プロローグ
「いいか。お前はあと10年もすれば神崎の為に西園寺に嫁ぐ事になる。今から覚えておけ。
お前は神崎の為だけに生きろ。自分の意思を持つな。西園寺の長男である男以外との接触も禁止だ。余計な感情をもたれては困るからな。」
神崎コーポレーションの現会長である男が実の娘を見ているとは思えない程の冷たい瞳で、まだ8歳の少女に語りかける。
それがその少女が初めて父親の顔を見た日、そして初めて聞く父親からの言葉であった。
あれから10年の月日が経ち、神崎鈴は名門女子校を今年の春卒業する。
卒業後は彼女の父親の言葉通り、”西園寺 紡”という10歳年上の男の妻になる。
いよいよ明日に卒業式を控えた日、彼女は家の自室から庭師が手入れをしている優美な庭に照り注ぐ真っ赤な光を見つめていた。
静かな部屋の中、彼女の口から紡ぎだされた言葉が響き渡る。
「ごめんなさい・・。私はお父様の駒にはなれない。」
苦しさ、諦め、決意。
様々な感情が入り乱れる彼女の瞳は、ひと雫の涙と共に静かに閉じられたのであった。
月が静かな闇夜に光をもたらす頃。
鈴はベッドから立ち上がり窓に近づき、月を見上げた。
「着替える時間はある?」
誰の姿もない部屋の中で、月に向かい言葉をかける鈴。
すると、霧がかかった声が静かに鈴に答えを返した。
『早くなさい』
厳しさを含みながらも、どこか温かい女性の声。
「わかったわ。」
それから暫くしてシンプルな白いワンピースに着替えた彼女は、月の光が差し込む窓辺に立ち静かに月を見上げる。
「ルシア・・・行きましょう。」
迷いなく告げる彼女にルシアと呼ばれた女性、月の神はどこからともなく彼女の側に現れた。
長い金の美しい髪を一つにくくり、黒い服で身を包む姿は静かな闇夜に映える月の神らしい容貌であった。
『あんな男でも父親だ。手紙ぐらい書き残さなくて良いのか?』
そんなルシアの言葉に鈴は微苦笑を浮かべ微かに首を横に振る。
「私がいなくなった事に気づいても神崎の為・・いいえ、お父様にとって利益とならなかった
私をここまで生かした事を後悔するだけだと思うから・・」
家族というものを感じる事がなかった今迄の時間に寂しさと悲しみを覚えながらも、鈴は迷う事なくルシアの言葉を否定するのであった。
ルシアはそんな鈴にそっと手を伸ばし、鈴の手を握る。
『例え・・向こうの世界に行ったとしてもお前の愛する男はお前という存在を憎んでいる。良いのか?』
鈴は握られた手を強く握り返し、美しく、そして一点の曇りも無い微笑みを示した。
「えぇ、あの方の側で生きる事が出来るのであれば私はそれだけで幸せよ。それに、私はあの方の力になれるのでしょう?」
『向こうの世界に行けばお前は私の力が使えるようになる。それが”月華”だ。』
そのルシアの言葉に鈴は笑みを深くした。
「言ったわよね。私の”月華”としての使命は、キース・・いえ、アルキシン陛下を守りアルキシン陛下の為に生きる事だって。」
『・・そうだ。地球ではお前は父親の為に生きる事を強制された。そして向こうの世界でもお前は自分の為には生きられない。』
これまで全く表情が変化しなかったルシアが初めて悲しげに瞳を細めた。
「ルシア・・違うわ。私はあの方に出会って初めて自分の人生に意味を見いだせたの。
初めて”幸せ”という気持ち、そして誰かを”愛しい”と思う気持ちを知ったわ。
だからね、彼の為に生きる事は私が自分の為に生きる事と一緒なの」
心からの笑みを浮かべ言葉を繋ぐ鈴に覚えた悲しみをルシアは自分の胸の中に隠した。
『私はお前が幸せに暮らせる事を祈っているよ』
「・・ありがとう」
ルシアの言葉の意味を鈴はよく理解していた。
ルシアが自分の為に悲しんでいてくれることも・・。それでも鈴にとって、さっきの言葉は本心だった・・・。
初投稿です。これから頑張ります!




