが酷くなってきたでござるな」
「どんな台詞でも最後に~ござるって付属させとけばそれっぽいアレになると、作者の浅はかな考えが浮き彫りにござるな桃太郎殿。笑止!」
「焼死? さすがに罰が重すぎでござる、使者殿」
「少子? 現代社会の問題に対する何たるかを語るでござるか?」
「え、なにが?」
「桃太郎殿? どうなさいました?」
どうにも会話が噛み合わない。こほんと咳払いをし、顔を上げた使者へと桃太郎は語りを始める。重々しく、所々言葉を支えさせるも、自分なりの回答も見出せていない、過去に体験した己の鬼退治に出向いた時の気持ちをだ。
「まず先んじて、全くと言っていいほど拙者は鬼退治に精を出すといった意向に力を注ごうと考えられないのでござる――というのも、過去に一度身をもって体験して、重々その複雑な境地を体験しているでござるからな」
「はて……境地とは」
興味を惹かれたようで、使者が身を乗り出した。
「いやはや何と申しましょうか、読んで字の如くとでも茶を濁しましょうか。二進も三進も複雑な境地は複雑な境地でござって、脱力感だとか、無力感だとか、虚無感だとか、そういった類の意味合いに限りなく近いが、やはり違う――気怠い、協力したくない、そんな表現がもっとも近しいでござる」
「つまり桃太郎殿――なにかしらの私怨が都にお有りでござるか?」
「断じてそうではござらん。私怨の気が毛頭なければ支援する気も微塵もない――これにて、拙者の答えは包み隠さず全て、はっきりと告げ申した所存」
「ええ、はい。歯痒いですが拙僧としても、はっきりと告げ申された所存」
桃太郎自身、この主張が不得要領であるのは自覚している。終始曖昧で、最後の部位だけを力強く否定しただけで、根本的な謎は解明されぬまま場の空気はそこはかとなく御開きの方向へと流れる始末で、使者の言葉もどことなく投げやりになっている。
なんだこの男は、拍子抜けだと口では語らないが、かなり高い確率で都の使者は桃太郎を心中罵っているのだな、と悲観的に桃太郎は考える。改めて口頭でつらつらと、この紐解きがたい気持ちを表現しようとするとこんなにも気疲れするとは思わなかった。頭痛まで催す。
静かに、音もなく立ち上がった使者を見て、これで論争は終わったのだと実感する。
「それでは桃太郎殿。行くか否か――じゃんけんで決めるでござる」
「それではとはどれのことでござるか!?」
突拍子もないことに、普段は上げない大声を部屋中に拡散させてしまった。
「それではと申したらそれではでござる。他意はござらん。真意は闇の中でござる」
「真実じゃなくて真意は闇の中って、それじゃただの考えの読めない怪しい人間でござるよ!! あ、まさにその通りの男が目の前に!?」
考えの読めない怪しい人間=都からの使者(自称)
「常に真実を追求してはならない。時にその旺盛な好奇心によって足元を掬われるのだから」
「ツッコミポイントが豊富にござるが、まずはその慣用句の微妙な間違いを正すことをお勧めするでござる」
「なにが間違っているでござるか! はて、皆目見当がつかんでござ――あ。他人のケアレスミスを指摘するなんて非道徳的にござる!!」
「気付いたなら素直に負けを認め、正すのも勇気」
「桃太郎殿のような愚劣な輩が教師になると、英語の定期テストなどで文のラストに“.”を付け忘れた程度でペケをつけるにござる!! 最低の行いでござる!! まさに愚行!!」
「それは小学生側の言い分でござる。社会ではその小さなミスが命取り、まさに足を掬われるでござるからして」
言葉に詰まったようで、うっと呻いたかと思えば使者が懐から取り出したのは一本の筒。
「あや。手違い」
日焼け止めを板間に置き、やっと取り出したそれは、どうしてかやはり紙を丸めただけの、一本の筒状の巻物である。首を傾げる桃太郎はさておき、その書物をずいと体に近づけた使者は得意げな顔つきである。
ふと過ぎった桃太郎の考えだが、双方の体と顔とが密接するかのポージングになると、望まずとも悪代官と裏商人とが密会を開いている時代劇のワンシーンが完成してしまうので、不快なものであった。
