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婚約破棄された悪役令嬢ですが、追放先の辺境で「一口で国を落とす」ごはんを作ったら、元婚約者の王子が土下座で並びました

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/02/16

その日、私…レティシア・ヴァルモントの十八年間は、シャンデリアの光の下であっけなく砕け散った。


「レティシア・ヴァルモント!お前との婚約は本日をもって破棄する!」


王宮大広間。何百という貴族の視線が私に突き刺さる。

アルベルト第一王子は、隣に控えた聖女、ミレーユ・フローリアの肩を抱きながら、芝居がかった声で宣言した。


「可愛げのないお前は不要だ。

国を導くのは、慈愛に満ちた真の王妃。聖女ミレーユこそがその人だ!」


会場がどよめく。でも反論の声はない…そりゃそうだ。


私は社交界で「冷酷な悪徳令嬢」と呼ばれている女。

王子の浪費を諫め、塩と脂にまみれた王宮料理を批判し、「王の食事は国の健康そのものです」と進言した…それだけで、悪役の烙印を押された。


「ミレーユの作った薔薇のコンフィチュール、あれこそ真心の味だった。

お前の冷たい舌には一生わかるまい」


……ああ、あの菓子のことね。

砂糖で素材を殴り倒し、薔薇の香りを焦がしバターで塗り潰した、あの暴力的な甘味のこと。


——それ、素材を殺していますわよ。


喉元まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。言ったところで届かないわ。

この人の舌は、もうずっと前から麻痺しているのだから。


「追放先は辺境のノルデン領とする。二度と王都の土を踏むな」


拍手が起きた。聖女が涙ぐみ、王子がそれを優しく拭う。

まるで完璧な物語のクライマックス。

悪役令嬢が裁かれ、聖女が報われる。観客は満足そうに微笑んでいる。


私の胸の奥で、何かが——音を立てて、折れた。


悔しい、悔しい、悔しい、悔しい…!


十年かけて学んだ火入れの技術も、夜明け前に起きて試作を重ねたスープのレシピも、この国の食卓を少しでも良くしたいと願った気持ちも……誰にも、一度も、届かなかった。


背筋だけはまっすぐ伸ばして、私は大広間を出た。

揺れる馬車の中で、ようやく一人になれた瞬間、涙が溢れた。


「私は……ただ、美味しいものを作りたかっただけなのに……!」


握りしめた拳の中には、使い慣れた小さな塩の瓶だけが残っていた。





ノルデン領。王都から馬車で五日。

到着した私を迎えたのは、灰色の空と、痩せた頬の人々と、荒れ果てた畑だった。


「……これは、またひどいこと」


領主館と呼ぶには粗末すぎる石造りの屋敷に荷を下ろし、私はまず井戸水を飲んだ。


——冷たい…王都の水より澄んでいる気がする。


次に村を歩いた。

放牧された山羊の乳を指先で舐め、倉庫に転がる根菜を手に取り、製粉所の全粒粉を親指と人差し指で擦り合わせた。



「……嘘でしょう」


乳は濃厚で甘く、かぶは土の香りの奥に蜜のような甘みを隠している。

小麦はずっしりと重く、噛めば穀物の旨味が広がる確信があった。


素材だけなら——王都の十倍、いいえ、比較にならない。


この土地の人々は「貧しいから美味いものなど作れない」と諦めていた。

でも違う。素材は最高級、足りなかったのは、その声を聴く技術だけだ。


ここでなら、私の密かな夢だった自分だけの店を持てるのではないだろうか?

少しだけれどへそくりも持ってきたし、幸いなことに住まいは用意されていた。


「ここは私の腕の見せ所かしら…!」

私は袖をまくった。


まず、山羊乳のチーズ。

搾りたての乳をゆっくり温め、わずかな酢で凝固させる。

布で水分を切り、塩を薄くまぶして、涼しい石室で三日寝かせた。

表面がうっすら琥珀がかった頃、切り分ける。


ナイフを入れた瞬間、ふわりと立ち上がる乳の甘い香り。

口に含むと、最初にやわらかな酸味、追いかけて深いコク、最後に舌の上でほどけるように消えていく余韻。



次に、全粒粉のパン。

水と塩と、この小麦だけ。余計なものは足さない。

低温で長時間発酵させ、石窯の余熱でじっくり焼く。

外皮がパリッと割れた瞬間に広がる、焼きたての穀物の芳香。


中はもっちりとして、噛むほどに甘い。



そして、かぶのポタージュ。

かぶを薄く切り、ほんの少しの山羊バターで焦がさないように炒める。

水を加えて弱火で三十分。

くったりと崩れた蕪を木杓子で潰し、仕上げに岩塩をひとつまみ。たったそれだけ。


でも一口含めば、舌の上にじんわりと広がる甘みが体の芯まで染みて、冷えた指先がゆっくりとほどけていく。


村の広場に鍋を運んだ日のことを、私は一生忘れない。

最初にスープを口にした老婆が、スプーンを持ったまま動かなくなった。


「……こんな味、初めてだ…あなたはいったい何者なのですか?」


「あはは、ただの追放された悪徳令嬢ですよ」


パンをちぎった少年が目を丸くし、チーズを頬張った娘が、泣き笑いの顔をした。


この料理を村のみんなにふるまっていくたびに、村の子供たちの顔色が良くなり、大人たちの足取りが軽くなった。


私はそれから毎日、皆に料理を振舞っていた。

ノルデン領の食卓は、静かに、しかし確実に変わっていた。


営業時間外、空いている時間に保存食も作った。

塩漬け肉を香草で包み、低温の燻製室で燻す。

繊維がほぐれるほど柔らかく、噛みしめると肉の旨味と木の香りが鼻腔に抜ける。

これなら冬も越せる…!




