六十五
「検査の結果が出ないことにはどうしようもないけど、お母さんへの連絡はどうする? 君のバッグは持ってきたから明日の朝にでも電話したらどうだ」
「うん、でも胃潰瘍程度じゃあ連絡しても却って叱られるだけだわ。退院してあなたを紹介する時に、こんなことがあったのよって、伝えればいいんじゃないかしら」
病状の如何に関わらず、娘の入院を知らされて怒るような親にも呆れるが、紗江子の喉元過ぎれば熱さ忘れる的発言にも引っかかる。
「だから胃潰瘍って決まった訳じゃないってば。例えそうだとしても入院しなきゃならない可能性だってあるんだ。そうなってみろ、そんな悠長なことは言ってられないぞ」
「そうなの?」
「ああ、看護師はそう言ってた。余命幾許だかの花嫁って映画みたいになったらどうする? 婚約不履行で訴えてやるからな」
紗江子の顔に不安が表出する。脅かしすぎたか? 俺は言った端から発言を後悔した。
「冗談だよ、病院の検査ってのは大袈裟なんだ。親父の時もそうだった。結果待ちにニ~三日かかるのが普通なんだろうな」
「ねえ、ジュンは明日――、もう今日ね。お仕事なんでしょう? あたしはもう平気、帰って休んでちょうだい」
ひとりきり、病室で過ごす夜が心細くないはずはない。気持ちと裏腹の言葉を口にする紗江子の頬に手を置いて俺は言った。
「今日は休むよ、土日に新案の申請もなければ受理もないだろう。女子社員に行かせても事は足りる。君をこんなところにひとりにしてはおけないしな」
「ご……」
俺は人差し指で紗江子の唇を押さえてにっこりと笑う。
「言わせないぞ、これは貸しにしておく。君が元気になったら、たっぷりと利子をつけて返してもらうからな。あんなことやこんなことをさせてやるんだ」
「こわーい、なにをさせられるんだろう」
「そりゃあ……」病人に生々しい冗談が言えるほど俺は豪胆ではない。「あんなことやこんなことさ」
「なに、それ」
紗江子は小さく笑った。