七十
「バレッタを忘れてきたみたい。明日でいいから持ってきてもらえない」
バックを覗き込んで紗江子が言った。
「バレッタ? なんだい、それは」
「髪留めよ、こんな形の。姿見の前にあると思うわ。シュシュもお願い」
紗江子は指で扇形を形作る。ああ、あれか。俺は彼女が髪をまとめるのに使っていた装飾具を思い出した。
「それならさっき見かけたぞ」
シュシュは知っていた。俺は無遠慮に紗江子のバッグを探る。
「ほら、これだろ?」
手に取った俺から、凄い勢いで紗江子が奪い取って行く。
「バカっ!」
どうやらそれはショーツだったらしい。くるくる丸まった状態では判別は困難だ。よく女性は間違えないものだなと感心する。
「検査にはいったらジュンはおうちに帰って休んでね。昨日もあんなところで寝かせちゃったし……。あなたまで体を壊したりしたら、お母様や祥子ちゃん達に申し訳なくって」
「うん、そうさせてもらう。夕方また来るから必要なものを思い出したらメールで知らせてもらおうかな。具合はどうだい?」
「さっき飲んだお薬が効いてるみたい。痛みは治まったわ」
そうは言うのだが顔色が冴えない。少女の頃から苦労してきた彼女の強さが弱音を吐くことを望まないのだろう。
「検査の結果がわかるのは明後日だって言ってたよな。俺ひとりで聞いていいのか? お母さんも呼んだほうがいいんじゃないのか」
「大丈夫だってば」
頑なに母親への連絡を拒む紗江子だったが、後でトラブルになっても困る。俺は祐二に連絡させておこうと考えていた。
検査を終え、病室に戻ってきた紗江子が憔悴し切った表情でこぼし始める。
「最悪だわ、もう帰りたい。ジュンは胃カメラを飲んだことある? もどしたいのに我慢しろって言われるし、不味い造影剤っていうのを、お腹がガボガボになるまで飲まなきゃいけないのよ。エコーでぐりぐりされるのも痛くてもう嫌、 明日は超音波胃カメラも飲まされるみたいだし、肺や大腸の検査までするって言うの。痛いのは胃だけなのに」
「入院したことのない俺にそんな経験はないよ。でも早く医者にかかっておかないからこうなるんだぞ。痛みは随分前からあったんだろう?」