北方の辺境領、エルヴェの闇
セレスティーナが謹慎のため送られた北方の辺境領は、雪と荒涼とした大地に覆われていた。エルヴェ公爵家は代々この地を治めていたが、近年は中央の冷遇により荒廃が進んでいた。
セレスティーナは、公爵家の一室ではなく、領地内の廃れた修道院で暮らしていた。彼女の隣には、侍女としてついてきた老メイドのエリスだけがいた。
「お嬢様、シスター・ティナとしての活動はもうお止めください。公爵様がご自身で動かれることを望んでおられます」
エリスは心配そうに言った。公爵は、娘が悪役を演じている真の理由を知っている数少ない人物だった。
「いいえ、エリス。私の役割はまだ終わっていません。ルーク殿下を、そして王国を、あの『病』から解放しなくては」
セレスティーナの言う『病』とは、王国内に蔓延する奇妙な熱病のことではない。それは、エルヴェ公爵家が代々守ってきた、王家を蝕む呪いのことだった。その呪いは、王族の心の隙に入り込み、愛する者への嫉妬や憎悪を増幅させる。王国の歴史の中で、この呪いにより何人もの王妃や王太子妃が悪女として断罪され、処刑されてきた。
セレスティーナは、自身が悪役令嬢として断罪されることで、この呪いを一時的に自分自身に封じ込める計画だった。
(ルーク殿下。貴方を愛しています。だからこそ、私を憎ませる必要があった)
彼女は、雪解けの薬草を煎じながら、静かに外を歩く一人の騎士の姿を捉えた。
アッシュ・ヴァンクール。元はルーク王太子の近衛騎士団長であり、セレスティーナの断罪に最も賛成していた男だ。彼は、自分の婚約者がセレスティーナの策略によって不名誉を被ったと信じ、彼女への復讐心を燃やしていた。
そのアッシュが、なぜここに。
「セレスティーナ様。……いや、破戒の令嬢」
アッシュは雪を踏みしめ、修道院の扉の前に立った。その目には、憎悪と困惑が混ざり合っていた。
「私の婚約者、リリアナが、貴女の計略により名誉を失ったことを、まだお忘れではないでしょう」
「ええ。全ては私の愚かな嫉妬心によるものです。貴女の婚約者に泥を塗ったことを、心よりお詫び申し上げます」
セレスティーナは深々と頭を下げた。だが、その頭上には、アッシュが中央から持ってきたはずのない、『シスター・ティナ』の活動記録が風に舞っていた。
「ならば、何故この紙が、辺境伯領の資料の中に混ざっていたのか。貴女は、婚約破棄をされる直前まで、この記録を隠蔽することに必死だった」
アッシュは、断罪の裏で、セレスティーナがまるで自分の死後の名誉を完全に消し去ろうとしていた痕跡を発見していた。
「悪女なら、自分の名誉を守るはず。何故、自分の善行を隠そうとしたのです?」
セレスティーナは顔を上げない。彼女が口を開くより早く、もう一人の人物が修道院の裏口から姿を現した。
裏路地の青年、カイだった。
「シスター・ティナは、あんたたちの知る悪女とは違う」
カイはアッシュの前に立ちふさがった。その体は貧弱だが、瞳には強い決意が宿っている。
「彼女は、あんたらの『聖女様』フローラが治したとされた村々を、実際に救っていた。フローラは、ただ彼女の功績を盗んだだけだ!」




