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言い忘れたが、当時俺には十五年連れ添った妻と二人の娘がいた。離婚はその二十日後に成立するのだが、そんなややこしい境遇にも関わらず元カノとも、またそれ以外との女性とも重複して交際ができちゃう程、俺は倫理観のぶっ飛んだ男なのである。こうなってしまった理由は、また後に語ろう。
独身歴、彼女いない歴のながい男性諸兄には誠に申し訳ない話だが、金と同じで女性も集まるところには集まるものなのだ。勿論それには相応の努力も必要となる。そしてそんな不真面目な俺の評判は、偶然にも元妻の友人が多く勤めていた紗江子の職場において推して知るべしなものとなっていたことは言を俟たない。「あの男だけはやめなさい」といった、俺にとって甚だ迷惑な忠告を紗江子は幾度となく受け取っていたという。それでも彼女が俺を選んだのは、やはり恋愛は理屈ではないということだ。〝遺伝子が求め合う〟とかいうではないか。人は自分にないものを誰かに求めるらしい。特に〝タイプ〟といったものがなく、惚れてしまえばそれが〝タイプ〟のこの俺は、遺伝子にかなりの欠落部位があるようだ。
とにかく、そのメールが届いた正月休暇中の俺は暇を持て余しており、節操もなく紗江子の電話番号をコールしてしまうことになる。
母親は年末から叔母と旅行に出かけているので今年は帰省してない、と紗江子が電話口で告げてきた。
「予定がないのなら夕飯を付き合わないか」
おそるおそる訊ねる俺に彼女は同意したが「あのイタリアンレストラン以外でよろしく」と注文がついた。
正月料理に飽き飽きしていた俺が最初に思い浮かべたのは実はその店だったのだが、先に述べた痴話喧嘩みたいな騒動からどれだけも経っておらず、さすがに顔を出しにくくもあるな、と考え直す。とりあえずマンションまで迎えに行くから食べたいものがあれば考えておいてくれ、といって電話を切った。
映画の趣味が合い、体の相性も九年かけて摺り合わせ、ほぼ阿吽の呼吸の域にまで達していた元カノをそう簡単に忘れられるほど俺は潔い男ではない。インターネットの占いに書かれていた『諦めかけていた恋が復活するかも知れません』に縋りつきたくなるほどの惚れっぷりだったのだ。そのため「なんだ、こっちのほうだったか」と切り替えるには多少の努力を要したが、別れ際に宣言した「永遠に愛してます」は 「永遠に君以外の女性とは交際しません」と同意語ではないと自分にいい聞かせ車を走らせた。
正月の幹線道路は混雑していたが十五分ほどで紗江子の住むマンションにたどり着く。築二年というだけあってライトブラウンの外壁やクリーム色のドアにも色褪せなどなく、独身女性が好みそうな清潔感が感じ取れた。そこは最近増えてきた〈女性専用〉というもので、二親等以内の男性しか立ち入れないという。ただ紗江子以外の住人の殆どが旅行や帰省で部屋を留守にしており、学生寮ほどの厳しい規律でもない。更には見た目父親で通りそうな外見の俺であったため「寒かったでしょう、コーヒーを淹れるわ」との招きに、躊躇うことなく部屋に上がり込んだ。