対照的に口をへの字に曲げる桃太郎へと、秘密話を打ち明けるような――というか秘密話なのだが、一方的に、使者はまるで無垢の少年のような眼差しで――実際には無垢な少年とは似ても似つかぬのだが、耳元で囁く。
「たかが一冊のこちら……警戒に警戒を重ねる都の警備を掻い潜ることの出来る、唯一の入国許可書にござる。門番を務める者にこれを見せ、義勇兵に参じた者だと言えば通行は安易にござる」
「ほう、左様でござるか」
「こちらは近隣の大商人でも扱っていないような上質な高級用紙を使い、さらには姫様の手書きで内容を認められました、超のつく限定品にござる。お分かりかな? 桃太郎殿?」
興味本位で巻物を一読しようと腕を伸ばす桃太郎の指が、まさに触れようとした瞬間に使者はくるりと回してそれを懐へと仕舞い直す。べえ、と舌を出す。桃太郎が苛立ったことに関しては特筆せずとも分かるであろう。
この場で帯刀していれば流血沙汰の危険性も考慮したのであったが――残念ながらといったら物騒になるが、運が悪くも桃太郎は寝間着姿であり、侍という観点からすれば他者に無害の甲斐性なし同様である。
どうやらこの使者、拙者が危害を加えないとでも高をくくっているのか、と苛立ちを募らせるも、のらりくらりとマイペースを崩さないだけの男が、そのようなやり手とも断定し難い。桃太郎の心中を知ってか知らずか、蓋し知っているのであろう使者は懐に手を突っ込んだまま、こう付け足す。
「この巻物を賭けて急遽開催が決定されました無礼講――手前との真剣じゃんけんぽんに挑んで頂きたい。従来のルールに則り、手前が負けますれば桃太郎殿は入国許可証の所有権を受諾する権利を有され、晴れて義勇軍の一員にござる! やったな!!」
「さすれば使者殿、拙者はパーを繰り出すゆえチョキにて迎撃してもらいたい」
「あらかじめ手の内を対戦相手に強要するとは、不正行為でござるぞ!!」
「ああ、失敬。不正扱いにより拙者の敗退は決定でござる」
「はっはっは、素直に負けを認めたでござるなあ。これにて入門許可証は手前の所有物に――っておい!!」
人類初、ノリツッコミの瞬間である。
「どうしてでござるか! 何故に桃太郎殿はそのように捻くれて居られるか!」
「だから、度々申しておるが、鬼退治に手を出したくないのでござる。そろそろしつこいでござるな。これ以上、拙者の家に不法滞在を行使するつもりなら役人を呼ぶでござる――条例によって裁かれろでござる!」
どこぞの某裁判ゲームのように人差し指を使者へびしりと指し、食い下がる相手の出方を窺う。ちなみに役人を呼ぼうにも、桃太郎の住む村からこの上なく近い街へ移動するに丸一日を要するため、あくまでも最終手段として残しておきたいところ。
ところで肝心の使者の反応。好からぬことにぴんと来たようでとても似合っているドヤ顔で、びしりと桃太郎に名指して語る。ははーんと前置きをした。
「桃太郎殿。手前がみすぼらしいなりをしており――尚且つブ男の為に協力的になれないのでござろう? そうでござろう??」
「なにを言っているんだ、そなた」
「万が一、億が一にも眼前の使者がグラマーな金髪姉ちゃんであったなら二つ返事で引き受けたでござろう? そうでござろう??」
「はあ……」
「不埒でござるな」
「はあ!?」
なんと驚くべきことに、お初にお目にかかった赤の他人同然の――もしかすればそれ以下の新密度を誇る使者の豊かな妄想力により、不埒のレッテルを貼られてしまった。
「いやー、桃太郎殿。それはエロい。エロ大魔王。スケベ侍。生理的に受けつけないでござる」
「貴様! いい加減にせぬと斬り捨てるでござるぞ!!」
「え、なになに。斬り捨てるって桃太郎殿の愛刀様直々にござるか? 愛刀って生殖器のことでござるか? ならば斬り捨てるではなく――突き挿れるが正しいのでは?」
「おいこら! これ全年齢対象でござるぞ!! ドヤ顔を止めるでござる!!」
ど、どれほど斜に構えればこんな解釈に至るでござるか……。ってか突き挿れるって造語をぽんと放り込むあたりが実に腹立たしい。
「桃太郎殿。気持ちは嬉しいのでござるが、折悪しく手前は――何を隠そう嫁と吾子を持つ立派なパパなのでござる。すまぬ」
