望月楓は、緒方霞の待つ徒歩20分のカラオケ店にどうやって4分で駆けつけたのか?
「やっぱ、どう考えてもおかしいだろ……」
先日のこと……クラスメイトで親友の望月楓は、徒歩20分のカラオケ店に、たった4分で駆けつけた。その事実が、どうにも緒方霞の頭から離れない。
白花学園高等部1年B組の教室には、午後になると西日が強く差し込む。
窓際の席に座る霞の髪が、少しだけキラキラして輝いて見えた。
グラウンドからは、硬式テニス部がボールを打つポーンという音が響き、部室棟からは、吹奏楽部が管楽器を調整しているファーンという音が聞こえる。
残暑が残る九月の放課後、誰もいない教室で、クラスメイトからは奇人と呼ばれ、自身は平凡な陰キャモブを自称する霞は、腕組みをして、頭の中に残るなぜ?と葛藤していた。
くせっ毛と寝ぐせの収まりの悪い髪と、睡眠不足のため目の下のクマがある。
顔のパーツは、よくよく見ると整っており、特に左目じりの涙ボクロは、チャームポイントと言えなくもないが、夏場以外はマスクと花粉症対策眼鏡で隠れている為、クラスメイトですら、まともに霞の素顔を見たことがある者は、ほぼいない。
「あら……まだ残っていたの、今日バイトは?」
教室の後部ドアが開いたままだったので、後ろ側の窓際の席に居座る霞が目に入ったのだろう、たまたま通りかかった赤城さくらが声をかけてきた。
隣のクラスのさくらは、レッドブラウンの髪を高めポニーテールで纏めた、切れ長の瞳をした少女だ。白のブラウスに緑のネクタイとプリーツスカートから伸びる細く長い脚と、その凛とした大人びた雰囲気で、4月に白花学園高等部に入学して以来、多くの男子を魅了し、熱狂させた。
しかし、あまりに強烈過ぎる言動で、好意を持つ男子の数だけ、容赦なく心をへし折り、結果として今では、恐怖される存在となった。だが、当人はその状況を全く気にする様子がない。
「バイトは休みだよ、夏休みに散々働いたから、しばらくはシフト少な目にしてもらった。さくらはこれから部活か?」
「えぇ、日直が終わったから、今から行くところだけど……それよりどうかしたの? 何か変な顔していた様に見えたけど……でも、変な顔はいつも通りね」
「今日も容赦ないな……実は、ちょっとだけ気になることがあって、考え事してた」
「あら、何かしら? 私が聞いても良いことなら聞かせてもらうけど」
「それは嬉しいな、でも、部活に行かなくて大丈夫か?」
「少しならね、30分も掛かる話じゃないでしょ?」
「まぁそうだな……じゃあ、客観的な意見をくれるか? 頭の中を整理したい」
「……わかったわ」
――7月某日、夏休みに入って数日後のこと。
当たり前のように午前8時には気温30度を超えていたこの日、霞は正午から駅前のカラオケ店で、涼みがてらに一人カラオケを楽しんでいた。
だが、どこか手持ち無沙汰を感じたため、途中で親友の望月楓を呼ぶことを思いついた。
「連絡してみるかな」――思い立ったが吉日、早速、電話をすると、3コールもしない内に、楓が出たので、カラオケ店の場所を伝えると楓は「分かった、すぐ行くから、待っててね」とだけ言い残し、電話は一方的にプツンと切られた。
通話時間は、30秒と掛かっていない。
外は暑いし、急がなくて良いからと伝える余裕すらなかった。
楓が到着するまで、休憩なく歌い続けている必要もないが、霞は右手で頭をかいたまま、左手でリモコンを操作し、半年ほど前に流行ったJ-POPをセットする。
音楽にさほど詳しい方ではないが、セットした曲は、深夜アニメのOP曲としてタイアップされていたので、知っていた。
疾走感と、一気に感情を爆発させるような爽快感のあるテンポの速い歌。
尤も2番以降は歌詞を知らないところがあり、何か所か詰まったが、今は誰もいないので、気にすることもなく歌い上げた。
「つまり、歌がヘタクソな霞君が、ヘタクソなりに歌ったけど、カラオケの採点機能で100点中7点とか、実力相応の壊滅的なスコアが出たのが、気に食わなかったのかしら?」
