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十三

 レストランまでの短い道のりで多くの情報は引き出せまい、人目のある店内も同様だ。マンションに彼女を送った後も俺を部屋にあげようとはしないだろう。なにより女性専用マンションだし、灯りのついた部屋数から判断するに住人もほぼ戻ってきている。一言文句を言うつもりだっただけが予期せぬ展開となり、俺の脳味噌はその対応にフル回転を迫られていた。

 食事中も努めて他の話題を探すこととなる。

「別れた女房の実家から戻った娘達が、ご馳走になったすき焼きの話をしててね、それで牛鍋の美味かったここを思い出したんだ。帰省してない君にも食べさせてあげようと思って誘ってみた。どうだい?」

「うん、美味しいわ」

「今朝の斎藤は、なにを話していたんだ?」

「あなたの年齢、奥さんがいたこと、九年間付き合ってた女性がいたこと、あのヒゲは鉛筆で書いてるんだともいってたわ」

 ほんの少し紗江子が微笑んだ。

「あの野郎、今度逢ったらただじゃおかない。で、君はどう答えたんだ?」

「ご親切にありがとうございます。でもジュンのことならあたしの方がよく知ってますから、そう答えたの。あのひと、大きな口を開けて固まってたわ。吹き出しがついていたら『アングリ』って書かれていたでしょうね」

 俺は大笑いした。隣のテーブルのカップルが迷惑そうな視線を向けてきたので睨み返す。それを嗜める代わりに紗江子はこんな問い掛けをしてきた。

「どうする? ずいぶん知れ渡っちゃってるみたいだけど。ジュンの奥さんの耳に入るのも時間の問題みたいよ」

「元だ、元、奥さん。そうなったらそうなったで仕方ないさ。おかしなもので別れてからの方が彼女との関係も上手くいってる。君が憎悪の標的になることもないだろうさ。そうさな、時に委ねよう」

「?」

 紗江子が小首を傾げた。映画のセリフの引用が通用するのは元カノだった。しまった、と思ったがもう遅い。咄嗟に「ディケンズの小説になかったっけ? そのセリフ」と誤魔化す。

「知らない」と紗江子。嘘なんだから知ってるはずがない。

 その後もマンションでの騒動には触れないよう注意しながらの不自然な会話が進む。

「そのジャケット、俺の革ジャンとよく似てるな」

「似てるんじゃなく全く同じものよ。S社のでしょう? いつかあなたがバイクに乗ってきた時に着ていたのを見て探したの。でも、あんなに高いとは思わなかったわ。お陰で――」 

「お陰で?」

「ううん、なんでもない」

 寝坊した時のことだな――、朝一番でないと混みあう紗江子の職場だった。そこで手間取ると出社も遅れ、上司の嫌味を聞かされる羽目になる。渋滞につかまっていたら間に合わないと思い、しばらく跨ってなかったファットボーイ(ハーレー)を引きずりだした時のことだ。二年ほど前の記憶だった。

 積極的に話題を提供してくる訳ではないが、俺の語りかけにはちゃんと答えてくれる。歯切れの悪い部分もあったが、あの騒ぎの後だ、百パーセント会話に集中できるはずもない。

 それでも雰囲気を悪くすまいと、無理に笑顔をつくろうと紗江子は何度となく唇の端を持ち上げる。そんな仕草が却って痛々しく感じられた。

 騒動の原因を俺に話すべきかどうかの逡巡も感じられたし、またあの魚男が来たらどうしようかと、不安になってもいただろう。なんとかしてあげられないものかと思い悩む俺の頭に、フワリと舞い降りるものがあった。


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