「ごく自然な流れで拙者をホモ扱いするなでござる! あと自称立派なパパは大概が子供の本当の気持ちを理解していない、薄っぺらな自尊心に驕っているだけにござるからな――この愚夫!」
「傷心したでござる。手前、深々と傷心したでござる。傷心して意気消沈でござる。入国許可証を受け取って下さらないのであれば、率先して切腹するほどに傷ついたでござる。さあ受け取れ」
「一瞬でも言い過ぎたかなと反省した拙者の善心を返せ!」
「手前、死んじゃうよ? お腹、掻っ捌いちゃうよ?」
「その辺の悪徳商法よりずっとタチが悪いでござるよお!! これって脅迫罪に含まれるでござるかな!?」
「ああー、もーだめだわ。さばくわ。バッサリいくわ」
「散髪感覚!?」
こんなにも怒声を上げる厄日とは我が余生に二度と巡り会わないよう切に願う。
「はっは。ユーモア、ジョークでござるよ。躍起になりすぎでござるぞお、桃太郎殿」
からからと笑う使者に殺意とも酷使した念を抱くが、ざんざっぱら切腹を慣行されずに面倒が収まったので、これはこれで良かったのかもしれない――否、散らかった十二指腸の掃除さえ我慢すれば義勇兵のお誘い話も終了していたのだろうから、ここで使者を止めるは得策ではござらんかったかな、と主人公を降板されそうな、思い切りの良いことを内心思うも、うっかりにも口外してはいけないので、口は固く結んでおく。落ち着け、と自分で自分に言い聞かせて。
ところで満足したようで、愛着の湧く笑顔を浮かべた使者は――訂正しよう。前後のやり取りに後ろ髪を引かれているため、どうしても愛着は湧けない。小憎らしい表情で、使者が脱線した話題を転換させる。
「では、桃太郎殿。待ちに待ったといっても過言ではない――ぶっつけ本番のじゃんけん、一発勝負で雌雄を決するにござるぞ。異存はございませぬな?」
「異存があると申したら?」
「無論。さばくでござる」
性懲りもなく切腹でござるか。まさに好機、好都合でござる。
「異存が大アリでござる!」
漫画ならば背景に集注線演出が施される勢いそのまま、桃太郎は声を張り上げた。しかしこの台詞、暈してあるけれど直訳すれば『死ね』という意味になる事を忘れてはいけない。過去に世界を救った英雄が都の使者に対して痛罵したことを、忘れてはいけない。
あ、ちょっと待って。やはり忘れて欲しいでござる。記憶のメカニズムを破損させてでも忘れて欲しいでござる、と桃太郎からのお願いです。
それはそうと使者からの返事であるが、
「そうか。それでは――じゃーんけーん」
「は、話の流れをさばかれた!?」
詐欺師もびっくりの手法で桃太郎をいなし、節くれ立つ、やけに切り傷の目立った拳を差し出した。 しっかりと指を折り畳んだ、もはや芸術の域に達して申し分ない――非の打ちどころがない、ただのグーである。チョキに勝り、パーに劣り、グーとどっこいどっこいの、グーの姿がそこにはあった。
それを迎撃しますは東の横綱、桃太郎。私達にどのようなドラマを見せつけてくれるのでしょうか、胸の高鳴りが治まりません。これまでの流れを踏まえましても比較にならぬほど、ひときわ楽しみな一戦です。
当たり前だが賑わいを見せるはずもなく、零コンマ数秒ほどで決闘は幕を閉じたのだが。
「あれ……負けた!!」
桃太郎が反射的に選択した形――それは勝利のVサインとしても愛されるフォルムであり、蟹の業界でも知らぬ者はいない、それほど有名な形。
二本のそそり立つ指が描く直線美に目を奪われがちだが、実際に注目すべきは薬指を健気に支えている親指の親心であり、何気なしに垣間見ることの出来る模範的な指の家族愛そのものが主体となった、完成形体である。また、疎外されていると頻繁に勘違いされるのだが――必然的に離れた位置で陣取ることになる小指へ、賞賛を贈ることを失念してはならない。小さな体ながら小指は親指から独立し、自己流の生き様を全うするため日々努力しているのだ。嘘だけど。
結果をばっさりと洩らせば、桃太郎がチョキで使者がグーであった。それだけの話。
「あーあー負けてしまったでござるなあ。悔しいでござるなあ。これでは入国許可証の所有権は金輪際もらえぬままでござるかあ、至極残念でござるー」
棒読みも甚だしい声色で、心中と真逆のコメントを述べる桃太郎はとても嬉しそうだ。とても嬉しいに違いない。
