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九十二

「あたしの病気はスキルス胃がんなのね」

 夕食の片付けのため椅子を立った俺の背中に紗江子の声が届く。油断しきっていた俺はその言葉にあっさりと切り裂かれ、トレイをとり落としそうになる。

「なんだそれ? 胃がんに種類なんかあるのか」

 動揺をなんとか建て直し、精一杯の演技を試みるが、声が震えてしまっていた。

「読んでみて」

 紗栄子は携帯電話を開いて俺に差し出す。検索エンジンで有名な或るサイトのロゴが目にとまった。『スキルス胃がん~症状』と書かれたページが開かれていた。俺の視線は無意識に画面から逃亡を図ろうとする。

「ジュンがパソコンを持ってきてくれないからそれで調べたの。あたしの症状にぴったり当てはまるでしょう? 西尾先生はちっとも手術の話をなさらないわ、もうそんな段階ではないってことなのね。 あたし、聞いてみたの。スキルスって言葉を否定されなかった」

 頼まれていたラップトップPCをなんのかんのと理由をつけて持ってこなかったのはこれを恐れていたからだ。それでも俺は必至に逃げ道を探る。

「あ……、あの先生は内科だからな、手術は外科の先生がやるんだよ。そんなことも知らないのか?」

「とぼけないで! あたしね、悪いとは思ったけど祐ちゃんに鎌をかけたの。彼は小野木さんに聞いたのか? って、言っていた」

 祐二は責められない。男の嘘を見抜く術を、すべての女性は生まれながらに持っている。育ちのいい祐二が、幼い頃から苦労してきた紗江子の戦術にまんまと引っ掛かってしまうだろうことなど俺が予見しておくべきだったのだ。

「ジュン、あなたは自分で言うほど嘘が上手じゃないわ。髪を切ってもらった日のことを覚えてる? あたしに触れてくれたでしょう。あの時のあなたの表情がすべてを物語っていたの。ごめんね、辛い思いをさせて。ひとはこれほど悲しい顔ができるものなのかって思い知らされた。ナオコさんと別れた時のあなたよりひどい顔をしてたわよ。不謹慎かもしれないけど、それが少しだけ嬉しかった」

 否定の言葉を探す俺の思考は空回りを続ける。

「覚えておいて。あなたは嘘をつく時、決まって乱暴な言葉遣いになるの。女は愛するひとの嘘に敏感なのよ。たくさんの女性に嘘をついて傷つけたって言ってたわよね? みんな騙されたフリをしてただけだと思う。もう、自分を許してあげてもいい頃よ。あなたが哀しい眼をしていたらいなくなれないじゃない。あたし、わかるの。自分の身体なんですもの。きっと、もう長くは生きられないんだって、そう、感じるの」

 うっすらと笑みさえ浮かべて話す紗江子に、堪えていたものが堰を切って迸り出る。


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