四十八
「そんなことがあったんだ。でも凄いわね、そのカジさんってひと、一日で調べちゃったんでしょう?」
紗江子が目を丸くして言った。
「ああ。だから、さっきもいった通り、運にも恵まれたんだよ。言っとくけど、俺のブレーンだからな、大山もカジさんも」
俺は紗江子お勧めの中華料理店で事件の詳細を語っていた。
窮地を救ったヒーローへの感謝よりカジさんへの賞賛の方が大きく感じられ、俺は調査が俺の依頼であった旨を強調する。こうゆうところは至って狭量なのだ。
「わかってまーす。あたし、ジュンのおうちに足を向けて寝られませーん」
即座に俺の思惑を察知した紗江子は心地よい言葉で返してくれる。きっと小説の行間を読むのにも長けていることだろう。
「君んちのベッドは……、端っから足は反対方向じゃないか!」
「ものの例えでしょう、細かいことをいう男は嫌われるのよ」
「嫌いになるのか? 自殺しちゃうぞ」
紗江子の告白で聞いた台詞をアレンジして口にする。勿論、自殺どころか殺されても死ぬつもりはないが、俺の意図を理解した紗江子の瞳がきらりと輝いた。
「うん、嫌い」
さっと周囲を見回して俺にキスをしてくれる。こうゆう流れを期待していた俺は途端にやにさがる。紗江子のキスは回鍋肉の味がした。
「ねえ、調査ってただじゃないんでしょう? あたしが払うわ、なにからなにまであなたにおんぶにだっこって訳にはいかないもの」
「大山には色々と貸しもある。友人割引で交通費程度の請求になるんじゃないかな、だから気にしなくっていい。それより君の過去と市議の自殺がカジさんのなかで繋がった可能性がある。だとしたら謝らないといけない。ただ、彼は調査員の手本みたいなひとだ。口にしていいことと悪いことはよく心得ている。きっと大山にも明かさないと思う」
報告書と共に届いた雑費込み六万八千七百円也の請求は、次女の進学を控えた俺の懐を圧迫したが、頼んだ甲斐は充分過ぎるほどあった。
「九年も前の話よ、もういいの。だからあなたもそんなこと気にしないで」
「そう言ってもらうと気が休まる」
「それで祐ちゃんは雇ってもらえそうなの?」
「当座は使いっ走りだろうけどな。電話の感触は悪くなかった」
依頼は迅速にこなすべし。それが俺のモットーだ。大山に「調査員見習いは要らないか?」と電話を掛け、それが今回の関係者だと聴いたカジさんは「面白そうじゃないですか」と言ったそうだ。
「そっかあ、良かった」
祐二の件も、そしておそらくもやもやしたものが残っていただろう九年前の一件にも決着がついた紗江子が明るい表情を見せる。『屈託がない』とは、こんな笑顔をいうのだろう。
「君のお気に入りの中華だろ? 食べてないじゃないか」
紗江子に取り分けた皿の料理が減っていないのが気になって訊ねる。
「うん、一時はどうなることかと思った今朝の一件があんなふうに片付い……、いいえ、ジュンが片付けてくれたのよね。それが食欲に反映されちゃったみたい。ランチを食べ過ぎちゃったのよ。それにいま――」
「ん?」
「きちゃったみたい、ごめんね。今夜はナシ」
紗江子はペロリと舌を出して洗面所に立った。
ちぇっ! 窮地を救ったヒーローへの熱烈なお礼を期待していた俺は舌打ちをする。愛情に『感謝』のエッセンスが加わったセックスの素晴らしさを満喫するのは先へと持ち越された。美味しい物は後に取っておく。俺はこれが苦手だった。
『ハザード三回が愛してるのサイン』なにかの歌詞を頂戴して、俺達はストップランプ三回を『愛してる』のサインにしていた。紗江子の軽自動車のランプが赤く三回光って発進する。俺はルームミラー越しの彼女に、パールホワイトの車体が見えなくなるまで手を振り続けた。
紗江子と俺の蜜月は始まったばかり、彼女を失う日など未来永劫訪れることはない。俺はそう固く信じて疑わなかった。




