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15. 昼間のひととき

 昼前の街は、予想よりも騒がしかった。

 夜のBARとは違って人の声も、足音も、全部がはっきりしている。


「……なんだか、変な感じ」

「そうか?」

「うん。怜さんと、こういう時間に一緒にいるの」


 今日は初めて彼と昼間に出かける。

 つまり、デートというもの。

 この歳なのに、初デートというだけで……まるで中高生のようにソワソワしている自分がいる。

 彼に気づかれているだろうか。


 怜さんは黒のシャツに、ジャケットは着ていない。

 それだけで、いつもより少し柔らかく見えた。

 バーテンダーの服もいいけれど、こういうカジュアルな服装も似合っている。


「昼は昼で、悪くないな」

「……ちょっと緊張するかも」


 そう言うと、怜さんは小さく笑った。


「俺もだ」


 意外な答えに、思わず彼の顔を見る。

 もしかして、彼も同じようなことを考えていたのかな。

 そういえば、夜の怜さんは迷いがない。

 でも今は、人の流れを確認するみたいに、少しだけ周囲を気にしている。


「……服、だったな」

「うん、久々に見に行きたくて。あと……出来たら怜さんの服も」

「俺の? フフ……君に選んでもらえるなら何でも」


 そう言って穏やかな笑顔を見せてくれるものだから、今日も心臓がもつのかわからない。

 並んで歩く距離は、近すぎず遠すぎず。

 肩が触れそうで触れない、その間隔がもどかしい。


 周りには、似たような男女が仲睦まじく歩いている。

 私たちもそういうふうに見えている……よね。


 そんなことを考えていると、お店に到着した。

 ハンガーが並ぶ音が軽く響く。

 私はワンピースやトップスを何着か手に取って、試着室に入った。


「……どう?」

「いい」

「……それだけ?」

「……すごくいい」


 即答すぎて笑ってしまった。

 褒められるのは嬉しいんだけど……男の人って割とみんなそういう反応をしてくる。


「ねぇ、もう少し何かない?」

「そうだな……」


 怜さんは一歩近づいて、襟元を軽く整える。

 顔が近づくと、いつもの彼の匂い。

 指先が触れた瞬間、心臓が跳ねた。


「これでいい」

「……怜さん……もう」

「何かおかしい?」

「距離……」


 そう言うと、彼は少しだけ視線を逸らした。

 耳がほんのりと赤く染まっている。


「……今は外だったな」


 外じゃなかったら、どうなっていたのだろう。

 想像するだけで、私も耳が熱くなってしまった。


「あ……じゃあ残りも着てみるね」

「うん」


 そのあとも「いい」「なかなかいい」「似合う」「とても似合う」と言われながら何とか選んで、購入した。

 さっきの胸のぬくもりが冷めないまま――今度は怜さんの服を見に行く。

 紳士服売場には多くの服が揃っている。シックなものもいいし、スポーティな彼も見てみたい。


「これ、いいな。あ、これもいい」

「せな、選びすぎ」

「だって……怜さん、何でも似合いそうだもの」


 そういうことで、私の好みで全身コーディネートを考えてみた。試着室の前でドキドキしながら彼を待つ。


「……どうだ?」

「……す、素敵……」


 秋らしい大人の男性。

 怜さんは恥ずかしそうだったけれど、私から見れば雑誌のモデルのようだった。


「せながそう言うなら……買うか」


 次のデートで怜さんがこの服を着てくれるのが、楽しみになってきた。


 

 お昼は小さなカフェにやって来た。

 席には、さっき購入した服の紙袋が並ぶ。

 おしゃれなランチプレートを食べながら、怜さんが口を開いた。


「……こういうの、久しぶりだ」

「怜さんも?」

「ああ。誰かと外で昼を食べるのは」


 フォークを置く音が、静かに響く。


「……私、昼の怜さんもいいと思う。ちょっと無防備で」

「そうか?」

「うん……お客さんが知らない怜さんって感じ」

「確かに昼間に私服で歩いていても、あまり気づかれないな」

「怜さんといえば、BARだもんね」


 私がそう言うと、彼が笑う。

 

