八十四
娘達は午後にやってきた。
「紗江ちゃん、大丈夫? 早く元気になってね。わたし、お姉ちゃんみたいなお母さんが出来るって友達に自慢しちゃったの。みんな信じないのよ、『あのヒゲオヤジにか』って……、ないじゃんヒゲ!」
祥子は俺を見て大仰に驚いたふりをするが、切り替えも早い。
「ま、いっか。はいこれ、お見舞い」
「気を遣わせちゃってごめんね。退院したら何か美味しい物を奢るわね」
渡された紙袋を覗きこんだ紗江子の口元が綻ぶ。
パジャマや下着の替えが入っていたようだ。いくら図々しい俺でも、さすがにランジェリーショップにはいって行く度胸はない。ニ~三日の検査入院のつもりだったため、前もって用意したものだけで足りるはずもなく、それでも俺が洗濯に持ち帰ると言うと紗江子は強硬に拒んだ。ひとりで歩けた頃は病院の売店で間に合わせていたのだろうが、激痛で動けなくなってしまうことが多くなったいま、下着の買い置きも底を尽きかけていたようだ。そこへもってきてのこの見舞いの品は、俺にとっても涙が出るほど有難かった。淡いパープルのパジャマを手に取って胸にあてがい、可愛い? 似合う? と娘達に交互に訊ねる。
「お姉ちゃんは、なんでも気が早いからなあ。紗江子さんの気が変わってお父さんが捨てられちゃったらどうするつもり?」
俺を横目で見て由里が笑う。
「なんてこといいやがる。紗江子が本当にその気になったらどうしてくれるんだ。君も否定しろよ」
紗江子は「あはは」と笑って俺と娘達のやりとりを楽しそうに眺めていた。
「いいなあ、あたしもこんな楽しいお父さんが欲しかったわ」
「紗江ちゃんは、お父さんよりあたし達のほうが歳が近いんだからさ、いっそお父さんにしちゃえばいいのよ」
祥子が気楽に言い放つ。『父親としてしか接することを許さない――その条件を呑むなら紗江子の時間を伸ばしてやってもいい』もし、死神にそんな取引を持ちかけられたら、俺は一もニもなく承諾していただろう。
「覚えてる? マリちゃん。小学校と中学校が一緒だったのよ」
娘達の後ろに立っていた、真ん丸い顔で目も鼻も丸いふくよかな娘を紹介される。なるほど、確かに『鞠』だ。
「ああ、よくうちに遊びにきてたよな。そうか美容師さんになったんだ」
「はい、スタイリスト目指して頑張ってます。今日は一生懸命、切らせてもらいます」
マリはぺこりと頭を下げた。スタイリスト? また、わからない単語が出てきたな、しかしそれが理解出来なかったのは俺だけだったようで、誰ひとりとして疑問を口にする者はいない。
「うんと短くしてね。こんなところまで来てもらったんですもの、マリさんの思い通りにしてもらっていいから」
祥子の年齢を基にマリの経験を推定してみる。美容の専門学校を出て二年といったところか、とんでもないヘアスタイルにされることもないだろう。