七
「なあに、それ」
お互いが知り合ってゆく過程のときめきを表現した俺のオリジナルだ。口説き文句として用いてもいたが、三十代に入った辺りから前後が入れ替わる事も屡々だった。後半を除いて紗江子に伝える。
「素敵ね、じゃあジュンがずっとときめき続けてくれるよう、あたしのことは何も話さないでおくわ」
「それはずるい」
俺は抗議の声を上げた。すると愉快そうに笑っていた紗江子が真顔になっていう。
「ねえ、あたしにして欲しいことがあったら遠慮しないでいってね。胸だって小さいし、どうすれば男の人が悦んでくれるのかも知らない。ジュンがあたしを嫌いになる前にちゃんと教えて欲しいの」
愛し合った後の俺には紗江子の男性経験が豊富でないことはわかっていた。
「焦るこたあないさ。俺は君がいきなり大人の女性になるのを望んでる訳じゃない。愛情が深まれば互いを思いやる気持ちも高まる。そうやって自然に全てが上手くゆくようになるものさ。『愛の発達に少しだけ遅れて性欲がともなうくらいがちょうどいい』ニーチェもそう言ってるだろう? それと俺は控えめな胸が好きなんだ」
彼女の言葉をいじらしく感じながらも、真っ直ぐ見つめてくる視線に、俺の汚れた魂が顔を背ける。少しクサかったか?
「わかった。でも約束よ、こうして欲しいって思ったらちゃんと話してね」
得心のゆかない様子の紗江子に、俺はこう付け加えた。
「いいかい? 君は俺の奴隷じゃなく俺も君のしもべじゃない。年齢が幾つ離れていようと、恋愛におけるお互いの立場はイーブンであるべきだ。俺がこうしろと言ったところで君が納得の行かないことまでする必要はない。上手く行かないことがあったら二人でとことん話し合って解決策を探す。そうやってお互いがお互いを必要と感じられるようになる。他の誰かでは代用のきかない二人になっていくんだ」
真意ではあったが、こんな歯の浮くようなセリフがスラスラ出てくるのは中年男の図々しさ以外のなにものでもない。しかし若者にはない武器でもあった。
「あっ! ひとつあった」
クサいセリフの後はフォローも大切だ。
「なあに?」
「もっと食べて肉をつけろ。君は細すぎる。抱きしめたらポキリと折れちゃいそうでおっかない」
「頑張るっ! こうなれるように」
一介のサラリーマンとしては無駄としか思えない俺の厚い胸板に、紗江子が白い手を添える。その手は驚くほど冷たかった。