永遠に(2)
「…神様?」
「うん。それでね、お母さんが言ってたの。《聖木》の神様は本当はとても寂しがり屋だから、会いに行って話しかけると喜ぶって」
それは物心つく以前から、繰り返し母が語ってくれた物語。
たくさんの寝物語でも、一番心に刻まれたもの。
母親は更にこう言っていた。
人はこの木がなければ生きて行けない弱い存在だから、常に感謝する心を忘れてはならないよ。
在るのが当たり前だからってそれに甘えては駄目だ。
生き物は目に見えない所で繋がり合っている。この木と人のように。
…人はどうしても身近に在るものほど扱いが疎かになる。きっと、何十年も経ってしまえば、この木に対する感謝も薄れてしまうだろう。
それはどうしようもない事だ。人はとても忘れやすい生き物だからね。
だから── お前にだけは話しておこうと思ったんだよ。
あの木にいる神様の事を。出来る限り覚えていておくれ。そして…お前に子供が出来たら、その子にも伝えて欲しい。
一人でいいんだ。たった一人でも覚えている事、そしてそれをずっと伝えてゆく事が大事じゃないかと思うんだよ……。
そんな母親の話から、どうしてもその『神様』に会ってみたくなって、ついに一人でこんな所にまでやって来た。
本当に会えるなんて思わなかったし、どうしたら姿を見せてくれるのかわからなかったので、ただ木を見上げて心の中で話しかけたのだ。
── こんにちは。いつもありがとうございます……
それからいろいろと他愛のない日常の事を報告した。
友達のお母さんに赤ちゃんが宿って、年が変わったらその友達がお兄ちゃんになるのが羨ましいとか、昨日隣の集落へ出かけていた父親が帰って来て、お土産にきれいな糸を寄り合わせた結い紐を貰ったとか、そういう事を。
そしてそれが一段落着いた頃、目の前に立つ人物が声をかけてきたのだ。
「…なるほどね。それで『神様』扱いな訳だ」
少女が先程までの事を回想していると、彼は不意に呟いた。
何の事か一瞬わからなくて彼の顔を見つめ── そして今更驚く。その顔が思っていたよりもずっと年若いものである事に。
「…何で《神殿》なんてものを作ったんだろうって思ったんだよ」
まるで目の前にいる少女の存在を忘れ去ったかのような独白は、今にも泣き出しそうな危うさがあって、とても口を挟める雰囲気はない。
《神殿》は少女が生まれる少し前に築かれた建物で、もっとずっと先、その根元に置かれている。
そこには常に何処かの集落から派遣された人々が数名いるようになっていて、大樹に異変がないか気を配っていた。
何しろ── この大樹が枯れるような事があれば、人は生命の危機に晒される。名こそ《神殿》だが、実際の所は管理所のようなものだった。
その《神殿》を作るように提案したのは──。
「…誰か来る」
まるで夢から覚めたように彼がぽつりと漏らし、その顔から先程の泣き出しそうな気配が消えた。
「どうやら君を探しに来たみたいだよ」
「えっ?」
彼の言葉に慌てて周囲を見回すものの、人影らしきものは見当たらない。
騙されたような気持ちで彼の方へ顔を戻すと、一体いつの間に近寄ったのか、すぐ目の前に彼の姿があった。
驚いて見上げると、彼の緑色の目に小さく自分が映っている。その瞳が少し寂しげなのに気付き、少女は悟った。
── お別れの時間だ。
「…お兄さん、何処に行くの?」
気がつくとそんな事を尋ねていた。何故だかこのまま行ってはならないような気がしたのだ。
…目が言っている。
寂しい、と。一人になるのは辛い、と。
その瞬間、少女は彼の服を掴むと叫んでいた。
「── 一緒に、行こ!」
「えっ?」
彼は面食らったような声を上げ、掴んだ手を見下ろした。まさか少女がそんな事を言い出すとは夢にも思っていなかったのだろう。
振り放されないように握る力を強めて、少女はもう一度言う。
「一人でいる事ないよ。一人ぼっちになるのは嫌なんでしょう?」
「……」
何処の誰かは知らないけれど、もしかしたら他にちゃんと帰る場所があるのかもしれないけれど。
「うちの集落に遊びに来たらいいよ。あたし、案内するよ。友達もきっと喜ぶよ、お客さまなんて滅多に来ないんだもん。ね?」
「……」
思いつく限りの言葉を並べて誘いかける。けれども彼は驚いた顔のままぴくりともしない。
こちらが泣きたい気持ちになって来る。けれど、どうしてそこまで放っておけないのか少女にもわからなかった。
もしかすると…最初に会った時に思ったように、何処かで会った事があるような気がするからかもしれない。
そう── 他人のようには、思えなかったのだ。
居心地の悪い沈黙がしばらく続いた。どうしたらいいのかわからないまま、握り締めた服から手を離そうとした時だ。
「……ふ、あははは……!」
「?」
それまで固まっていた彼の口からいきなり笑い声が飛び出し、少女はぎょっと目を丸くした。
その目の前で、彼は至極愉快そうに肩を震わせて笑っている。その笑い声がばかにしているような感じではなかったので、少女はそのまま黙って彼が言葉を紡ぐのを待つ事にした。
「…はは…驚いた。まさかそんな事を言われるなんて思わなかったよ」
ようやく笑いを収めた彼はそう言うと、振り解くどころか、逆に優しい仕草で服を握っていた手をそこから離させ、同時に諭しつけるような口調で言った。
「ありがとう、心配してくれて。でも大丈夫。一人は慣れているからね」
「でも……!」
「本当に大丈夫。…そういうお人好しの所はキアナ似だね」
「!!」
今度は少女が驚いて声を失くす番だった。