四十二
九年前の事件は既に時効が成立している。俺が手にした切り札をあの参議がどれほどの脅威とみるかはわからない。詳しい報告書を読んでいない俺にとって、それが両刃の剣となる可能性もある。しかし迷っている時間はない。素早く方針を決めて紗江子に訊いた。
「君はなにを話したんだい?」
「謝るようなことはなにもありませんって。それ以外、あたしになにがいえるの?」
「よし、わかった。俺にすべて任せろ、君はただ座っていればいい」
たった五分の限られた時間で事件のあらましを説明している余裕はない。
「こんなに迷惑ばかりかけているあたしを見捨てないの?」
「いや、権力に立ち向かう機会を与えてくれて感謝してる。それにあの河童ハゲも偉そうで気にいらなかった。いつかとっちめてやろうと思ってたんだ」
「河童って――」
紗江子は少しだけ笑った。当面の敵は河馬の様な体型の参議だった。河馬に魚に河童か……、どうやら俺は水棲生物とは相性がよろしくないようだ。
勤め先に電話をして半日の休暇を申し出る。応対した女子社員は上司の不機嫌な様子を伝えてきたが、そんなことを気にしてる場合ではない。あの上司は例の機密漏洩事件以来、社長(当時の常務)の覚えがよい俺に、なにかと難癖をつけたがるのだ。
約束の五分が過ぎようとしていた。
「大丈夫?」「任せとけって」不安そうな紗江子に片目を瞑って答え、応接室のドアに手を掛けた。ゴルフの話でもしていたのか、七番ホールがどうのこうのという声が聞こえてくる。部屋に戻った俺達に気づいた参議は大儀そうに口を開いた。
「おや、もう五分経ったのか? もう少し時間をあげてもよかったかもしれないな。打ち合わせは上手くいったのかね」
余裕に満ち、人を見下したかのような物言いだった。おまえのような若造がどう智恵を絞ったところで、所詮は自分の掌の上だ。孫悟空の釈迦如来にでもなったつもりか、奴等は作戦会議など必要ないと思っていたのだろう。魚男は席を立ち、外を眺めていたようだ。春には桜、秋にはドングリが実る木立が木枯らしに揺れている。
見てろ、その傲慢な笑いを厚顔な顔から消し去ってやる。あ、上手く韻を踏んだな、と思いつつ俺は参議の正面にどっかと腰を下ろした。