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八十三

「ええっと……、どちら様でしょう?」

 病室に入ってニットキャップを脱ぐ俺に紗江子が訊ねてくる。笑いを含んだ声だった。

 身なりを整えるのと風呂にはいるためだけに自宅に戻り、数分だけの墓参りをしてまた病院へ。そんな日常になっていた俺は、髪やヒゲの手入れにかける時間が惜しくなっていた。そこでホームセンターで買ったバリカンで髪を三ミリに刈り上げ、ヒゲも剃り落としてしまったのだ。顔が見えないからと俺がマスクをするのを嫌がる紗江子だったが、外部と行き来する俺に雑菌が付着しないはずがない。いつかこうしようと思っていた。

「赤ん坊の頃からヒゲを生やしていた訳じゃないぞ。君の職場に通ってた頃の俺も大抵はこうだったろう」

 頭を差しだすと「あはは」と笑って俺の頭をしゅりしゅりと撫でる。

「可愛いわね、これ。あたしも髪を切りたいな。お風呂も一日おきだし、トリートメントなんてとても……。仕方ないんだけどね。随分傷んできているわ」

 紗江子は長い髪の先を手にとって見つめる。抗がん剤投与イコール髪が抜けるという訳ではないらしい。紗江子の長い髪は、以前の艶やかさこそ失ってはいたが、抜け落ちることもなく量感を湛えたままだ。勿論、そうなればなったで、気落ちするだろう彼女を慰めるため、また新しいサプライズを用意せねばならない。そんな副作用の出ないことがせめてもの救いだった。

「汗をかく季節でもなし、動き回る訳でもない君の風呂は、一日おきで充分さ。風邪でも引いたらどうする。でも美容師は頼んできたぞ。祥子の友達なんだ。西尾先生も構わないって言ってくれた」

 物憂げに毛先を眺めていた紗江子が顔を上げて笑顔を見せる。

「ジュンは、あたしの考えることがなんでもわかっちゃうみたいね。嬉しいわ。でも、こんな風になっちゃったあたしを祥子ちゃん達に見られたくないな」

「こんなふう? 少し痩せただけじゃないか。そんなこというと、ちっとも痩せない祥子がひがむぞ」

 悦子似の由里はともかく、俺に似た祥子はどう贔屓目に見ても紗江子の足元にも及ばない。

「あら、祥子ちゃんは可愛いわよ。若くて溌剌としてるじゃない」 

「そう言ってやってくれ、君の言葉なら祥子も喜ぶだろう」

「そうだ! 部屋に行けばアルバムがあるの。短大時代のショートカットも写ってる。高校時代のは見せてあげない。ほっぺが真っ赤になったのしかないんですもの」

「見せてあげないと言われれば余計に見たくなるってのが人情だぜ。君の部屋を探せば済む話じゃないか」

「だめだってば、そんなことするなら鍵を返して」

 紗江子は上着のポケットに手を伸ばそうとする。俺は紗江子の肩に手を添え、彼女が身体を起こすのをとどめた。

「暴れると点滴が抜けちゃうぞ、家探しなんかしないから安心しろ。退院したら一緒に見よう」

「じゃあ、ジュンのアルバムも見せてね」

「女性と一緒に写ってるのは削除しておこう」

「あっ、ずるーい」

 必要なものは、病院付近で全て買い揃えるようになっていた。当分、紗江子の部屋を訪れることはないだろう。


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