表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光の子  作者: 宗像竜子
7/20

聖地Ⅱ

 巨石の元へ辿り着いた時には、太陽は完全に地上を離れていた。

 陽光を避けるようにフードを被り直しつつ、キアナは辺りを見回した。

 静かだった。

 風もなく、特に音を立てるものもない。それ所か──生き物の気配すらも感じられなかった。

「…リーウ?」

 ── 何だか得体の知れない、不安が胸に湧き上がる。

 《聖地》の岩は実際巨大なものだ。しかし、それでも少し小さめの家程度でしかない。呼びかけた声が聞こえない距離はないはずだった。

 …けれど。

「…リーウ…寝ているのか?」

 姿を求めて岩の裏側へ回ってみる。しかし、そこに求める姿はなかった。

 その代わりに──。

「……!?」

 反射的に駆け寄っていた。

 天から差し込む陽光が、辺りの風景も何もかもはっきりと照らし出す。見間違えようがなかった。

 …草の汁で染めた、幾分くすんだ緑── その色は確かに見覚えのあるもの。

「…どうして……」

 直接手で触れる事も出来ずに、呆然と呟く。それは── 昨日別れた時にリーウが身に着けていた物だった。

 キアナの母が寝る間も惜しんで織って仕立てたそれが、散らばるでもなく剥き出しの大地にわだかまっている。

 まるで、自分から脱いだというよりは、中身だけ消えてしまったかのような有様だ。キアナでなくとも、おそらく困惑しただろう。

(何が…あった──?)

 そのまま座り込み、そろそろと衣服に手を伸ばす。

 掴んだそれに、血痕のようなものも、破れたり引き裂かれたような跡もない事を確かめる。

 ── ない。

 思わず、安堵のため息が零れる。ならば、少なくとも獣に襲われたりした訳ではないという事だ。

(じゃあ…どうして服だけがここに?)

 訳がわからない。

 途方に暮れ、何も考える事の出来ない頭にふと思い浮かんだのは、旅に出た初日に聞いたあの言葉だった。

 曰く──。


『供物を捧げるのは二年に一度だ。五つある集落を順番に──つまり、一つの集落には十年に一度回ってくる訳だが── 同じ場所に奉納するのに、不思議とそこに骨が残っている事がないんだよ。…まるで本当に神に饗されたかのようにな』


 …いくら子供や赤ん坊でも、二年かそこらで骨まで完全に土に還るはずがない。だからこそキアナも思ったのだ。

 ── 逃げたか、もしくは獣にでも襲われて、骨まで食われてしまったのだろう、と。

 しかし、年端もゆかない子供ならばともかく、今年十六の年を迎えるリーウが消えたとなれば── しかも衣服だけ残して── 話は違う。

 …何かが起こったのだ。リーウが姿を消す、何らかの出来事が。

(── まさか)

 思い至った考えに、キアナは目を見開く。

 やがてその目は、傍らで沈黙を守る巨岩に向けられた。…おそらく、この世で唯一、確かにリーウの行方を知る物へ。

 どれ程の年月、そこにあったのかわからない。

 少なくとも百年以上はここにあるはずなのに、まったく周囲に馴染まない異質なモノ。かつて太陽の方向から飛来し、太陽の化身として扱われるモノ。

 そして、リーウが奉じられる何代も前から、《供物》を捧げられてきたモノ──。

「…《供物》とは…本当にこれに捧げられた生き贄だったというのか……?」

 思わず口にし、その恐ろしさにキアナは身を震わせた。

 そんなばかなと思う。しかし、与えられた事柄から導き出される、納得の出来る答えはそれ位しかなかった。

 …最も突飛だが、ある意味真実であろう、その答えだけしか。

「── リーウ」

 ふらりと立ち上がったキアナの口から零れ落ちたのは、悲鳴のような── 呼び声。

「リーウ! リーウ、隠れているんだろう? わ、わたしを…驚かせようと…からかっているだけなんだろう!? …リーウ、返事をしろ!! そうなんだろう!?」

 叫ぶ。

 そうでもしなければ、頭がどうにかなってしまいそうだった。

 そう── やがて何処かからリーウが顔を見せて、困ったような表情で『ごめんね、ちょっと驚かせようと思ったんだ』…そんな風に言ってくれる。そうでも、思わなければ。

 リーウの残した服を手に立ち上がり、岩の周辺をぐるぐると回りながら名を呼んだ。

 先程一口水を含んだだけの喉はすぐに乾き、呼ぶ声は次第に掠れて力のないものになる。それでもやめる事が出来なかった。

 ── 太陽は、そんなキアナを嘲笑うかのように天頂近くまで駆け昇ってゆく。それと同時に気温も上がり、不眠不休だったキアナから更に体力を奪い取る。

「…んで…ど、うして…応え…ない……?」

 わざわざ服だけを残して逃げる事はないだろう。ならば、すぐ近くにいるはずなのだ。

 キアナの、すぐ側に。

 ── でも、待ち望む応えの声は返らない。

「何処へ行った…リーウ……!!」

 やはりあの最後に別れを告げた時、無理にでも連れて逃げれば良かったのだ。

 もしくは…後で迎えに行くから待っていろと、説得していれば。…後悔だけが、心を重く支配する。

 こんなはずではなかった。こんな風に終わるはずではなかったのに。

 …こんな風に、あの笑顔をもう二度と見れなくなるなんて──。


「…── え?」


 そこでキアナは愕然となる。

 …思い出せない。

 こんなにも切実に求めている、リーウの顔、表情その全てが、まったく思い出せなくなっていたのだ。

 リーウはどんな風に笑っただろう?

 どんな仕草をして、どんな癖があっただろうか?

 ── それらがごっそりとキアナの中から抜け落ちている。

 昨日の今日だ。ましては危険を承知で助けに来た、その相手の顔を忘れるなんてあろうはずがない。

 なのに── 何度思い返しても、浮かび上がるのは印象や言葉ばかりで、表情や声といった直接本人を示すものではなかった。

「そんな……」

 寒くもないのに、がたがたと身体が震える。がくり、と膝から力が抜けた。

 眼前の岩がリーウを取り込んでしまったのではないか、そんな事を思った時に感じたものよりも、その感覚はずっとずっと恐ろしいものだった。

 やがて力なく見上げたのは── 太陽。

(太陽…あなたは、思い出すらも…何もかも奪い去ってしまうのか……!?)

 太陽はキアナの心の叫びなど知らないまま、いつもと変わらぬ光を地上へと降り注いでいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