「あんまヘタクソを連呼して言わんどいて! ちゃんと自覚はあるから。気になるのは俺の歌唱力じゃなくて、その演奏時間4分くらいの歌が1曲終わったところで、もう楓が到着したことだよ」
霞がいた私鉄大田急線経堂駅そばにあるカラオケ店は、楓の自宅から徒歩20分以上離れている。
それに事前のアポなしで、急にカラオケに来いと言われても、準備も含めたら、楓が到着するまでに、早くても30分から1時間くらい掛かっても不思議ではない。
それなのに……。
「電話をしていた時に、たまたまカラオケ店のそばにいたんじゃない?」
「俺もそう思ったよ……でも家から来たって」
「では、タクシーやバスとか公共機関を使ったに違いないわ」
「歩いて来たって、徒歩20分をたった4分で」
物件情報などに書かれている、徒歩8分などは1分で80m歩くことを想定している。徒歩20分なら1.6km、この距離を4分で移動したとしたら、時速24kmになる。
時速24kmは、少なくても歩いたというスピードではない。走っただとしても、かなり速い。女子高生が100m全力ダッシュを16回繰り返して、ようやく到達できるくらいに……。
また、楓の使った経路は当然、陸上競技場やグラウンドのように直線ではない。途中には一方通行や、曲がり道、信号、歩道の混雑などで歩きにくいところや、時間をロスするものがある。
さらに、楓の住む自宅マンション3Fからエレベーターで降りる時間や、カラオケ店に到着後、フロントで霞のいるルームを確認したりなど、その他の条件も考慮し出すと、4分は到底足りない。
「……不自然なほどに到着が早過ぎる」
「そう、しかもあの日の楓は、動きやすそうな恰好をしてなかったし、その服装も普段の楓らしくないと言うか……」
霞はあの日の楓の姿を思い出す。
夏休みだったため、楓は白花学園の制服ではなく、アイボリーのハイウエストミニスカートにホワイトブラウスとミュールサンダルといったラフなスタイルだった。
スタイルの良い楓にはよく似合っていたが、スカート丈の短さを含め、攻めの服装と言えなくもなく、霞は視線を逸らしたくなるほどだった。
「望月さんのお姉さんはあの望月加恋さんよね。白花の元生徒会長で、今は霞君のバイト先にいる」
「あぁそうだけど……」
「では恐らくそういうことね……」
「ん? どういうこと?」
「私が知る限り、望月さんはとにかく生真面目、霞君が教えてくれた服装を好むタイプではない、もちろん普段していない、オシャレをしてみたいと思う事もあるかもしれないけど、彼女らしくないわね。これは推測だけど、服装は加恋先輩のアドバイスと思った方が自然じゃないかしら?」
「あ……そう言われてみると」
楓の4つ上の姉、白花学園OGでもある望月加恋はとにかくイタズラ好きだ。
以前も楓の家で勉強会を行った際、何ともかわいらしいメイドコスプレ姿でお迎えしてくれたことがある。
その時も、加恋の仕込みだった。
「どうやら心当たりがあるようね、次に、望月さんが早く着いたというのも、一カ月以上前のことだから、霞君の思い違いじゃないかしら? 実際は4分以上掛かっていた。望月さんが来るまでに歌ったのも1曲じゃなくて3、4曲だったとか」
「思い込みは、誰でもあるから否定はできないけど……当日、歌を歌い終わった後すぐに来た楓を見てマジか!?と思ったのを、憶えているんだよ」
「では、自宅にいたというのは楓さんの嘘で、やっぱりカラオケ店のそばにいたのでは?」
「……それはない、これまで楓は俺に嘘をついたこと一度もないし、これからもない、絶対に」
先ほどまでと変わらず霞は穏やかなままだが、嘘というワードに明らかに不快感を示しているようにさくらには感じた。
「……ごめんなさい、人を疑うようなことを言うのは良くない」
「こっちこそごめん、楓は俺の親友だからさ、嘘をつくなんて思いたくないから」
(……面白くないわね、霞君の望月さんに対する揺るがない信頼も、親友と言い切る関係も、同じ中学出身で白花学園高等部への進学もふたりで決めたことも、全部全部……)
霞にわからない様に、さくらは唇を噛みしめた。
親友という関係以前に、霞と楓は年頃の男女であり、楓は同性のさくらから見てもかなり魅力的な容姿をしている。
