二十三
「あれは八月も幾日か残すだけの夜だったわ。 山間の街だったから夏でも夜は涼しくて、あたしはアラームが鳴るまでいつもぐっすり眠れた。父が去った時のことや母の怒りの表情を夢見ることもなくね。でも、その日はなんだか息苦しくなって目覚めたの。いいえ、まだ完全には覚めきっていなかったかも知れない」
嫌な予感がした。
「胸が圧迫されているような気がした。夢なのかなってボンヤリと思っていたけど、少しずつはっきりしてゆく意識の中で、変な感覚に気づいたの。市会議員のあのひと――加藤高祐――叔母の御主人よ、そのひとがあたしにのしかかっていた。パジャマは殆ど脱がされていて裸同然だったわ。そしてあのひとの指や唇があたしの身体を這い回っていたの」
こういった場合、俺の嫌な予感は大抵当たってしまう。俺はそんな予感を抱いてしまう脳味噌を呪いたくなった。
「勿論、抵抗したわ。いや、やめてくださいって。でもあのひとは『いいから』って言って止めようとしなかった。なにが起きているのかようやく理解出来た。食べてゆくだけに必死でボーイフレンドを作る時間さえなかったあたしだけど、保健の授業や友人との会話でセックスの事は知っていたから」
紗江子の声に嗚咽が混じりだす。
「大声を出せば叔母に気づいてもらえたかも知れない。でも、できなかった。怯えきっていたからだと思いたい。でも違うの、騒ぎになれば母の許に帰される。短大進学の夢も消えてしまう。打算だったのよ、あたしは力を抜いた。少しだけ我慢すればいいんだ、もうどうにでもなれと思った。そして……、奪われたわ」
紗江子の嗚咽が慟哭に変わった。
「もういい、話さなくっていい」
俺は紗江子の震える肩を抱きしめた。彼女の瞳からこぼれ落ちる大粒の涙が、俺の袖に染みを作っていった。
「お願い、続けさせて」
そう言う紗江子だったが、泣きじゃくるばかりでなかなか声にはならない。落ち着くまでこうしているから、と抱きしめた手で彼女の背中をさする。
「ごめんね、もう大丈夫だから」紗江子の告白が再開された。