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十九

「あんな事があった後だし、疲れてるんじゃないのか? 今夜である必要はないさ。それに君が話したくない事なら無理に話さないでいい。格好をつけるつもりはないけど、君の過去にはこだわらない。俺にとって大切なのは今の君であり未来の君なんだから」

『過去にはこだわらない』大抵の男はこう言うが、それは目的を果たすまでの方便に過ぎない。幾度か体を重ね、そろそろ自分のものになったな、と軽はずみな判断を下した頃、前言を忘れたかのように女性の過去をほじくり返そうとする。俺がそれをしないのは相手の告白と引き換えに語らねばならない俺の過去が、醜悪極まりないものであるからに他ならない。しかし紗江子は引き下がらなかった。

「ううん、あなたが救いの手を差し伸べてくれたあたしが、どんな人間なのかを知っておいて欲しいから話すの。全部聞いてくれた上でそんな女はここにおいておけないといわれるなら帰ります。家族のこと、あたしがどんな過去を送ってきたかも、あなたに知られないままで一緒にいられるといい――、そんな虫のいいことを考えていたけど、今夜みたいなことがあっては無理ね。嫌われてもいい、全部話します」

 思い詰めた様子で語る紗江子ではあったが、俺とて不幸に追い込んだ女性は自慢ではないが(「自慢ではないが」と言いつつ、自慢タラタラの輩も居るが、これは本当に自慢ではない)少なくない。「あなたは人を傷つけるプロフェッショナルね」などという有難くない言葉を頂戴したこともある。『だったら何故捨てた?』そんな声も聞こえてきそうだが、別れの度、身を切り刻まれんばかりの悔恨に苦しめられているのも事実だ。要するに俺はひとを愛し過ぎてしまうのだ。亡父に誓ってもいい、愛情なく女性を抱いたことなど俺には一度もない。

 不倫、堕胎、女性の悲劇にまつわる二大キーワードなら想定内だ。話して楽になるなら聞いてあげよう。だいたいに於いて「さあ聞いて、私の不幸を」的ストーリーは、聞かされる側にとって「はいはい、なるほどね」と聞き流せてしまうものが多い。話の途中で欠伸をしたり居眠りをしてしまうなどの失態を犯さぬよう、冷蔵庫の栄養ドリンクを一本飲み干して紗江子の隣に座り直した。

 彼女の告白は、冷淡で鳴らすこの俺から、激昂と悲痛、葛藤と憐憫、悲哀と……、つまり、ありとあらゆる感情を絞り出すことになる。だが、この時点での俺はそんなことなどこれっぽっちも考えていなかった。

「例え君が時効を待つ殺人犯だったとしても嫌いにはならない。だから安心して話すといい」

 紗江子に膝掛けを渡し、彼女の部屋で見かけた小説の一節を口にする。

「あの小説ね?」

「はいな」

 彼女にとっては重い過去なのだろう。少しでも負担を軽く、楽に話せるようしてあげたい。俺のふざけた返事はそのあらわれだった。そしてそれを合図に紗江子の告白が始まった。


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