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八十一

 借金を申し込みにきた俺があれこれ説明するより早く、悦子は見覚えのある預金通帳と印鑑を差し出しきた。娘達から伝え聞いていてくれたようだ。俺は別れた女房の実家を訪ねていた。

「聞いたわ、お金が要るんでしょう? はい、これ」

 高額医療控除があるとはいえ、還付は世帯ごとに行われる。そう病院で聞かされた俺は、事前申請のため、社会保険事務所に走らねばならなかった。当座の支払いに窮する訳ではないが、紗江子の未来をたった二ヵ月で終わらせるつもりなどなかった。充分な治療を受けられるだけの金銭的余裕が欲しかった。

「すまない。きっと返すから」

「いいわよ、返さなくたって。共有財産は本来半分ずつにするものでしょう。あの時は意地になって通帳を全部持ってきちゃっただけだから。で、治りそうなの? そのサエコちゃん」

「ああ、そう願ってる」

 緘口令が遵守されているのなら、真実を知っているのは俺と紗江子の母親、叔母、そして祐二だけのはずだった。娘とおふくろに、紗江子が胃がんであることは伝えたが、治癒の見込みがないとは言ってなかった。明日の保証さえないことはどうしても告げられなかった。

「あんたも、つくづく女運のない男ね。わたしと別れる原因になった女には逃げられ、若くてきれいな子を見つけたらこんなふうになっちゃうだなんて。わたしで我慢しておけばよかったのよ」 

 奈緒子のことも気づいていたのか――。俺は少し驚いたが、紹介するより早く紗江子のことを知っていた娘達を思い出した。知らぬは亭主ばかりなり、そんな諺が頭に浮かんだ。

「そうだな……、そうかもしれない」

「あら、素直じゃない」

 そう思った訳ではない。話を長引かせたくなかっただけだ。紗江子から離れている一分一秒を惜しんでいた。俺は悦子に礼を述べて車に乗り込んだ。

 病院の夜間通用口を通り抜ける時、暗い駐車場に停められた車から声がかかる。大山と祐二だった。

「見舞いにきてくれたのか? 忙しいところすまんな」

「なに、水臭いこと言ってやがる。紗江子ちゃん辛そうだな、可哀想に。おまえに早く帰ってきて欲しいって、寂しそうにしてたぞ」

「ああ、色々と手続きがあってな。いまも社会保険事務所へ行って来たところなんだ。祐二は毎日来てくれてるんじゃないのか? 仕事も早く覚えろよ」

 さすがに別れた女房に金の無心にいったことまでは告げられない。

「俺は従兄ですからね。おふくろにも毎日顔を出すように釘を刺されているんですよ。でも俺では役不足みたいです。小野木さんといる時みたいには、紗江ちゃん笑ってくれなくって……」

「痛みがひどいんだ。なのに、モルヒネは嫌がる。困った病人だよ、まったく――。それじゃあ、またな」

 見舞いの礼もそこそこに、俺は紗江子の病室へと急いだ。


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