黒髪ロングの美しい髪に長い睫毛が彩る意志の強い瞳、形の良い唇、大抵の男子は、楓が通り過ぎると振り返る。
(……でも、私とカスミ君だって)
さくらと霞には、10年近い付き合いがある。
互いの父親同士が大学の先輩後輩の間柄で仲が良く、小学校の頃は夏休みになると、霞は毎年一週間ほどの間、さくらが今も住む、国立のお屋敷へ泊まりに来ていた。
さくらはこの一週間をよりも楽しみにしていた。
霞が訪れる日には、初めて会った時に褒めてくれた麦わら帽子と白いワンピースを纏い、期待に胸を高鳴らせ準備した。
中学に進級後は互いに忙しく、ほとんど会えなかったため、ここ3年間、霞と過ごした時間は、楓には遠く及ばない。
それでも、霞との絆の深さは、楓にも負けないと自負している。
いや、たとえ相手が誰であろうと負けるわけにはいかない。
「さくら? どうかしたか?」
「……何でもない、でも困ったわね、望月さんが、どうやって早く来たのか、私にもわからないわ」
「だろ? これはもう迷宮入りかな……」
「残る方法としては、ワープ航法、瞬間移動魔法、タイムリープ、3つのいずれかを使ったとか」
「どれも普通の女子高生には無理だよ、できればオーバーテクノロジーや魔法、超能力の類以外で考えて」
「ねぇ、詳細な理由は、本当に必要かしら? 望月さんはちゃんと来た。もし、事件に巻き込まれたなら話は別だけど、何事もなく来てくれたのなら、それ以上、気にしなくても良いじゃない?」
「……確かにそうなんだけど」
「じゃあそういうことで……そろそろ部活に行かないと」
さくらの強引な結論に納得がいかないらしく、霞はまだどこか歯切れが悪い。どうやら男子の拘るところは、女子とは根本的に違うようだ。
「時間取らせたな、部活頑張れ」
「ありがとう、じゃあまたね、霞君」
「……言い忘れたけど、今度カラオケに行く時は私も誘ってね、必ず駆けつけるから」
「了解、あの日だって、部活がなければさくらも呼ぶつもりだったから」
「……なら、いいけど」
前の席の椅子から立ち上がると、座ったままの霞を見下ろす。西日に照らされ、収まりの悪い霞の髪が、キラキラと輝く様に、思わず見とれてしまった。
楓がどうやって、4分で霞に会いに来たかは、さくらにはどうでもいい。
だが、休日に霞が楓を気軽に誘えることや、楓が可能な限り早く駆けつけようとしたこと、本意ではないかもしれないが、霞のために際どいコーデで、会いに来たことは、看過できない問題だ。
状況によっては霞と楓の関係が、一気に進展してしまう可能性があった。
それはさくらにとって、あまりに危険なことだ。
一応、楓を黙らせることができる切り札のカードは残っているが、できれば使うことなく勝ちたい。
……もう一つ、さくらが気になることがある。
霞は楓が嘘をつくはずがないと言い切ったこと。
いくら生真面目な楓でも好きな人と結ばれるためなら、時にはズルだってするかもしれない。
……だから、油断できない。
ただし、肝心の霞は、恐らく楓が期待していたこととは、違うことで頭がいっぱいのようだ。
「あ〜、やっぱ気になる、でも、さっぱりわからん」
霞は、机に突っ伏したままとボソッとつぶやく。
さくらは、霞のいる教室から立ち去る前に、入り口でもう一度、霞を見る。
その口元に、ほんのわずかな笑みが浮かび、誰にも見られないように、すぐに消す。
「バカね……」
そう呟くと、さくらは霞のいる教室を後にした。
なお、望月楓は知らないが、赤城さくらは緒方霞の許嫁だったりする。
しかし、知り合って9年、許嫁になって6年、互いの親が決めたかは関係なく、さくらは初めて会ってあの夏の日から、霞のことだけを見ている。
ずっと……
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「優しいだけの嘘つきは今日もラブコメを演じる ~幼馴染、義妹、婚約者、金髪碧眼、親友に迫られてます! 俺? ごくごく普通の陰キャモブですが……」
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