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九十九

――自惚れちゃったかな? ジュンは強いひとだからそんなことしないわよね。でも、どうしてもそれだけを伝えたくって……。

 自惚れてなんかないさ。君の声がなければ俺はとっくにそこから飛び降りていた。在りし日の紗江子が眼の前にクッキリと像を結んでいた。

――約束を果たせなかったこと、いっぱい迷惑をかけてしまったこと、我儘で困らせたことに、ごめんなさいと言わせて下さい。最後のごめんなさいです、怒らないでね。

 怒るもんか、俺は何度も首を振った。

――料理は得意じゃなかったけど一度だけ作ってあげた朝食を、あなたはとても美味しそうに食べてくれたわね。いま、それを思い出しました。たった一日だったけど新婚夫婦みたいな体験ができて嬉しかったです。

 俺は堪え切れずに声を上げて泣いた。誰が聞いてようと構うもんか。

――ジュン、あたしは幸せでした。長くは生きられなかったけど、あんなに充実した時間はなにものにも代えがたい経験です。誰もがあなたと巡り逢うことのできないこの世界で、あたしはあなたと出逢い、たくさんの愛と幸せを受け取りました。あなたがよく口にしていた遺伝子が求め合う恋愛、あたしはあなたとそんな関係でいられたのかな。あたしの告白を聞いてくれた後、キスをしてくれたことを覚えていますか? あたしのなかの哀しい記憶を全部、奪い去っていってくれるように感じられました。あなたの顔、声、温もり、口癖、首の下のほくろ、全部、忘れません。生まれて初めてのバッティングセンター、楽しかった。美味しいものもいっぱい食べたわね。チェンジ・ザ・ワールド、素敵でした。あたしが星になっちゃうけど、ベガからあなたを見守ってます。愛に臆病にならないで下さい。傍にいられなくても、ずっとずっと、ジュンを愛してます。

 胸を打つ言葉という表現がある。俺はこの時、全身を打たれていた。

――みなさんに伝えたいことも録音しました。祐ちゃんに渡してあります。聞いてもらえると嬉しいです。お葬式はしないで下さい。忙しいみなさんに悪いわ。お経だってわからないし、難しい名前にされちゃうのはあたしでなくなるみたいで嫌です。ジュンにとってはいつまでも紗江子のままでいたいから――。ジュンのおうちのお墓にいれてもらえるのかな。お父様と坊やに逢えるといいな。

 いれてやるさ、いなくなってなお、俺に死を思いとどまらせてくれた君なんだ。どんな頼みだって聞いてやる。

――聞き終えたらこれは祐ちゃんに返しておいて下さい。大事な商売道具を借りちゃってごめんなさい、そう伝えておいてくれる?

 ひとの心配なんかしてる場合かよ、ろくに喋れもしないクセに――。紗江子の細やかな配慮が俺の頬を緩ませる。

――もう一度、言います。あたしはジュンをずっとずっと、ずーっと愛しています。

 舞っていた雪も止み、ICレコーダーを握りしめたまま立ち尽くす俺を月灯りが照らし出していた。


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