九十五
外来の待合、売店、一階のトイレと、自分が辿った以外のすべを見て回るが紗江子の姿はない。西へ伸びる回廊へと足を進めた。
突き当たりのドアを開けると、そこは暗くなりかけた屋外だった。風花が舞い始めたそこにも紗江子の姿はない。引き返そうと振り返る俺の目にはいったのは『霊安室』の三文字が書かれた扉だった。
まだだ――、誰に言うともなく発した声が思いの外、大きく回廊に響く。俺は二階へと駆け上がり、ナースステーションを挟んで二列ある回廊を端から端まで駆け抜ける。そしてトイレとエレベーターホールの裏側を覗いて紗江子がいないと分かると、再び上階への階段を駆け上がった。
紗江子の病室がある六階に戻った頃には、俺の心臓は口から飛び出しそうになっていた。それでも彼女を見つけるまでは立ち止まってなどいられない。
ナースステーションで見つかったかどうかを訊いてみるか、このまま屋上階へ向かうかどうか悩んだ末、階段室を出た。
「あのう……」
エレベーターに乗ろうとしていた青年が、俺に声をかけてきた。給湯室で二~三度、言葉を交わしたことのある、彫りの深い顔の青年だった。入院中の父親の付き添いを家族交代でしていると言っていた。聞いたはずの名前は忘れてしまったが、沖縄っぽい苗字だったことだけは覚えている。
「なんだ!」
行く手を阻まれる格好となった俺の物言いは、喧嘩腰ともとれるような乱暴なものだった。だが青年は不快感をおくびにも出さず、ハッキリとした口調で言った。
「車椅子の女性を探しているんですか? 髪の短い」
「そうだ、知っているのか!」
全身で青年に向き直って、彼の肩を揺すった。
「ええ、僕が洗濯物を取り込んで屋上から戻ろうとした時、ドアを開けられずに困っていらしたんです。事情を聞いたら落し物を探しに来たと言われました。具合が悪そうに見えたから僕も手伝いましょうか、と言ったんですが、独りで大丈夫だからと……。戻ってらっしゃらないんですか?」
「すまん、ありがとう」
青年の問い掛けを置き去りにして、俺は再び階段室に飛び込んだ。『病院の屋上』という言葉から連想するものは、音痴の弾き語りだけではない。二段飛ばしで階段を駆け上がり、体当たりするほどの勢いで重いスチールドアを押し開いた。