四十三
「お待たせしいたしました。さて加藤先生、そちらの祐二さんのお父様――高祐先生と懇意にしていらした当時の中ノ原市の出納課長、永田さんはご存知ですよね」
いきなり切り札を出す。そして役職だけでなく名字をしっかりと呼ぶことが、追及の対象と責任の所在を明らかにするのに有効である。これまた何かの本で読んだ戦術を試してみる。
「なんの話だね? 中ノ原市はわたしの地盤でもある。たいていの職員は覚えているつもりだが、課長クラスだと移動も多くてね。全ての顔と名前は一致しないかもしれんな。永田か……、ピンとこないな。それが祐二君の要求する謝罪文と何か関係があるのかね?」
参議は一瞬、虚を突かれたような顔をしたが、すぐに平静を装って言った。さすがは海千山千の狸――いや、河馬だ。俺はその顔に浮かんだ僅かな狼狽を見逃さなかった。隣に座った紗江子は、このひとは一体、なにを言い出すのだろう、といった顔で俺を見つめている。この表情も美しい。しかし今はうっとりしている場合ではない。俺は参議に向かって膝を乗り出した。
「あるんですよ、それが。面白い話を永田さんから伺ったんです。高祐先生が亡くなられた時期、ほら、あちらで色々あったじゃないですか。叔父にあたられる加藤先生もなにかご相談を受けていらしたのではないですか? 当時の市長さんはどこにおられるのでしょうね」
ブラフは言い淀んだ途端、それとばれ、効力を失う。俺は一世一代の勝負に出た。参議は不愉快さと警戒心が、ないまぜになったような顔で俺を見返してくる。
「君がなにをいいたいのかしらんが、あれはもう九年も前のことだ。それに、わたしが高祐から相談を受けたのはあくまでもレイプについてだけ――」
紗江子の肩がピクリと震えた。
「はい? なんとおっしゃいましたか」
呆気なかった。罪悪感もあったのだろう。権力にものをいわせ、父親を死なせてしまうことになった魚男のため、ひと肌脱いでやるか。そんな軽い気持ちで望んだ会合が思いもよらぬ方向へと話が転じ、焦ってしまったのかもしれない。参議は言ってはならない言葉を口走っていた。