ティーカップ
夜になると、古いドール達は声を潜める。
昼間は磨かれた床の上で優雅に笑い、陶器の指先で紅茶を持ち、永遠みたいな顔をしているくせに、夜になると皆どこか軋んでいた。
主人公ドールは、それをまだ知らない。
彼女の髪は艶やかで、頬にはひび一つ無い。関節も滑らかで、歩くたびに小さな鈴みたいな音が鳴った。
執事は彼女だけに仕えていた。
朝の身支度。昼の読書。夜の紅茶。
すべて彼が整えた。
「今日のお茶は?」
「ミルクティーでございます」
「あなたの淹れるものが一番好き」
執事は静かに頭を下げる。
それを、廊下の奥からおばあちゃんドールが見ていた。
白い睫毛の奥で、何かを諦めたような目をして。
*
ある夜。
おばあちゃんドールは櫛を通していた。
乾いた髪が、ぽとり、と膝へ落ちる。
長い銀糸だった。
彼女はしばらくそれを見つめ、それから小さく笑った。
「あら」
その声だけが、静かな部屋に残った。
*
翌日から、おばあちゃんドールは夜更けに執事を呼ぶようになった。
「主人公ドールには内緒よ」
「……なぜでしょう」
「知らなくていいこともあるの」
執事は逆らわなかった。
古いドール達は皆、最後に少しだけ壊れることを知っていたからだ。
その夜、出された紅茶は甘かった。
白いティーカップの底で、微かな苦味が揺れている。
執事は一口飲み、すぐに理解した。
毒だった。
けれど顔色一つ変えず、カップを置く。
「美味しいわ」
おばあちゃんドールはそう言って笑った。
ひび割れた唇で。
*
それから毎夜、毒は少しずつ増えた。
執事は拒まなかった。
主人公ドールの髪を梳かしながら、時々、指先が震えるようになった。
「最近、顔色が悪いの」
「お疲れなだけでございます」
「ちゃんと眠ってる?」
「ええ」
嘘だった。
夜ごと、命を薄めた紅茶を飲んでいる。
けれど主人公ドールは気づかない。
彼女はまだ、“壊れる”ということを知らないから。
*
ある晩、主人公ドールは見てしまう。
月明かりの部屋。
おばあちゃんドールがティーカップへ白い粉を落としている姿を。
「……おばあさま?」
おばあちゃんドールは振り返る。
その瞬間、頭の髪が一束、はらりと落ちた。
主人公ドールは初めて、恐怖という感情を知った。
「どうして」
震える声で問う。
おばあちゃんドールは静かにティーカップを撫でた。
「人間はね、先に壊れるの」
「……え?」
「置いていかれるのは、とても寒いのよ」
執事は何も言わなかった。
ただ、毒入りのティーカップを持ち上げる。
「おやめください!」
主人公ドールが叫ぶ。
けれど執事は、少しだけ微笑んだ。
「貴女も、いつかわかります」
そして静かに飲み干した。
白い喉が、小さく動く。
カップの底には、黒い茶葉だけが残っていた




