三十一
答えづらいだろう家族や故郷の話題に話が及ぶ前に連れ出してやらないと。そう考えた俺は「送るよ」と紗江子に支度を促すポーズをとる。彼女は俺の意図を敏感にくみ取り「お世話になりました、とても楽しかったです」と、まだ話し足りない様子のおふくろに頭を下げた。
「面倒くさいおふくろでごめん」
すぐにマンションに送るつもりなどなかった。それどころか紗江子の同意が得られるなら今夜も泊めるつもりだった。なにしろ昨夜は愛し合って(肉体的に)いなかったのだから。逃げ出しておいて勝手な話だが、風呂上がり空っぽになってた居間に俺は大いに落胆していた。ちなみに「そのままでいい」と言ったグラスはきれいに洗って流し台に伏せてあった。
小さなバッグだけを持って紗江子が車に乗り込んできた。彼女もその気なのだな、とにんまりしたのも束の間、隣に停められた軽自動車の後部座席に昨夜のボストンバッグを目にして俺は肩を落とす。
「ううん、とても楽しかったわ。ジュンの奥さんになったみたいで」
俺は妻との離婚を思い出した。女性にとって妻の座は勝ち取ったものなのであろう。しかしそれを必死で守ろうとする言動を見聞きするに至り、男は途端に結婚を後悔し始める。どこでなにをしているかはわからずとも永遠を誓った女性もいる。俺は紗江子を傷つけることなく自分が結婚に向かない男であることを伝える言葉を探し始める。黙り込んだ俺の肩に紗江子が手を置いて笑った。
「お嫁さんにしてっていった訳じゃないのよ。あたしは結婚しないっていったでしょう? だから、そんな顔しないで」
『そんな』か――、俺はどんな顔をしていたんだろう。ルームミラーに映る中年男は両の眉尻が下がり口はヘの字を描いている。紗江子の失笑を買うには充分な情けなさだった。
おふくろの詮索から逃れるために家を出ただけで、特に行く当てがあった訳ではない。毎朝の習慣となった墓参りを済ませ(亡父とこの世界に迎え入れてあげることの出来なかった命への供養である)、映画にでも行くかと漫然と考えながら車を走らせる。紗江子に行きたいところはないかと訊ねてみた。
「あのね、一度行ってみたかったところがあるの」
例のテーマパークだろうか。冬の朝で動き出しも遅かったため、二百キロ離れたそこへいまから向かうのは些か気が重い。水を被るようなアトラクションもあったはずだ。あそこへ行くのはもう少し暖かくなってからにしよう、そんな言い訳を用意してから彼女のリクエストを確かめる。