第4話:お調子者のすれ違い
カフェバー『Rain』の隅のボックス席。
金曜の夜だというのに、今日は珍しく大樹と美咲の二人きりだった。他のメンバーはそれぞれ仕事や野暮用で遅れるか、欠席の連絡が入っている。
「いやー、今日美咲ちゃんと二人っきりなんて、俺ラッキーかも! なぁんてね!」
大樹はいつものようにおどけた調子で笑い、グラスのビールを煽った。
彼はグループのムードメーカーだ。誰かが落ち込んでいれば率先してふざけ、場を和ませる。だが、その明るすぎる性格の裏で、彼がいつも目で追っているのは、向かいに座る美咲のことだった。
「もう、大樹くんったら。すぐそういう冗談言うんだから」
美咲は困ったように微笑みながら、カクテルグラスの縁を指でなぞった。
保育士をしている彼女は、グループの中で一番おっとりしていて、みんなのお母さんのような存在だ。誰の言葉にも優しく耳を傾け、決して否定しない。
大樹は、そんな美咲の海のように深い優しさに、出会った頃からずっと惹かれていた。
「冗談じゃないっすよー。俺、美咲ちゃんみたいな奥さんもらえたら、毎日真っ直ぐ家に帰るのになぁ」
大樹はわざとらしく天を仰ぎ、わざとらしい溜め息をついてみせた。
――本気なのに。
大樹の胸の奥で、ズキリと痛みが走る。
いつだって「冗談」というオブラートに包まなければ、好意を伝えられない自分が情けなかった。もし真顔で告白して、美咲のあの優しい笑顔を困惑させてしまったら。今の居心地の良い「友達」という関係が壊れてしまったら。
そう思うと、怖くて一歩も踏み出せないのだ。
「ふふっ。大樹くんはモテるから、私なんかよりずっと素敵な女の人が見つかるわよ」
美咲は、大樹の言葉をまた「いつもの軽口」として受け流し、寂しそうに目を伏せた。
美咲もまた、心の中で静かに葛藤していた。
大樹の明るさにいつも救われている。彼が不意に見せる、誰よりも周りを見ている繊細な優しさに気づいているのは、美咲だけかもしれない。
けれど、自分のような地味で取り柄のない女が、グループの中心にいる大樹の隣に立つ資格なんてない。彼にはもっと華やかで、彼と同じように場を明るくできる女性がお似合いなのだと、勝手に線を引いてしまっていた。
いつから、一人が怖くなったんだろう。
町行く恋人が羨ましく思うことが増えた。
でも今は、束の間の幸せ。
このグループで、友達として彼の隣で笑い合えるだけでいい。できることならこのまま、ありふれた恋人達になりたいと願うのは、贅沢なのだろうか。
「……ねえ、大樹くん」
美咲が、ポツリと口を開いた。
「ん? どしたの美咲ちゃん、そんな真剣な顔して」
大樹は慌てておちゃらけた表情を作り、身を乗り出した。
「私ね、最近……自分が本当はどうしたいのか、わからなくなる時があるの。みんなでワイワイやってる時はすごく楽しいのに、一人で部屋に帰ると、急にすごく寂しくなって……」
美咲の声は小さく、少し震えていた。
大樹の心臓が、大きく跳ねた。
君がここで望んでいること。僕がここで言いたいこと。
今なら、想いも重なるかな?
「美咲ちゃん……」
大樹は、いつものヘラヘラした笑いを消し、真剣な眼差しで美咲を見つめた。
テーブルの上にある彼女の小さな手に、自分の手を重ねようとした、その時だった。
カランコロン。
「お疲れーっす! いやー、雨ひどくて遅れちゃったよ!」
「もー、しょうったら水たまりバシャバシャ歩くから、わたしの靴まで濡れちゃったじゃん!」
入り口のベルが鳴り、ずぶ濡れの翔と愛莉が、賑やかに店に飛び込んできた。
続いて、蓮と葵も少し遅れて入ってくる。
「お、大樹と美咲、二人でしっぽりやってたのか? 悪いな、邪魔して」
翔がニヤニヤしながら二人のテーブルを覗き込む。
「なっ……! べ、別にしっぽりなんてしてねーよ! ただの世間話だっつーの!」
大樹は慌てて手を引っ込め、いつものお調子者の顔に戻って大声で反論した。
「ふふ、そうよ。翔くんったら変なこと言わないで」
美咲もまた、いつもの優しい「グループのお母さん」の顔に戻り、ふんわりと微笑んだ。
賑やかな仲間たちの輪が戻り、『Rain』の店内はいつもの温かい空気に包まれた。
大樹は、グラスに残った生ぬるいビールを一気に飲み干した。
好きだよ、と伝えればいいのに。
願う先が怖くて言えず、また「冗談」という仮面を被って、ほんの一握りの幸せを誤魔化す。
窓の外では、まだ雨が降り続いていた。
この冷たい雨が止むまで、もう少しだけ。この「友達」というぬるま湯の中にいさせてほしかった。




