旅団(2)
「リーウ…話がある」
その日──《聖地》へ旅団を出すと決定された夜の事。
キアナは夜更けだというのに、突然リーウの部屋にやって来た。
成人女性にあるまじき行為だったが、時間帯を考えなければいつもの事だったので、リーウは思わず迎え入れてしまった。
いつも男勝りで快活なキアナが、泣いているような気がして。
扉の向こうに立っていたキアナは、泣いてはいなかった。ただ、思いつめたような顔でリーウを真っ直ぐに見つめてくる。
その視線の強さに、リーウはかける言葉を失った。
「…お前、自ら《供物》に志願したって…本当なのか!?」
「……」
何となくその事ではないか、とは思っていたのだが、実際にキアナの口から尋ねられると、何だかとても悪い事をしたような気になった。
── 《供物》になる事。それは決して…いや、むしろ称えられるべきであって、貶される事ではない。罪悪感など、感じる余地もないはず。
…そのはずなのに。
「…やめろ」
今までにない強い口調で、キアナが命じる。
「今からでもいい、撤回するんだ!」
「何故?」
「何故、だって……?」
キアナは信じられないものを見るような目をリーウに向けた。
深淵の瞳に、戸惑うリーウの姿が沈んで見える。
「供物になれば…死ぬんだぞ!?」
抑えきれない感情が、キアナにそう叫ばせた。
キアナは彼等の集落を束ねる、長の一人娘。
将来、現在の長がその位を退いた後は、長となり人々を束ねる身の上なのだ。本来なら、誰よりも供物の必要性を説く立場である。
…多分、供物になるのがリーウでなければ、きっとそんな風には思わなかっただろう。
「…じゃあ、キアナ。君はあんな子供が供物になるのはいいの?」
まるで見透かしたように、リーウが問う。心底、不思議そうに。
そう…いつもなら、まだ物心もつかない子供を捧げるのだ。それも、可能な限り身寄りのない者を。
半分は、口減らしの意味もある事は否定出来ない。
それが見過ごせなくて、リーウは自ら供物になる事を志願した。その子の代わりに、自分が、と──。
そう…時期が時期だったなら、リーウもそうやって果てていたかもしれなかったのだ。
物心つく前に両親を失い、天涯孤独の身の上になった彼を、今まで養い育ててくれた長とその家族がいなければ、供物にすらならずに死んでいたかもしれない。
…そう思ったら、もう自分が止められなかった。
その辺りのやり取りは、父親である長経由でキアナも聞いた。
リーウらしいと思う。《供物》になるのは栄誉なのだ、と言い聞かせようとする自分もいた。
── でも、駄目だった。
「嫌なんだ…お前が死ぬなんて、耐えられない」
「キアナ……」
「お前はもう、わたしの家族なんだ。五つの歳から一緒に暮らして── これからもずっと、そうだと思っていたんだ。だから……」
「キアナ」
とめどなく溢れそうになるキアナの言葉をやんわりと遮って、リーウは困ったように微笑んだ。
「決めたんだ。それに……」
「……?」
「── ずっと、思ってたんだ。どうしたら、長やキアナに報えるんだろうって」
リーウは同じ年頃の子供達と比べるとひ弱で、力仕事では役に立たないし、専ら長の補佐のような事をやっていた。
この、過酷な環境の中で。
リーウのような存在は、実際役立たずに思われても仕方がない。
今までそうした扱いを受けなかったのは、ひとえに長とその家族の人徳としか言い様がなかった。
「長も怒ったけど…でも、最後にはわかって下さった」
「わたしはわかりたくない!」
そう、言いながらも。
キアナにも、もはやどうやっても、リーウの心を止める事が出来ないであろう事はわかっていた。
リーウは昔から、一度『こうだ』と決めた事は必ずやり遂げる。
腕力がない代わりに、強い精神力を持って生まれてきたのだろう。生半可な事では、リーウを説得する事なんて出来ない。
…そうだ、子供の頃からこの二つ下の少年に、口で勝った試しはないのだ。
その事実に気付くと、キアナは諦めたようにため息をついた。
「…でも、どんなにわたしがひきとめても、お前は絶対に撤回してはくれないんだろうな……」
「…キアナ……」
「わかった…もう、何も言わない。その代わり、供物を奉納する旅団にはわたしも加わるからな」
「えっ?」
突然のキアナの言葉に、今度はリーウが面食らう番だった。
《聖地》は陽光照りつける丘陵地帯の先にある。陽を遮ってくれるものがない、過酷なものとなるのだ。
当然、今まで女性が旅団に加わった記録などない。
陽の光は死の光── 時として、女から子を育む力すらも奪うとされている。
「だ、駄目だよ、キアナ! 何を言って……!!」
「うるさい。絶対にこれだけは譲れないぞ。…せめて、最後を見送らせてくれ」
「キアナ……」
「大丈夫だ。父はわたしが説得する。リーウに迷惑はかけない」
縋るような瞳に、リーウはそれ以上の言葉を失う。キアナもキアナで、結構な頑固者なのだ。
そしてキアナは言葉通り、長を説得して旅団に加わった。
前代未聞の事だったが、キアナとリーウの睦まじさを知っていたからか、結局最後には皆、キアナの言葉を受け入れたのだった。
+ + +
夜になり、旅団は足を止めてそこに野営する事となった。
獣などもいないわけではないが、見通しの良すぎる場所だけに、姿を見せる事もほとんどない。
(あと、どの位なんだろうか)
唯一の女性という事もあって、一人独立した天幕をあてがわれたキアナは、一人これからを思って小さくため息をついた。
こういう時こそ、リーウと共に在りたいのだが、なまじ自分が成人しているせいでままならない。
何度か旅団に参加している者の言葉によれば、今回の旅は何時も以上に問題のない旅だと言う。ならば、《聖地》に辿り着くのは予定より早まるという事だろう。
あと、一日だろうか。それとも二日?
このままでは、リーウとまともに話す事なく別れてしまいかねない。
…否。
心の内で否定して、キアナはその唇を噛み締める。
(リーウには悪いけど、絶対にそんな事にはさせるものか)
キアナが同行を決めたのは、リーウの最後を看取る為ではない── 共に、生きる為。
(…旅団を途中で抜けて、リーウを助ける。連れ帰る事が出来ないなら、そのまま何処か暮らせる場所を探したっていい。── 死なせるものか……!)
リーウはどうか知らないが、キアナは彼が好きだった。
恋愛感情というよりは、庇護欲に近いのかもしれないが、彼が死ぬのは我慢ならない。
姉弟のように、ずっと一緒だった。これからもそうだと信じていたのだ。こんな風に、終わっていいはずがない。
(…絶対に、死なせない)
たとえそうした結果、この星が滅びてしまうのだとしても。