この噂は、少しずつ、しかし確実に広がった。


「辺境に、とんでもない料理を出す店があるらしい」




追放されてから半年後。

王都は静かに崩れ始めていたらしい。



貴族たちは相変わらず脂と砂糖の宴に溺れ、肥満が蔓延し、騎士団は持久力の低下で遠征もままならない。

食材の高騰は国庫を圧迫し、民の不満は日増しに膨らんでいた。


そんな折、ノルデン領の「奇跡の食卓」の噂が、ついに王宮にまで届いたのだという。




ある晴れた朝、私は店の前で仕込みをしていた。

今日のスープは今が旬の新じゃがのポタージュ。

昨夜仕込んだ鶏の出汁で、じゃがいもの甘みを静かに引き出す。


「レティシア先生、今日も行列すごいよ!」


村の少年が駆け込んでくる。振り返ると、店の前には見慣れた長蛇の列。

農夫、商人、最近は他領の旅人も混じるようになった。


その最後尾に——場違いな金髪が見えた。

フード付きの外套で身を隠してはいるが、あの傲慢な立ち姿を忘れるわけがない。


…アルベルト第一王子。

そう、私の元婚約者で、私を追放した元凶だ。


目が合ってしまった。

彼の顔にはかつての余裕がなく、頬はこけ、目の下には隈が刻まれていた。


「……久しいな、レティシア」


「いらっしゃいませ。当店は並んだ順にお出ししております」


私は淡々と答えて、厨房に戻った。

特別扱いはしない。王子だろうと、一人の客だ。


二時間後、ようやく彼の番が来た。


「……一皿、頼む」


「本日は新じゃがのポタージュと、全粒粉のパン、山羊チーズの盛り合わせです」


いつもと同じ一皿を、いつもと同じように出した。


王子がスプーンを取る。

一口、ポタージュを口に運ぶ。


その瞬間、彼の手が、止まった。


じゃがいもの甘みが舌の上でほどける。塩はほんの一粒分、なのに味がある。

素材そのものが語りかけてくるような、静かで深い旨味…


脂に頼らない。砂糖で誤魔化さない。

一切の虚飾を剥ぎ取った先にある、食材の本当の声。


パンをちぎる。外皮の香ばしさが漂い、食べると中身の甘みが広がる。

味変でチーズを乗せる。乳の芳醇さが穀物の旨味と溶け合い、口の中で小さなハーモニーが生まれる。


王子の目が見開かれた。スプーンを持つ指が震えていた。


「——これが」

彼の声がかすれる。


「これが、お前がずっと言っていた味なのか……」


二口目、三口目。食べるほどに体が温まり、頭が冴え、味覚が研ぎ澄まされていく。

王宮で何年も浴びるように食べてきた料理が、いかに舌を鈍らせていたか。

一口ごとに突きつけられる。


「俺は……何を、捨てたんだ」


器を置いた王子の目に、光るものがあった。

そして…椅子から崩れ落ちるように、膝をついた。額を、土の床につけた。


「戻ってきてくれ、レティシア。王都には……お前が必要だ」


店が静まり返った。村人たちが息を呑んで見守っている。


私は、穏やかに微笑んだ。


「味が分かるようになったのは、喜ばしいことですわ、殿下…

ですが、もう遅すぎます」


王子が顔を上げる。その目には、すがるような光があった。

でも私の心は、もう凪いでいた。


「この土地の素材は、私の声を聞いてくれました。

この村の人々は、私の料理を待っていてくれました。

私はようやく、自分の居場所を見つけたのです」


風が吹いて、厨房からパンの焼ける香りが漂ってくる。


「どうぞお帰りくださいませ。

スープが冷めてしまいますので、お代はお気持ちで結構ですわ」




それから一年。


ノルデン領は王国有数の食料輸出地となった。

私の作った保存食のレシピは騎士団の兵站を立て直し、辺境の乳製品と穀物は各地の食卓を変えた。


隣で帳簿をまとめてくれるのは、領主のグレンさん。

不器用で寡黙で、でも毎朝「今日のパンも美味い」と静かに笑ってくれる人。


王子は王都で食の改革に取り組んでいるらしい。

遅すぎた覚醒でも、やらないよりはましだろう。でもそれは、もう私の知ることではない。


今日も朝が来る。

石窯に火を入れて、乳を温めて、蕪の皮をそっと剥く。


素材の声に耳を澄ませる。この静かな朝の台所が、私の戦場で、私の王座だ。


「…さて、今日も美味しいごはん、作りますか」


湯気の向こうで、村の子供たちの笑い声が聞こえた。

それが私の、一番のご馳走。



                            

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