八十五
「男の子みたいかな」
ベリーショートになった紗江子が手鏡をいろんな角度にかざしている。
「ギルバート・グレイプって映画を観たことは?」
「ないわ」
「ジョニー・デップとディカプリオが共演してた映画だぜ、知らないのか?」
「知らないんだもの、しょうがないじゃない」
紗江子が膨れる。
「ジュリエット・ルイスって女優がそんな髪型で出ていた。キュートだったぜ。映画の中で彼女がジョニー・デップにこういうんだ。『空をあらわすのに大きいという言葉は小さ過ぎる』」
「ふうん、とても詩的な表現ね。でも女優とあたしを比べちゃ嫌よ」
「なんで? 君の方がきれいだぞ」
祥子の咳払いが聞こえた。俺が顔を向けるとにやにや笑いを浮かべている。
「いちゃいちゃするのは、あたし達が帰ってからにしてくれませんかねえ」
娘達を見送るため病室を出た俺に、由里が耳打ちをしてきた。
「お母さんにお礼を言ってね、パジャマや下着を買い揃えてくれたのはお母さんなんだから。あたし達はクッキーかなにかを持って来ようとしていたの」
悦子だったのか……、元カノと結婚したいからと一方的に離婚を申し出た俺を――そして紗江子のために借金を申し込みに行くような男を彼女は許すのか――。俺は目頭が熱くなった。
「うん、必ず伝える。ばあちゃんは元気か? お父さんがいない間、ちゃんと面倒みてやってくれよな」
「どっちが面倒みられてるのかはわかんないけどね。最近のおばあちゃんはしっかりしてるのよ」
「これでどこかで飯でも食って帰れ。残ったらマリちゃんに出張費だって渡すんだ。ネコババするんじゃないぞ」
「勉強中ですから」と、言ってカット代を受け取らなかったマリに、彼女を連れてきてくれた娘達に、それぐらいの感謝はするべきだ。俺は札入れから一万円札を抜いて由里に渡した。
「ありがとう、紗江子さん早く良くなるといいわね。お父さんも体を壊さないように」
普段は憎まれ口しか叩かない娘の優しい言葉が、俺の胸を強く揺さぶっていた。