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十一

 幹線道路から県道にはいった辺りで、タバコを吸うために少し窓を開ける。車内に流れ込む冷気が俺に大人の思考を運んできた。電話が繋がらないってことは、もう店に入ってテーブルに着いたのだろう。ああは言っていたが、女性だけでのバカ騒ぎに夢中になっているのかもしれない。もしかすると俺に関する質問攻めにあって「電話なさいよ」とか、なんとか囃したてられ、困って電源を切ったのかもしれない。うん、きっとそうだ。

 思い直した俺は、紗江子のマンションが見える交差点で逆方向へと方向指示器を出した。目指す和食レストランはそこから数分の距離にある。

 未練がましく目をやった紗江子の部屋の玄関ドアに、帰宅する住人の車のものと思しきヘッドライトが人影を映し出す。なんだ、まだいるんじゃないか。再び少年に戻ってしまった俺は、後続車のクラクションを無視して強引な車線変更で進路を変えた。

 紗江子じゃないのか? 遠目だが明らかに彼女のシルエットではなさそうだ。普段であれば空いた駐車スペースに車を乗り入れるのだが、人影が若い男のものであるように思え、二十メートルほど手前で車を停める。

 浮気か? あるのかないのかわからないが俺の瞳の哀しみを増やすつもりか? 一言の文句では済みそうもないぞ。傲慢な少年のままショートしてしまった俺の思考回路から次々と自分勝手な理屈が溢れだす。しかし、様子を伺ううちに、その人影の行動の不審さが気になり、俺は平静を取り戻していった。

 チャイムをゲーム機のボタンみたいに押し続ける、乱暴にドアを叩く、そしてその合間に――距離があって聞き取りにくいが――紗江子の名前を大声で呼んでいるようだった。

 尋常ではない。そう感じた俺は車を降り、足早に人影へと歩み寄る。長髪をオレンジ色に染めた若者のようだ。だらしなく腰骨辺りまで下げられたブカブカのジーンズと、この時期にそぐわない薄手の、所謂スカジャンというものを羽織った後姿にそう判断した。

「どうかなさいましたか」

 俺の問い掛けに、若者は跳ね上がるように振り向いた。ポーチライトに浮かぶ顔は青白い。大きく見開いたまん丸な目と小さな口はどこか魚を思わせる。 服装は若作りだが二十代後半ぐらいだろうか、痩せていて背はさほど高くない。

「おっさんには関係ねえよ!」

 精一杯の虚勢を張ってみせるが、この手の若者は群れをなしていないと不安で仕方がないらしい。ぬうと灯りの下に顔を出した俺に返す声が震えていた。

「いえ、関係なくはないんですよ。わたしはここの管理を任されている不動産会社のものなんですが、先ほど、大きな声で騒いでるひとがいて困っていると連絡がありましてね。中尾さんに御用なんですか? お留守みたいですよ」

 スラスラと嘘が口をついて出る。本来の俺はこんな丁寧に若者を扱わない。

「居留守を使ってんだよ。俺は部屋に入るとこを見てたんだ」

「例え、そうであったとしても、お返事がないという事はあなたに逢いたくないといった意志表示ではないでしょうか。お引き取り願えませんか。これ以上、騒がれるようなら警察に通報せねばなりませぬ」

 使い慣れない丁寧語に語尾が大奥みたいになってしまうが幸いにして興奮状態の若者には気づかれなかった。矢継ぎ早に言葉を重ねて誤魔化す。

「ここは女性専用マンションでして、二親等までの男性しか入室出来ないんです。見た所、あなたはお父様にも見えませんし……、もしかしてお兄様ですか?」

 若者はなにか言おうとして口を開きかけたが、思いつかないのかそのまま口をつぐむ。そしてそれを数回繰り返した。酸素を求めて水面で口をぱくぱくさせる魚のようだ。

 海へ帰れ! 俺は声を出さずに口だけそう動かす。

「わあったよ! 帰ればいいんだろ、帰れば」

 魚男がようやく探し当てた言葉は乱暴な降参だった。

「さえこー! またくるからな。ヤサはわかったんだ、逃げらんねえぞ」

 ドア越しに捨て台詞を吐くと、若者は無遠慮に駐車した蛍光ピンクのセダンに向かう。彼が乗ってきた車なのだろう、排気音も騒々しい。窓は前面以外、すべて真っ黒のフィルムが貼られていた。

 そんなんで見えるのか? ハンドルを切り損ねて側溝に落っこちても助けてやんねえぞ。

 方向転換をしようと狭い駐車場で魚男は何度もハンドルを切り返す。悪趣味なカラーリングが施された車体に目を向けたまま、俺は胸の前で腕組みをした。



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