二十七
俺に抱きすくめられたまま、紗江子の告白はエピローグへと移っていく。生まれた街を後にした彼女の新しい生活についてのそれは先ほどまでの悲壮感に満ちたものではなく、時折ではあったが笑顔も見せてくれるようになっていた。
「車? ああ、あれね。あなたのことをヒゲ王子って呼んだ子がいたでしょう。彼女から一万円で譲ってもらったの」
「そんなに安かったのか?」
「そうでなきゃ、あたしに車なんか持てるはずないじゃない。さっきのレストランで革ジャンの話題になった時のことを覚えてる? あたし、ちゃんと返事できなかったでしょう。あれはね、あなたと揃いのジャケットがどうしても欲しくって八万円も使っちゃった、それで一年間、本を買うのを我慢した。そう言おうとしたの。貧乏も、母の事も、何もかもあなたには隠しておきたかった。今年、最初に電話くれた時の話も嘘よ。『今年は』 どころか、高校を卒業して以来、中ノ原市には一度も帰ってない。叔母には逢いたいと思うんだけど……、魚君がね」
ようやく登場することになる今夜の、いや、既に日付は変わっていたが、その主人公は魚男から魚君に昇格していた。どうやら奴は出世魚だったらしい。
「そうそう、あいつは君にどんな用があったんだ?」
「あのひと……、彼のお父様が自殺したのは、あたしがレ……、あの事を学校で言いふらしたからだと思ってるみたい。謝罪文を書けって言われたわ。でも何を書いたらいいの? 確かに母のとった行動は非常識だと思う。だけど、あたしだって被害者なのよ」
「逆恨みも甚だしいな」
「でも、彼の気持も少しだけわかる気がする。あんなことがなければ、きっと彼も議員秘書を経て……どうかな、数年後にはセンセイと呼ばれる立場になっていたかもしれないんだから」
「魚類をセンセイと呼ぶ連中は既に自らを餌だと認識している」
「誰の言葉?」
「俺が今、考えた」
「おっかしい」
紗江子は声を上げて笑った。長い髪もすっかり乾いており、艶やかな輝きに俺はつい目を奪われる。その意図を汲んだかのように紗江子が言った。
「髪を伸ばし始めたのもこの三~四年よ。シャンプーやトリートメントを買うお金が勿体なかったの。だから短大を卒業するまではずっとショートカットだった。節約と奨学生制度のおかげで、アルバイトで貯めたお金は随分残ってる」
「俺もトリートメントは使わない」
「そんな短い髪じゃ必要ないわね」
「俺の自慢の猫っ毛をバカにするのか」
紗江子は俺の抗議に「はいはい」と適当な相槌を返して先を続ける。四十の男に二十六の小娘が「はいはい」と――。