三十二
「どこなんだい、それは」
「バッティングセンターよ。短大時代に何度か通りかかったことがあって、キーンって弾き返されるボールがとっても気持ちよさそうに思えたの。友達の少ないあたしでは誘える人もいなかったし、さすがに一人で行く勇気は……」
紗江子は気恥かしそうに語尾を濁す。テーマパークを予想していた俺にはやや拍子抜けだったが快諾する。六年越しの希望を叶えてあげようじゃないか。
「いいよ、連れてってあげよう。但しその靴じゃだめだ」
五~六センチ程度のさほど高くもないヒールだったが、彼女の履いたパンプスを横目で見て言った。
「気温が上がらないと手も痛い、足をくじいてもいけないしな。スニーカーとバッティンググローブを買いに行こう」
俺は大型スポーツ用品店のはいっている近くのショッピングモールへのルートを脳裏に描く。
「そんな本格的じゃなくっていいのよ。あたしにもあんな音が出せればストレス解消になるんじゃないかって思っただけなんだし――。それにお金だってたくさん持ってきてないわ」
「バッティングセンター未体験の君だぞ、そのか細い腕で振るバットがボールに当たる確立は極めて低い。ストレス解消のはずが、その逆になってしまう場合だってある。いいから任せておけって、新しい父親からの遅めのお年玉だよ。でも俺の指導は厳しいぞ」
俺の強引な申し出に、紗江子はささやかな抵抗を見せる。
「わかった、お言葉に甘えます。でもあたしの方が上手かったりしてね」
バカを言ってもらっちゃ困る。実業団で名二塁手として鳴らした父に、一時期、スポ根漫画よろしく鍛え上げられた俺だ。前に述べた『一介のサラリーマンとしては無駄でしかない厚い胸板』はその名残りなのだ。肩の衰えたいまでこそ助っ人を頼まれる機会もなくなったが、友人の草野球チームでは常にクリーンアップを張り続けた実績だってある。俺は娘のような年齢の紗江子にムキになって反論する。それを紗江子は軽やかに受け流した。
「はいはい、それではお手並み拝見とゆきましょう」
またもや『はいはい』だ――。
機能やデザインより、とにかく値段の安いものを選ぼうとする紗江子の意見を無視してN社製のトレッキングシューズとR社製のバッティンググローブを仕入れた。草野球もオフシーズンの一月だ、バッティングセンターもきっと空いているだろう。予想通り、客は数名、ケージはガラガラだった。