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百 最終話

 俺は紗江子の〝最期の願い〟に応えなかった。

 葬儀屋と坊主を儲けさせるだけのセレモニーなどするつもりはなかった。義理で手を合わせるだけの弔問客に、紗江子の姿を晒したくはなかった。ただ、「紗江子さんに別れを告げることの出来なかった人達のために、その場所をつくっておあげなさい。それがあんたから紗江子さんへの最後の贈り物になるのよ」そう言うおふくろの言葉にはなにかしら俺を衝き動かすものがあり、家族葬という形で葬儀を執り行うことにした。

 香典も受け取らなければ返礼品もない。僧侶も呼ばず戒名もつけない。売上げの見込めない質素なそれは斎場側にとってありがたくなかったかもしれない。だが、せめてそこだけでも紗江子の遺志を尊重してあげたいと思った。純粋に紗江子の死を悼んでくれるひとだけが参列してくれればよかった。 

 祭壇に手向けられた花や果物籠に囲まれ、死に化粧を施された紗江子が横たわっている。

「きれいな顔ね、眠ってるみたい」ひとびとは棺を覗きこんでは、口々にそう言った。

 俺は棺にはいった紗江子を見なかった。魂の宿っていた彼女の美しさはこんなもんじゃない、そこにいるのは紗江子だけど紗江子じゃない。俺に微笑みかけてくる遺影だけをじっと見つめていた。静かすぎる葬儀だった。

 エリック・クラプトンクロニクルズをBGMに、紗江子の残した声が流れ出す。ICレコーダーにマイクをかざす祐二も涙で頬を濡らしていた。

――お母さん、お母さんより先に死んでしまうあたしを許して下さい。あなたがいなければ、あたしはこの世に生まれてきてはいなかったんですね、ありがとうございました。 

――叔母さん、本当にお世話になりました。高校に行かせてもらった御恩はずっと忘れません。母を宜しくお願いします。

――祐ちゃん、毎日お見舞いにきてくれてありがとう。早く一人前の探偵さんになってね。

――ジュンのお母様、あたしを受け入れてくれてありがとうございました。新しいお母さんができたみたいで、とても幸せでした。もっともっと、お話しがしたかった。ジュンが小さかった頃のお話が聞きかったです。

――祥子ちゃん、由里ちゃん、美味しい物を奢るって約束を果たせなくてごめんね。欲しい洋服があれば持っていって下さい。着てくれると嬉しいな。 

――大山さん、美味しいコーヒーをお客さんに淹れ続けてください。ジュンのことをいっぱい教えてくれてありがとうございました。大山さんのお陰です。ジュンと一緒に過ごせた月日は長くはなかったけど、それより、ずっとながくジュンといられたように感じられました。

――水野さん、水野さんのお陰でジュンと仲良くなることができました。ありがとうございました。

――斎藤さん、かおるちゃん、いつまでも仲良くね。

――ジュンのお友達のみなさん、あんな怖い顔をしてても、ジュンはさびしがり屋です。あたしがいなくなった時には、みなさんで支えてあげてください。よろしくお願いします。 

――最後になっちゃったけど、ジュンへ。ジュンへのメッセージはもう伝えたわよね。省略しちゃったら怒るかな? もう一度、精一杯の気持を込めて言います。あなたに逢えて、あたしはとても幸せでした。ありがとう。ずっとずっと、ずーっと愛してます。

 ベガからずっと見守っている。そう言ってくれた紗江子のためにもニ度と泣くまいと誓った俺だった。しかし、そんな誓いなどいとも容易く打ち砕いて紗江子の言葉が降り注いでくる。

 ごめん、この涙を最後にするから――。祥子の号泣がホールに響き渡った。

 

 遺骨が納められた小さな桐の箱を抱いて式場に戻った俺は、紗江子の気配を感じて周囲を見回す。参列者のなかに見当たらなかった黒羽二重姿の氏家京子が柱の影に隠れるようにして立っていた。

「いらしてたんですか……、はいってこられればよかったのに――」

「ねえさん……、来てたのね。紗江ちゃん、こんなんなっちゃって」 

 紗江子の叔母も姉の姿に気づき、再び感情が昂ぶったように、ボロボロと涙を流し始めた。

 病院で紗江子の母親に告げた「ニ度と逢わせない」を俺は後悔していた。質素過ぎる葬儀を詰られても仕方ない――俺はそう覚悟していた。

 無言のまま俺を見つめていた紗江子の母親の瞳から急に湧いて出たように大粒の涙がこぼれ落ちてくる。

「わたしの我儘で父親をなくし、あんな苦労までさせた娘よ。今更、優しい母親になんかなれる訳がないでしょうに。ああやって金の亡者を演じ続けるしかなかった。紗江子に合わす顔なんかある訳ないっ!」

 紗江子の母親は膝をついて堰を切ったように泣きだした。

 紗江子、君は親にすら愛されなかったといったけど、どうやら間違っていたようだぞ。俺は救われたような気持ちになった。

 氏家京子に手を貸して立たせ、桐の箱を差し出す。

「紗江子はずっと部屋に帰りたがっていました。母親であるあなたに抱かれて帰ることを、紗江子はきっと望んでいると思います」


                   ―― 完 ――

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