三十四
「こんなことで打てるようになるの?」不審そうに眉根を寄せる彼女に「騙されたと思ってやってみろよ」と時計の文字盤を指先で叩いてみせる。「本当に騙されたりしてね」憎まれ口を叩きながらも、俺の合図で紗江子はページをめくり始めた。凄いスピードだ。
「よし、そこまで。もう一度やってごらん。顎を引いてバットはもうちょい上に、そうそうそんな感じ。振ってみて」
さっきよりは随分サマになっている。 キン! 一球目で当たった。
「当たった! 当たったわ」
振り返った紗江子が目を輝かせて叫んでいた。
「次が来るぞ、前を見てろ」
ファウル性の打球だったり、力ないゴロであったりはしたが半分以上がバットに触れるようになっていた。ケージを出た紗江子は興奮を隠せない様子で言った。
「信じられない……、なんで? ねえ、なんで本を読んだだけで当たるようになるの? もう一回お願い、次は前に飛ばせそうな気がする」
「その細腕じゃあ、なかなかそうはいかないよ。次のステップだ、休憩して握力を回復させながら俺のを見ててごらん」
コイン一枚を犠牲にして膝の使い方とバットの振り方を教えた。紗江子は真剣な面持ちで俺の一挙一投足を見つめている。そして彼女を打席に立たせると、俺は背後に回った。
「膝をこう送るつもりで、腰を軸にして体全体を水平に回すんだ。バットはそれに釣られて出てくる感じ、腕を振る必要はない。上半身の力を抜いて――、そうそう、その調子」
ゴルフのレッスンプロよろしく紗江子の肩へ足へと、両手を添えて熱心に指導する中年男が痴漢と間違えられなければ良いのだが。隣のケージを出た中学生の視線は明らかに訝しげだ。
そしてまた速読をさせてからケージに送りだす。七~八球、先ほどのようなファウルチップを続けた後、見事に芯を食った打球が飛んだ。
「見たっ? ねえ、今の見たわよね。ビューンって真っ直ぐに飛んでいったでしょう」
紗江子も飛び跳ねていた。少女のような無邪気さだ。「その感じを忘れずに続けてみろ」俺のアドバイスにコクリと頷いてバットを構え直す。最終的に十球ほどだったが、乾いた金属音を伴うライナー性の打球を弾き返していた。
上気した顔に満足気な笑みを浮かべ、ケージを出るなり紗栄子は言った。
「プロ野球選手にはなれなかったけど、教えるのは天才的ね」
テレビで見たメソッドについては黙っておくとしよう。