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六十四

 夜間受付で紗江子の所在を訊ねる。三十歳前後だろうか、女性にしては声の低い看護師が顔を上げた。

「ご家族の方ですか?」

「え……ええ、婚約者です。なんの病気なんでしょう? 今はどんな様子ですか?」

「まだ検査中ですのでなんとも言えません。当直は外科の先生ですから、すべての検査を終えてもはっきりしたことはお答えできないかもしれません。こんな時間ですし、今夜は泊っていただくことになりそうです。処置が終わりましたらお呼びしますので、そちらでお待ちになっていて下さい」

定型文を読み上げるような口調だった。リノリウム張りの廊下のベンチに腰をおろし、持ってきた紗江子のバッグを開いてみる。携帯電話と財布、ハンドタオル、マンションの鍵、救急隊員に中身を渡して空になった免許証入れ、それに化粧ポーチがはいっているだけだ。紗江子が意識を取り戻したら保険証の在処を聞いておこう。連絡が必要なところは職場と実家か――、すべき事は山ほどあるが、紗江子の病状を把握できてない不安が、それらを頭の隅へと追いやった。

 搬送されて四時間ほど経った頃、ICU(集中治療室)と書かれた部屋に移された紗江子への面会が許される。ものものしい医療機器と集中治療の文字に病状を憂慮する俺に、名札に吉岡と書かれた看護師が言った。

「心配いりませんよ。満床でここしかベッドが空いていないからの措置です。ですが入院となれば転院も考えておいて下さい。若い女性を廊下に寝かせておく訳にはゆきませんから」

 紗江子の着ていたワンピースは病衣に変わっていた。決して明るいとはいえない病室の灯りが、照らし出す彼女の顔の彩度まで下げているように見える。

「点滴は痛み止めと栄養剤です。胃が荒れているようですから、喉が渇くようでしたら白湯を少しずつ飲むようにして下さい。給湯室はあちらにあります」

 それだけ言うと看護師は部屋を出て行った。紗江子の細い手首には点滴のチューブが繋がれ、色白な彼女のニの腕は既にうっ血していた。俺は空いた方の手を両手で包み込む。少し熱もあるようだ。

「ごめんなさい。本当にジュンには迷惑をかけっぱなしだわ、嫌になっちゃう。でも、もう大丈夫、すっかり痛みも引いたみたい。なんだったのかしら?」

 どんな検査が行われたのかはわからないが、紗江子の声はかすれていた。

「迷惑だなんて思っちゃいない。君のお陰で色んな経験が出来て楽しんでるくらいだ」

 しきりに恐縮する紗江子だった。俺は負担を感じさせぬよう、冗談で返した。

「お医者様はなんて?」

「まだ検査の結果は出てないんだってさ。当直医が専門の先生じゃないそうだよ。でも血を吐いたんだから痛みは引いても油断は禁物だぞ」

「あっ、ごめんなさい。シーツを汚しちゃったわね」

「また、そんなことを気にする。君は謝り過ぎだ、俺の顔を見る度に、ごめんなさいって言ってるぞ。そういうのが胃に穴をあけたのかも知れない。胃潰瘍の多くはストレスが原因だってゆうからな、もう少し悠然と構えていろよ」 

「胃潰瘍なのかな?」

「いや、わからない。吐血から推測しただけだよ。でも気を遣い過ぎなのは間違いないな。俺なんかこんなに気が小さくてもストレスとは無縁だ。少しは俺を真似てみろ」

「おヒゲは無理だわ」 

 依然、声はかすれていたが、混ぜ返す程度の元気は取り戻してくれていた。


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