第9話:本当はこのまま気持ち確かめたくて
金曜日の夜。ゲリラ豪雨が嘘のように小降りになり、街灯が濡れたアスファルトにキラキラと反射していた。
カフェバー『Rain』を出た大樹と美咲は、一本のビニール傘に入り、美咲のマンションへと向かってゆっくりと歩いていた。
「……今日はみんな、バラバラになっちゃったね」
美咲が、傘に当たる小さな雨音を聞きながらポツリとこぼす。
愛莉を迎えに行った蓮。現場に戻った翔と、それを追いかけた葵。いつもなら最後まで飲んで騒いでいるはずの仲間たちが、今日はそれぞれの理由で店を後にしていた。
「そうだな……。みんないろいろ、あるんだろ」
大樹は、自分の右肩が濡れるのも構わず、傘を美咲の方へ大きく傾けながら相槌を打った。
いつものお調子者で饒舌な大樹からは想像もつかないほど、今の彼は無口だった。
その沈黙が、美咲の胸の奥を不安にさせる。
「大樹くん、どうしたの? なんだか、いつもより静か……。さっき店で、私が変なこと言っちゃったから、気を使わせてる?」
美咲は、第4話で口にしてしまった「一人でいると寂しくなる」という弱音を思い出し、申し訳なさそうに視線を落とした。
ふいに、大樹の足がピタリと止まった。
「……気なんか、使ってないよ」
大樹は傘を持たない方の手で、美咲の華奢な肩をそっと引き寄せ、自分の方を向かせた。
街灯の下、いつもはヘラヘラと笑っている大樹の顔には、一切の「冗談」や「おどけ」が存在していなかった。その真剣な眼差しに、美咲はハッとして息を呑む。
「さっきの話の続き、させてよ。……俺、ずっと怖かったんだ」
「……怖かった?」
「うん。美咲ちゃんはいつも優しくて、みんなのお母さんみたいにニコニコ話を聞いてくれるだろ。だから俺が『好きだ』って言っても、またいつもの冗談だって笑って流されちゃうんじゃないか……この心地いい友達の距離が、壊れちゃうんじゃないかって」
好きという事実を通りすぎて、今ではもう愛している。
でも、想いを伝えることで、失ってしまうかもしれない明日が怖かったのだ。
「でもさ、陽斗が言ってた通りだ。自分から傘を差して迎えに行かなきゃ、何も変わらない」
大樹は、美咲の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「美咲ちゃん。俺、美咲ちゃんのことが好きだ。冗談でも、場を盛り上げるためでもない。誰よりも優しくて、人の痛みがわかる君に、ずっと惹かれてた」
すれ違いも、二人もう一度やり直すための試練だって、すぐに言えるのなら、どんなにいいだろうか。
臆病になって誤魔化してきた数日間で、大樹はやっと知ったのだ。本当はこのまま、君の気持ちを確かめたくてたまらなかった自分の本心に。
「私なんか……地味だし、大樹くんみたいに周りを明るくできないのに……」
美咲の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。
「バカだな。俺がみんなの中心でバカやって笑えるのは、美咲ちゃんが一番優しい目で見守ってくれてるからだよ。俺の中心には、いつも君がいるんだ」
大樹は、空いている手で美咲の涙をそっと拭った。
その不器用で優しい指先の温もりに、美咲は心の奥底にあった「一人が怖い」という孤独感が、ふわりと溶けて消えていくのを感じた。
「……大樹くんの隣に、いてもいいの?」
「美咲ちゃんじゃなきゃ、嫌だ。俺が、絶対に一人にしないから」
大樹は傘を少し傾け、美咲の体をそっと抱きしめた。
いつもの冗談に隠されていた、彼の本当の男らしさと温かさ。美咲は、大樹の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。
好きだよ、と伝えればいいのに。
願う先が怖くて言えなかった二人の恋音が、ついに重なり合った瞬間。
傘の向こう側に見える札幌の夜空から、冷たい雨の気配は完全に消え去ろうとしていた。




