19. 秋の深まり
十一月の夜は、音が少ない。
扉が閉まるたび、外の冷えた空気がすっと引いていく。
――季節が、確かに一つ進んだ音だった。
今日もチリン、と鈴の音。
「いらっしゃいませ」
綾小路先生、松永先生、そして薫さんが来てくれた。シックな冬の装いに渋さが滲み出ていて、三人揃うとオーラが半端ない。
「……ここは暖かいな、せな」
「秋の夜にぴったりなのを頼むよ」
「あと筋肉にもな」
私は「かしこまりました」と言って準備を始める。
怜さんは別のお客さんの対応をしていた。
カウンターの内側で、グラスを一つ選ぶ。
口の薄い、少しだけ背の低いもの。
氷を入れる音が、静かな店内に小さく響く。
ハロウィンが終わっても秋はまだ続く。
林檎とシナモン、少しだけビターな後味。
林檎は、綾小路先生――やわらかくて、余韻が長い。
シナモンは、松永先生――主張しすぎないけれど、芯がある。
最後のビターは、薫さん――甘いだけじゃ、きっと足りない。
私は林檎のリキュールを少量、グラスに注ぐ。
続いて、ほんの少しだけ苦味のあるリキュール。
スプーンで、ゆっくり混ぜる。
音を立てないように、氷を転がすように。
そこへ、シナモンスティックを一本。
香りが立ちすぎない位置で、軽く沈めた。
カウンターの奥で、怜さんがこちらを見ていた。
何も言わずに、作業を邪魔しない距離で。
――任されてる。そして見守ってくれている。
その感覚が、指先を落ち着かせる。
最後に、薄く切った林檎を一枚。
グラスの縁にそっと掛ける。
淡い琥珀色が、灯りを映して静かに揺れた。
「……新作か」
低い声で、薫さんが言う。
「はい、“アフター・ザ・アップル”。林檎のあとに残るもの、というイメージです」
「ほう」
最初に薫さんに差し出す。
彼は一口含み、少しだけ目を伏せた。
「……甘いな」
「はい。でも、最後に少しだけ苦いです」
「……お、確かにビターな味だ」
「良かった」
気に入ってもらえると、安心できる。
林檎のあと、つまり甘さのあとに残るビター。
それはきっと、終わりではなく――続きの味。
次は、松永先生。
「シナモンが前に出すぎていないな」
「秋の終わりなので……控えめにしました」
「君らしい」
最後に、綾小路先生。
香りを確かめてから、ゆっくりと口に運ぶ。
「……林檎だ」
「はい」
「甘いけど、甘すぎない」
ふっと、笑う。
「過去を思い出させるが、そこに留まらない味だ」
その言葉に、私は小さく息を吸った。
過去の恋・結婚の“あと”に立つ今――そんなことも考えながら作っていた。
――そう、今の私だ。
カウンターの奥で、怜さんが小さく頷く。
「……いいな」
「本当?」
「ああ。季節が進んだ感じがする」
お客さんに褒めてもらえるのも嬉しいけれど……やっぱり怜さんに言われるのが一番嬉しい、かな。
「フフ……怜さんの前ではわかりやすくなるな。せな」
「えっ……あ……これは……その……」
まずい。綾小路先生に気づかれた。
お客さんの前なのに、顔が緩んでいたかもしれない。
「仲の良さが、カクテルにも出てる」と松永先生。
「ますます表情筋が似てきたぜ?」と薫さん。
隣にいる怜さんは……聞いていないフリをしているが、明らかに不自然だった。
「お恥ずかしいところを見せてしまいました。皆さんはその……どういう人を好きになるんですか」
三人に一度聞いてみたかったこと。
こんなに魅力のある彼らなので、恋愛についても気になってしまう。
すると、綾小路先生がまず口を開いた。
「……俺は共に物語を作れるような人がいい」
「綾小路先生らしいですね」
「ああ。一方が引っ張る関係もありかもしれないが、相手とじっくり歩んでいきたいな」
私はその言葉が腑に落ちた。
怜さんに引っ張られるのも悪くはないけれど、まずは彼と一緒にこのお店を守っていきたいと思ったからだ。
「いいですね。素敵な物語になりそう」
「松永先生はどうだ?」
「俺か? そうだな……」
松永先生が腕組みをしている。
真剣に考えてくれているのが、嬉しい。
「大前提として、相手を尊敬できるかどうかだな」
「と言うと……?」
「“好き”は尊敬の上に成り立つと言える。尊敬の心がなくなれば、結婚をしても長くは続かないものだ」
「……確かにそうですね」
私も怜さんを尊敬している。
彼のようにお客さんに対応できるように、ここまで頑張ってきた。
「薫はどうだ?」
「うーん、そうだなぁ」
薫さんのことなので、“筋トレで励まし合える人”みたいなことを言うだろうな、と思っていた。
でも、出てきたのは別の言葉だった。
「……俺、守ってあげたくなる人に弱いんだ」
「守ってあげたくなる人……可愛いらしい人ですか?」
「それもあるが……普段ものすごく努力しているけれど、いざという時に俺だけを頼りにしてくれる、みたいな」
ああ……そういうの、いいな。
私も怜さんが体調を崩した時、守ってあげたいって心の底から思っていた。どちらかが大変な時こそ、お互いの絆の強さが試される。
「……素敵ですね」
「そう言いながらも、君の顔には“怜”しか書かれていないぞ?」
薫さんにこう言われて、赤面する。
図星だった――全部、怜さんに当てはめて聞いていたなんて、言えない。
「怜さんもやるな。こんなに可憐な女性を虜にするとは」と綾小路先生。
「ぜひ話を聞いてみたい」と松永先生。
怜さんは少し驚いていたが、グラスを置いてから息をついた。
「俺は……」
一瞬、息が止まる。
怜さんはどんな恋愛の話をするのだろうか。
「……俺は、全部当てはまるかな」
「それって……」
「ああ。一緒に物語を紡いでいきたいし、尊敬も大事だと思っている。そして、いざという時に彼女を守れるような男になりたい」
全員が、静かに頷いた。
私と同じように……怜さんも三人が言うことを考えてくれていたんだ。
「せな、見過ぎ。そんなに見られると、仕事できない」
「あ……す……すみません」
「……そういうのは、後でな」
囁くような言い方に、心臓の音が大きくなる。
これだから、怜さんにはかなわない。
「……フフ。君たちの熱さを堪能することになるとは」
「いいお手本、だな」
「筋力が上がるぜ」
三人のいつもの笑い声が響いた。
林檎とシナモンの香りが、BARにゆっくり広がっていく。
今日はこれらの香りと一緒に、彼の存在を胸にしまう夜だった。