こんな用語は存在しないのだが――今の桃太郎の表情の名付け親となるならば、『鬼気迫る』を弄って『嬉々迫る』といったところだろう。お似合いだ。別名『にやける』でもいいな。分かり易いので。
「流石でござる。桃太郎殿」
使者が拍手。あれれと僅かに混乱する桃太郎を、讃える。
「手前の『愚』ごとき、桃太郎殿の『痴奇』が相手では風の前の塵に同じ――完敗でござった。実に鮮やかなお手並み、お見事――強者と認めざるを得ないでござるな。感服でござる」
「なんでござるかその寒気がする『痴奇』とは!? きもっ!! 怪奇現象の一種!? はたまた伝染病!? 怖っ!!」
「優勝証書授与――入国許可証、贈与。ちゃーんちゃーんちゃちゃーんちゃーん」
「ちと待たれい!! そんな横暴がまかり通るわけなかろうが!?」
「ちゃちゃちゃちゃちゃん、ちゃん、ちゃーん」
「ミュージックストォーップ!! 勝手に感極まった顔をするなでござる!! どこのなんちゃって卒業式でござるかあ!!」
その時である――桃太郎の怒声など霞んで目移りしてしまうほどに大きな、声と比喩するには些か乱暴な、桃太郎当人にとっては二度と耳にしたくなかった聞き覚えのある『雑音』が満身を震わせるほどに突き刺さった。
びくりと目を見開く二人のいる桃太郎の家まで届く『雑音』の音源は――村の入口方向からだ。危険を察知した時すでに遅く、堰を切ったかのように連続する『雑音』『騒音』『鳴き声』。単発ではない。音源は数発。聞くに堪えない――腹の底にずしんとくる。
入り混じって轟くは人間の甲高い悲鳴。我が家まで到達するほどの近場から聞こえるということは、まず間違いなく同じ村の村人が上げている悲鳴。母国語ならば危険信号、外来語ならSOS。
いずれにせよ桃太郎の顔の筋肉が歪み、『鬼気迫る』表情となるのにカウントするような時間はかからなかった。
「この声は……まさしく『悪鬼』の咆哮」
断言するのに駆使した証拠は特徴に長けすぎているもので――それは狂犬染みた叫声に、恐れ戦く人々の声。数年前には毎朝の目覚まし代わりに耳にした、声に声が重なったけたたましい重奏である。
「も、桃太郎殿?」
「使者殿、勧誘の件は後回しにお願いしたい――ひいては悪鬼の群れを蹴散らすに全力を尽くす所存にござる。ここでしばらく腰を据え、お待ち願いたい」
「承知した……にござる」
鬼退治から足を洗ったといえども、使者の頼みを無下に拒絶し続けたといえども、ここでだんまりを決め込むわけにはいかない。そこに義勇兵への参加意思は関係ない――村人を見捨てることに抵抗を感じるだけだ。
以前の鎮圧から一変、暴徒と化した悪鬼の群れを村から追い返してやると意気込む。敵が何人で隊を組もうが徒党を結成しようが、全力をもって叩き潰さねばならぬのだ!
「その前に着替えなければならぬ。拙者の桃印の羽織と刀はどこに置いたでござったかな」
「ずこー!」
あー、そうであったそうであった。羽織はあそこ、刀はあっち、小道具は――そういえば『犬千代』『猿飛虎』『雉丸』は異変に勘付いたでござろうか。
頼もしき仲間(だと拙者は信じている)である三人の呼称と容姿を思い浮かべ、心配する反面、自分の身支度に精を出す桃太郎であった。
「桃太郎殿。くれぐれも油断は禁物でござるぞ――もしも貴殿の身に不幸がふりかかれば、手前は、手前は、悔いても嘆いても懺悔し切れぬほどに胸が張り裂けんばかりに悲しみに明け暮れ――」
「拙者を都に招待できなかった不祥事を上官から叱られるでござるからか?」
「的を射た見解、おみごと。今後も力を揮えるよう、ほどほどに頑張るでござるぞ」
有難い助言を背中に受け、わざと片腕を紛失させれば使者は引き下がってくれるのかな、と狂気に満ちた作戦を練る桃太郎であった。実行しないことを願う。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ややコメディー寄りのファンタジーとして如何でしたでしょうか?
お手数ですが、感想、評価、誤字報告の程をして貰えましたなら大変うれしく思います。狂喜乱舞します。ええ、本当に。
縁やら所縁に恵まれましたら、次回もよろしくお願いします。