「君だって、BAR LUPINE の顔だよ」

「え……嬉しい」

「フフ……」



 ◇◇◇

 


 適当に街中を歩きながら過ごしていると、陽が傾いてきた。

 夕方に向かう街の色が、少し切なく感じる。

 人の流れの中で、怜さんの腕が近い。


 ――今さら、手を伸ばす理由を探している自分がおかしかった。

 近くにいるのに、それ以上を欲しがってしまう。

 

「……せな」

「ん?」

「今日は、ありがとう」

「……私のほうこそ」


 このまま、BARに戻る。

 いつもの場所へ――そう思った、その時だった。


「あら……」


 背後から、女性の声がした。

 柔らかいけれど、よく通る声。


「……怜?」


 怜さんの足が、ほんの一瞬止まる。

 それだけで、心がざわついた。


 振り返った先に立っていたのは、三十代後半くらいの女性だった。

 整った顔立ちに、上品な服装。

 街に溶け込むのが上手そうな、洗練された雰囲気。


「久しぶりね。こんなところで会うなんて」


 怜さんは、少し間を置いてから答えた。


「……久しぶりだな」


 その声が、いつもの声とは違う。

 低くて、慎重で、どこか距離を測るような響き。

 ――知っている人だ。

 それも、ただの知り合いじゃない。


 女性の視線が、ゆっくりと私に向けられる。

 一瞬だけ、値踏みするみたいに。


「……こちらは?」


 怜さんは、私の方を見た。

 迷いなく答える。


「俺の恋人だ」


 胸が、どくんと鳴った。

 外で、街で、はっきりと――恋人。

 普通のことなのに、何故か鼓動がおさまらない。


「せな、こちらは……」

「北条里佳子よ、怜の元婚約者」


 ――婚約。

 言葉の重みが、遅れてお腹のあたりに落ちてくる。


 でも、不思議と足はすくまなかった。

 彼がそばにいてくれるから。

 今は、私が恋人なの――


「……はじめまして。桜野せなです」


 私は一歩前に出て、頭を下げた。

 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

 里佳子さんは少しだけ目を見開いてから、微笑む。


「へぇ……あなたが怜の」

「……」

「まぁいいわ……おかげで私は幸せなんだから」


 その声はとても明るく聞こえる。

 けれど彼女の表情の隙間に、寂しさがちらりと覗いた気がした。

 

「里佳子……結婚したのか」


 彼の声に反応するように、彼女の視線が今度は怜さんに戻る。


「ええ、そうよ。主人が帰ってくるからもう……もう行くわ」


 里佳子さんはそれだけ言って、私たちの隣を通り過ぎて行った。

 まるで、それ以上は聞かないでほしいと言うように。

 

 怜さんは、私の方へほんの少しだけ身体を寄せる。

 それは、無意識の動きだったと思う。


 ――あ。

 私は、ここにちゃんといる。

 怜さんの“今”の隣に。


 しばらくして、先に息を吐いたのは私だった。


「……びっくりしちゃった」

「……すまない」

「なんで謝るの?」


 そう言うと、怜さんは私を見て少し困ったように笑った。


「怖くなかったか」

「……少し。でも」


 私は、彼の腕に触れた。

 もっと近づきたい、もっとそばにいてほしかった。


「堂々と挨拶できたでしょう?」

「……ああ」


 怜さんの手が、そっと私の指を包んだ。

 もう離さない――そう言われている気がして心が弾む。

 人の流れが、また動き出す。


「……帰ろう」

「うん」


 “戻る場所”が同じだと分かっている言い方。

 その言葉が、これまででいちばん自然に聞こえた。

 

 

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