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光の子  作者: 宗像竜子
8/20

涙(1)

 気がつくと、キアナは岩に背をもたせて座り込んでいた。

 陽光で温まった岩肌が、まるで生きて体温を持っているかのようだ。その温もりだけを、キアナは感知している。

 …リーウは結局、姿を見せない。

 太陽は僅かに傾き、少しだけ光を和らげている。おそらくそう時を待たずに、追手が来るに違いなかった。

 朝方、不在に気付いてすぐに動いているとしたら── キアナより歩みはきっと確かで速い。すぐにでも視線の先、なだらかな丘の向こうから姿を見せるはずだ。

 ── おそらく、こっぴどく怒られるに違いない。

 そんな風に思ったら、何だかばからしくなって、キアナは自嘲のような笑みを口元に浮かべた。

(…それとも、彼等が来る前にわたしもリーウのように食われてしまったりしてな)

 そう考えて、それでも良いような気がしてきた。

 もはや、リーウの事は名前くらいしか思い出せなくなっている。完全に忘れてしまうくらいなら、そうなってしまった方が、いっそ幸せのような気がした。

(仮にここに捧げられた《供物》が全てこれに食われたとして── 今まで赤ん坊や、ろくに物心もついていない子供ばっかりだ。わたしも行けば…リーウも淋しくないよな)

 この岩石がリーウを取り込んだ── 現実離れした答えだったが、だからこそ、それを信じるのは簡単だった。

 そう思えたら楽だったから。

 ── まるでいつか覚める、悪い夢か何かのように。


+ + +


「…探したぞ、キアナ」

 いつの間にか眠っていたらしい。

 重い目蓋を持ち上げてみると、太陽を背に見覚えのある人物が数人立って、キアナを見下ろしていた。

「…旅団長」

「まさかと思ったが…ここまで辿り着くとはな。…この大ばか者が」

 怒りを通り越してしまったのか、それとも呆れ果ててしまったのか── 無事にキアナを発見した事で安堵したからなのか。

 旅団長は呆れたような、そして何処となく感心したような口調でそう言った。

「戻るぞ、キアナ」

 座り込んでいるキアナを立たせようとするかのように、旅団長がその手を差し出す。キアナをそれをぼんやりと見つめはするが、動こうとはしなかった。

「キアナ?」

 眉をひそめてキアナを見つめる旅団長に、キアナはゆるゆると首を横に振った。

「── 駄目だ、旅団長。わたしは、戻れない……」

 やがて発せられた拒否の言葉に、旅団長はその目を見開く。

 だが、その答えを半ば予測していたのだろう、それ以上の動揺は見せずに差し出した手を引っ込める。

「キアナ、我侭を言うんじゃない」

 厳しい表情を浮かべ、旅団長はキアナに言い聞かせるように言う。しかし、キアナはその言葉に耳を貸そうとしなかった。

 ── その言葉が正しい事は、キアナ自身がよく知っている。

 第一、リーウはキアナがここへ戻って来る事も、ここに残ろうとする事も望んでいなかったに違いないのだ。

 それでも。

「わたしをここへ置いて行って下さい」

「キアナ!!」

「わかっています、それがどんな意味を持つのか。そして…そうした場合、あなたの咎になるという事も。でも、それでも…わたしはリーウをこんな所に一人にしたくないんだ……!!」

 ぎゅっと、リーウが残した服を抱き締める。その必死な様子とキアナの言葉に、旅団長はようやく肝心な事を忘れていた事に気付いた。

 そう── つい昨日この《聖地》へ捧げられ、一人残ったはずのリーウの姿が何処にもない事に。

「キアナ? それで…そのリーウは何処にいるんだ。姿が見えないようだが──」

 旅団長の言葉で、同行していた男達も今気付いたかのように、周囲をきょろきょろと見回し始める。

 よく考えれば、一番最初に気付いてもおかしくない事実だ。しかし、彼等はすっかりその事を失念していた。

 …その姿に、キアナは先程までの自分の姿を重ねる。自分の中からリーウを形作っていたあらゆる物が抜け落ちた、あの衝撃を思い出す。

「…捜しても無駄です。もう、あなた方だってリーウがどんな顔をして、どんな声をしていたか覚えてないでしょう?」

「……!」

 キアナの冷ややかにも聞こえる言葉に、彼等は揃って息を呑む。実際、その通りだったのだ。

 集落はそれなりの人数の人間が暮らしていたが、全ての住人を把握出来ない程ではない。

 第一、リーウとキアナの仲睦まじさは見ていて印象に残るものだった。まるで、本当に血を分けた姉弟のようだと。

 …そう簡単に忘れられる類のものではないのだ。

 言葉を失って立ち尽くす彼等に、キアナは小さく笑いを漏らす。

「そう…もう、この世の何処にもいない。リーウは、この太陽の化身に全て食われてしまったんだから……!」

「キアナ、それはどういう意味だ」

「言葉通りですよ。わたしがここへ辿り着いた時には、もうリーウは消えてしまっていた。この── 服だけをここに残して」

「…服?」

 言われて、旅団長の目がキアナの抱える服に移った。それは確かに見覚えのあるもので、旅団長は表情を引き締める。

「── 獣に襲われた可能性は」

「見てください、この服。綺麗なものでしょう?」

「……」

 広げて見せられた衣服には、確かに牙や爪で引き裂かれたような跡も、そして血の染みすらもない。

「…もう何処にもいないんです。リーウはもう、この地上の何処にもいない……!!」

 口にしてしまうと、今まで胸の奥底で燻っていたあらゆる感情が、出口を見つけたかのように一気に噴き出してきた。

 それは為す術もなく奪われてしまった理不尽さへの怒りであり、あまりに無力で意気地のなかった自分への憤りであり、そして── 大切な存在を永遠に喪った事への悲哀でもあった。

 それ等全てが、キアナの中で混じり合い、明確な形となって表へと出て来ようとしている。

 キアナの理性はその衝動に対して、咄嗟に待ったをかけた。それは告げる── そうする事は、恥ずべき事だ、と。

 けれど、その勢いが止まる事はなかった。

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